第十八話 家康の胃痛
第十八話 家康の胃痛
今川方の先鋒として尾張ゲリラの鎮圧を任されていた松平元康――後の徳川家康――は、日々胃を痛めながら状況を分析していた。今川家の人質同然の立場から、自らの手勢を率いる機会を与えられたことは、本来であれば喜ぶべきことであったはずだ。しかし、現実は元康の予想を、はるかに超えて過酷なものであった。
元康の陣屋には、日々、混乱を極める報告が届けられていた。
「東の村、昨日までは我らに従っていたはずが、今朝には織田の旗を掲げておりました」
「西の豪族、当家への貢納を突如取りやめ、信照なる者への寄進を始めたとの由」
「南の寺社、今川方の陣に協力せぬどころか、露骨に敵意を示すようになっております」
元康は、地図を睨みながら、深いため息をついた。「織田領の境がわからぬ……」
これまで元康が学んできた戦のあり方――領地を奪い、代官を置き、年貢を取り立てるという、極めてまっとうな統治の形式は、この状況においてはまったく通用しなかった。村ごとに旗が変わり、昨日まで従っていたはずの村が今日には様子を変えている。まとまった軍勢を叩こうにも、そもそも「どこまでが敵領か」という前提そのものが崩れていたのである。
元康は、配下の重臣を呼び寄せ、苛立ちを隠さぬまま問うた。「この信照なる者、いったい何を考えておるのだ。奪った村に代官を置くわけでもない。年貢を取り立てるわけでもない。それでいて、村々は自ら進んで、その者に従っていくというのは、いったいどういう理屈なのだ」
重臣もまた、困惑した表情で答えた。「それがしにも、皆目見当がつきませぬ。ただ、確かなことは――信照なる者は、力ずくで何かを奪おうとしたことが、これまで一度もないということにございます」
「奪わぬのに、従う者が増えるだと……?」元康は、そう呟きながら、こめかみを押さえた。胃の痛みが、また一段と強くなるのを感じる。
元康は幼き頃より、今川家の人質として辛酸を舐めてきた身であった。桶狭間で信長が敗死したことにより、独立の機会を完全に失い、今は今川の先鋒として、この理不尽な戦いに従事させられている。もとより、この境遇そのものに、深い鬱屈を抱えていたのである。
「わしは、いったい何と戦っておるのだ……」元康は、独り言のように呟いた。
戦らしい戦をしているという実感すら、ほとんど得られなかった。正面から敵とぶつかることもなく、ただ、じわじわと村々が離反していく様子を、指をくわえて見ているしかない。それでいて、義元からは「尾張の平定」という、達成不可能に近い命令が下されている。
ある日、元康の陣に、一人の物見が慌てた様子で駆け込んできた。
「申し上げます! 美濃との境にある小さな砦、あそこにも信照の旗が掲げられておりました!」
「またか……」元康は、天を仰いだ。「あの砦は、我らの補給路の要ではないか。それが、いつの間に……」
「はい。守備兵の話によれば、ある日突然、村人たちが旗を掲げ始め、気づいた時にはすでに、砦の内側からも協力を拒まれる有様であったと」
元康は、深いため息をついた。「戦らしい戦もせぬまま、要所を次々と奪われていく。これでは、いくら兵を送り込んだところで、意味をなさぬではないか」
重臣が慎重に進言した。「殿。この状況、義元様への報告を、いかがなされますか」
元康は、しばし考え込んだ。ありのままを報告すれば、自らの無能を証明するようなものだ。しかし、事実を歪めて報告すれば、後々さらなる混乱を招きかねない。
「……ありのままを、報告するしかあるまい」元康は、苦渋の決断を下した。「これは、我らの落ち度ではない。信照という者の、これまでにない戦い方そのものが、我らの常識を超えているのだ」
報告書をしたためながら、元康は、これまでの戦いを振り返っていた。(この者は、いったい何者なのだ。奪わず、支配せず、それでいて、確実に力を蓄えていく――このような戦い方、いったいどこで学んだというのだ)
元康の脳裏に、ふと、これまでに聞いた噂の数々が蘇った。「戦を厭う魔王」「血を流さぬ勝利」「幻影の織田軍」――そのいずれもが、これまでの元康の常識からは、まったく理解しがたいものであった。
「これは……国家ではない。しかし、確かに何かがある……」
元康は報告書に「保護圏」という聞き慣れぬ言葉を書き記しながら、深いため息をついた。この言葉自体、拠点の内部から漏れ聞いた噂を、そのまま書き写したものに過ぎなかった。しかし、それ以外に、この状況を的確に表す言葉が、元康には思いつかなかったのである。
その夜、元康は寝所で一人、胃の痛みに耐えながら、天井を見上げていた。(このまま尾張に留まり続ければ、いずれ我らの兵站すら危うくなるやもしれぬ。だが、義元様がそれを許すとは思えぬ……)
元康の胃痛は、この戦いが続く限り癒えることはなかった。彼は、まだ知らなかった。この対立する相手――織田信照という青年もまた、自分と同じように、日々胃を痛めながら、ただ平穏な日々を望んでいるだけの存在であることを。
もし、元康がその事実を知ったならば、あるいは全く違う感慨を抱いたかもしれない。しかし、両者の間には、まだあまりにも大きな認識の隔たりがあった。元康にとって、信照は依然として、得体の知れぬ、恐るべき謀略家として映り続けていたのである。




