第十六話 保護圏第一号
第十六話 保護圏第一号
補給線攻撃による持久戦略が功を奏し、拠点周辺の情勢は徐々に安定を見せ始めていた。しかし、それでもなお、今川方の代官による支配が続く村々では、日々の暮らしに苦しむ民の姿が絶えなかった。
ある日、拠点に一人の使者が訪れた。粗末な着物を纏った、初老の男である。彼は疲れた様子ながらも、必死の形相で私に訴えた。
「信照様。どうか、お助けくださいませ」
その男は、拠点から半日ほど離れた小さな村の名主だという。村では、今川方から派遣された代官が、年貢の名目で過酷な取り立てを行っており、逆らう者には容赦のない仕置きが加えられているという。
「代官は、我らの蓄えを根こそぎ奪い、逆らえば村を焼くと脅しをかけております。もはや、我らだけでは、どうすることもできませぬ」
私はその話を聞き、胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。(史実じゃ、こういう戦国時代の民の苦しみって、資料でしか読んだことがなかった。でも、今、目の前にいる……)
私は思わず、その場ですぐに答えを出してしまった。「利家、追い払ってきてくれ」
(訳:かわいそうだから、何とかしてあげて。それだけの理由なんだ)
利家は即座に立ち上がった。「承知いたしました! この利家、必ずやその代官を追い払って御覧に入れましょう」
利家は勇んで出陣し、あっさりと代官を追い払った。代官は、まさか自分たちに向かって兵が差し向けられるとは思ってもみなかったのだろう。ろくに抵抗もできぬまま、慌てふためいて逃げ去っていった。
利家が村へ到着した際の様子は、後に村人たちから伝え聞いたところによると、まさに劇的なものであったという。代官の陣屋に単身で乗り込み、槍を突きつけながら「織田信照様の御名において、この村より即刻立ち去れ!」と一喝したのだ。代官はその剣幕に恐れをなし、ろくに荷物もまとめぬまま、逃げ出したのだという。
代官が去った後、村には静けさが戻った。しかし、村人たちの間には、新たな不安が生まれていた。
「また今川の代官が戻ってきたら、どうすればよいのか」
「それとも、今度は織田様の家臣が、代官として送られてくるのか」
村の長老を中心に、話し合いが持たれた。だが、結論はなかなか出なかった。そんな折、利家が村を去る間際に、こう告げていたという。
「殿は、我らが村を治めるようなことは、決してお望みになりませぬ。皆で、これまで通り、自らの力で村を運営していただければよいのです」
村人たちは、その言葉に困惑しながらも、次第に理解を深めていった。
数日後、村の長老が再び拠点を訪れ、私に直接尋ねた。「もう今川は来ないのですか」
私は正直に答えた。「ああ、もう来ないと思う」
(訳:あの代官が懲りて戻ってこなければいいんだけど……という淡い期待も込めて)
「では、これまで通り、我らだけで村を治めさせていただきます」長老は深々と頭を下げた。
「うん、好きにして」
(訳:面倒だから統治とか無理、そっちでやって。俺には、そんな器量なんてないんだから)
長老は、その言葉に涙を浮かべながら答えた。「信照様の御慈悲、生涯忘れませぬ。我らの村は、これより信照様の御名の下、自らの力で歩んで参ります」
村人たちはそれを「自治を認められた」と受け取り、感謝の証として、以後も折に触れて米や物資を届けるようになった。彼らにとって、それは単なる年貢の代わりではなく、自らの意志で選び取った「寄進」であった。
拠点に戻った利家は、この一件を誇らしげに報告した。「殿、あの村は、今後も殿への忠誠を誓うと申しております」
「そうか、それはよかった」私は素直にそう答えた。(あの村の人たちが、少しでも安心して暮らせるようになったなら、それだけで十分だ)
一益がその報告を聞き、静かに呟いた。「殿は、あの村を『治める』のではなく、あの村人たち自身の力を『信じる』ことを選ばれた。これぞ、真の統治というものかもしれませぬ」
私はその言葉に、内心で首を傾げた。(そんな深い考え、全然なかったんだけどな……。ただ、面倒事を増やしたくなかっただけなのに)
しかし、こうして一つの村が、誰に命じられるでもなく、自主的に「信照の名の下にある」ことを選び取った。この出来事が、後に「保護圏」と呼ばれることになる仕組みの、まさに第一号となったのである。
その日の夜、私は寝所で一人、今日の出来事を振り返っていた。(俺、何もしていない。ただ、困っている人を見て『助けてあげて』って言っただけだ。それなのに、その村は自分たちで自治を選んで、感謝までしてくれる)
私の胸には、これまでにない、ある種の温かい感情が芽生えていた。誰かを守ることができた、その事実が、確かな喜びとして私の中に残っていたのである。
(この調子で、もし他の村も、こんな風に平和に暮らせるようになったら――)
その考えが、この時の私の中に、確かな願いとして芽生え始めていた。しかし、その素朴な願いが、この先どのような形で「保護圏」という壮大な仕組みへと発展していくのか、そして自分自身が、その中心に据えられていくことになるのか――この時の私は、まだ何一つ想像もしていなかったのである。
拠点の外では、この一件の噂が、すでに静かに、しかし確実に広まり始めていた。「あの村は、信照様の旗の下で、今川に襲われずに済んでいるらしい」――そんな噂が、隣村へ、さらにその先の村々へと、少しずつ伝播していくことになるのだった。




