第百五話 百策伝説の完成
第百五話 百策伝説の完成
義元本隊が、これまでの尾張攻略の方針を、確かに見直しつつある一方で、今川方の陣中では、これまで積み上げてきた「百策伝説」が、もはや、決して覆すことのできない、確かな共通認識として、定着しつつあった。
ある日、今川方の軍監は、これまでの、あらゆる戦の記録を、改めて、一つの、体系的な報告書として、まとめ上げることとなった。これは、義元本隊にとって、これまでの、長きにわたる尾張攻略の、総括とも言うべき、重要な文書であった。
軍監は、この報告書の中で、これまでの、あらゆる敗因を、一つ一つ、丁寧に、振り返っていった。避難による、無人の村々の占領。旗一本による、確かな抑止力。援軍の、予測不可能な集結。そして、常に、我が方の予測を超え続けてきた、様々な対応――そのすべてを、改めて、整理していったのである。
「これまでの、あらゆる戦を、振り返ってみて、確かに、言えることがある」軍監は、独り言のように、そう呟いた。「信照方は、決して、同じ策を、繰り返すことがない。それでいて、その一つ一つの対応は、まことに、単純明快なものだ」
軍監は、この矛盾するように見える事実の、真の意味に、これまで、深く悩まされ続けてきた。しかし、この報告書をまとめる過程で、彼は、ついに、一つの、確かな結論に、辿り着くこととなったのである。
「これは、恐らく、緻密な戦略の産物ではない。むしろ、信照なる者の、その時々における、確かな『本能』とでも、呼ぶべきものが、この、無限とも思える『策』を、生み出しているのやもしれぬ」
軍監は、この結論を、義元本隊への、最終的な報告書に、こう記すこととなった。「織田信照なる者、これまで、我が方の、いかなる作戦に対しても、一度として、同じ対応を取ったことがございませぬ。この事実は、もはや、単なる戦略の巧みさを超え、まさに、『百策』とでも呼ぶべき、底知れぬ対応力の、確かな証にございます。この者を相手に、従来の戦のあり方をもって、決定的な勝利を、収めることは、極めて困難と、断ぜざるを得ませぬ」
この報告書は、義元本隊において、これまでの、あらゆる議論の、まさに、集大成とも言うべき、確かな結論として、受け止められることとなった。義元自身も、この報告書を、深く、そして、慎重に、読み込んでいったという。
拠点においては、私は、こうした今川方の、確かな結論など、まったく知る由もなく、日々の平穏な暮らしを、続けていた。ある日、一益が、この今川方の状況についての、詳細な情報を、私にもたらした。
「殿、今川方は、殿を、まさに『百策の魔王』として、確かに、認識するに至ったようにございます」
私は、その報告に、思わず、複雑な笑みを浮かべた。「そうか……。本当に、俺、そんな緻密な策略とか、全然、考えていないんだけどな」
(訳:本当に、単純に、その時々で、みんなを守りたいって、それだけの想いで、動いてきただけなんだから)
一益は、深く頷いた。「殿。この『百策伝説』は、もはや、単なる噂話の域を超え、今川方にとって、確かな、そして、決定的な、心理的な壁として、機能するに至っております」
私は、その説明に、深く考え込んだ。「そうなんだろうか……。俺、正直、そんな深い意味があるとは、まだ、実感が湧かないよ」
その日の夕刻、私は、四天王を集め、この「百策伝説」の完成について、改めて話し合う機会を持った。「みんな、俺の、単純な優しさや、臆病さから生まれた行動が、こんな風に、大きな伝説として、完成してしまうなんて、本当に、不思議な話だよな」
利家が、力強く答えた。「殿。それこそが、殿の、まことの強さにございます。策略というものは、いずれ、対策を講じられる可能性がございます。されど、殿の御心のように、真に、他者を思う想いから生まれる行動は、決して、簡単に、対策を講じることができぬのでございます」
私は、その言葉に、深く頷きながらも、なおも、複雑な感慨を抱いていた。「そうか……。俺の、単純な想いが、こんな風に、大きな力として、認識されているなんて、本当に、まだ、実感が湧かないよ」
その夜、私は寝所で一人、これまでの日々を、改めて振り返っていた。桶狭間の敗戦から始まった、絶望的な逃避行。それが、こうして、今川方にとって、確かな、決定的な心理的な壁――「百策伝説」として、完成を迎えるとは、まさに、想像を超えた展開であった。
(本当に、これから、どうなっていくんだろうな……。でも、俺は、これまでと変わらず、みんなを守ることだけを、大事にしていきたい)
その変わらぬ決意を胸に、私は、静かに眠りについたのだった。「百策伝説」――この、今川方にとっての、決定的な心理的な壁は、こうして、完成を迎えることとなったのである。そして、この完成は、後に、義元本隊の、より大きな決断へと、繋がっていくこととなるのであった。




