第十四話 軍議の慧眼
第十四話 軍議の慧眼
四天王が揃ったところで、今後の方針を巡る軍議が改めて開かれることになった。これまでとは違い、拠点に集う人数も格段に増え、旧臣たちの意見も無視できないものとなっていた。広間には、四天王に加え、林秀貞をはじめとする旧臣数名も列席していた。
軍議の冒頭、林秀貞が重々しく口を開いた。「今川義元の狙いは、恐らく上洛でございましょう」
その言葉に、居並ぶ旧臣たちが次々と同調した。「左様。天下に号令をかけるべく、京へ向かう足がかりとして、まず尾張を平らげておるのではございませぬか」
「今川家は元より足利将軍家とも縁深き名門。義元公が上洛の意志を持たれるのは、至極当然のことかと」
私はその議論を聞きながら、内心でざわつく違和感を覚えていた。(いや、それ、違うんだよな……。俺が知ってる限り、義元の本当の狙いは、もっと別のところにあるはずなんだ)
大学時代、卒論のテーマとして桶狭間の戦いを扱った際、私は当時最新の研究論文にも目を通していた。従来の「今川義元、上洛説」は、江戸時代以降に作られたイメージに過ぎず、近年の研究では、義元の狙いはむしろ、駿河・遠江・三河・尾張という東海地方全体を、一つの巨大な独立国家としてまとめ上げることにあったとされている――そんな学説を、私は確かに記憶していた。
私は思わず口を挟んだ。「いや、それは違う」
(訳:これだけは俺の数少ない知識で言える。誰かがちゃんと理解しておかないと、対策を間違えてしまう)
広間が一瞬、静まり返った。誰もが驚いた様子で私を見つめている。私は緊張しながらも、記憶を辿りながら続けた。
「義元は上洛になど興味がない。狙いは、駿河・遠江・三河・尾張を一つにまとめた、東海の巨大な国を作ることだ」
私は自分の言葉に、次第に熱を帯びさせていった。かつて大学で学んだ知識が、こんな形で役立つ日が来るとは、正直なところ思ってもみなかったのだ。
「京になど行かずとも、この地を完全に押さえれば、それで十分なんだ。豊かな尾張を完全に吸収し、四つの国を一つにまとめ上げれば、経済的にも軍事的にも、これ以上ないほど強大な国ができる。将軍家には金でも送って操ればいい――義元はそう考えているはずだ」
軍議の場がしんと静まり返った。誰も予想していなかった視点だったのだ。しばしの沈黙の後、林秀貞が震える声で口を開いた。
「殿は、義元の心中を、すでに見抜いておられたのですか……」
「……なんという慧眼」藤吉郎も震える声で呟いた。「殿はすでに、義元の真の狙いを見抜いておられたのですか」
私はただ、大学の講義で学んだ知識を口にしただけだった。だが、その一言は、軍議の場にいる者たちにとって、まさに天啓のように響いていた。
一益が静かに問うた。「殿。その義元の真意を見抜かれたのは、いかなる根拠に基づいてのことでございましょうか」
私は一瞬、答えに詰まった。(まさか『大学の卒論で調べたから』なんて言えるわけがない……何か、それらしい理由をでっち上げないと)
「……義元の、これまでの動きを見れば分かる。桶狭間の後、義元は京へ向かうどころか、尾張の各地に代官を置き、じわじわとこの地を吸収しようとしている。もし上洛が目的であれば、そんな悠長な真似はしないはずだ」
これは、実際に一益たちがもたらしていた情報から導き出せる、それなりに筋の通った推論であった。私自身、咄嗟に絞り出した理屈ではあったが、居並ぶ旧臣たちには、それが決定的な説得力を持って響いたようだった。
「なるほど……。確かに、義元がこれまで見せてきた動きは、上洛を急ぐ者のそれではない」林秀貞が唸るように言った。「殿の仰る通りかもしれませぬ」
利家が興奮した様子で膝を打った。「では、義元は尾張を諦めぬということになりますな! ならば、我らはこの地を死守せねばなりますまい!」
「その通りだ」私は頷いた。「義元が尾張を完全に諦めるまで、この地を泥沼にしてやればいい」
(訳:正面から戦うんじゃなくて、なるべく戦を長引かせて、義元が『尾張なんて割に合わない』って思ってくれれば、それでいいんだ)
四天王はその言葉を、それぞれの解釈で受け止めていった。一益は情報戦の強化を、小六は補給路の遮断を、藤吉郎は経済的な締め付けを、それぞれ思い描いていたようだった。
軍議が終わった後、私は密かに安堵の息をついていた。(よかった……。適当に言ったことだけど、なんとか筋は通ったみたいだ)
しかし、その安堵とは裏腹に、拠点内では、私の発言が「殿は義元の真意を完全に見抜いておられる」という、より強固な確信として広まっていった。
その夜、林秀貞は他の旧臣たちと共に、密かに語り合っていた。
「信照様は、若くしてこれほどの慧眼をお持ちとは……。我らはこれまで、その真価を見誤っていたのやもしれぬ」
「まことに。ただの庶子と侮っておったが、あの御方こそ、この乱世を生き抜くにふさわしい器やもしれぬ」
私はそんな会話が交わされていることも知らぬまま、寝所で一人、複雑な思いを抱いていた。(俺、ただ知ってることを言っただけなんだけどな……。でも、これで少しは、みんなが正しい方向に動いてくれるなら、それでいいのかもしれない)
歴史オタクとしての知識――それは戦国時代を生き抜くための武器にはならないと、これまでの私は思い込んでいた。しかし、この日の軍議を通じて、私はその考えを少しずつ改め始めていた。もっとも、その知識がもたらす結果が、私の意図をはるかに超えて「魔王の慧眼」として神格化されていくことになろうとは、まだ想像もしていなかったのである。




