塹壕
閉じられていた馬車の外。
そこでは今、混乱が広がっていた。
僅かばかりにいる兵士たちが動揺し、その動揺を抑えるべき将官までも動揺の色を見せてしまっている。これでは駄目だね……いや、本当に駄目だ。
こちらが攻め手に回ること前提とした作戦を立てていたというのに、受け手に回ってしまえば、その時点で作戦は失敗だ。
「な、何があったんですか!?」
僕が冷静にも現状を分析していた中、自分の隣に座っていた男が馬車から転げ落ちながら周りの兵士に向かって声を張り上げる。
「俺たちは撤退兵だ!フリース王国の連中が反撃してきたんだよ!どっかの馬鹿侯爵家の穴埋めのためにうちの陣地から兵を引き抜いたところを狙われたんだ!フリース王国の反転攻勢だよ!」
戦争開始からしばらく。未だに戦争の攻め手に回っているのはルノア王国だけだった。
だからこそ、油断していたところもあったのだろう。ルノア王国はフリース王国の反撃作戦の開始を容易に許してしまった。
「新兵どもっ!俺がこの場の将だぁっ!」
一兵卒が現状についての説明をした後、ちょうどよく少し離れたところにいる大佐の階級章を付けた男が近づいてくる。
「ここだ!ここに陣を張る!前線の兵士が撤退してくるんだ!スコップだ!スコップを持て!塹壕を掘るんだ!ここが最前線になったんだ!」
その口から出てくる命令は簡潔。
「今!?間に合うわけが!」
そう、信じられない無茶だった。
今、僕たちのいる場所から元あった最前線までそう離れていない。悠長に塹壕なんて作っている暇はそうないだろう。数も圧倒的に足りていない。
数台のトラックに乗って撤退してきた三十名ばかりの兵士と、これから人員の補充として最前線に向かうところだった八名の新兵だけで塹壕を構築するなんて不可能だ。
「だが、やるしか……ッ!」
「邪魔。退いて……塹壕なら、僕が掘るよ」
不可能を可能にするため、この世界には魔法があるのだ。
自分の前に立っていた大佐の階級章をつけた男を端へと退け、地面に手をつけて魔法を発動。広範囲の地形を変え、巨大な塹壕線をただ一人で構築してみせる。
「……ふぅっ」
かなりの魔力を使うが、二千、三千人と活動出来る塹壕を即興で生み出すことが出来た。少し回復すれば、さらにこの塹壕を拡大させることだって可能だ。
「土属性魔法……ッ!?い、いや!?それより何だ、この規模はッ!」
「カーネル大佐ですね?」
土属性の魔法の力。
それを見せつけた僕は改めて、大佐の階級章をつけた男、カーネルへと向き直る。大佐までなら、ギリギリ顔と名前を覚えられている。
「あ、あぁ……そうだが。……君はまだ二等兵だろう。いくら先ほどの魔法でド肝を抜いたからと私への態度はっ」
「申し遅れました。私はウィルアード侯爵家の三男坊、ノアにございます」
「う、ウィルアード侯爵家……っ!?」
実質王族と言える公爵家を除けば、貴族家の中で最も大きい権威を持つ侯爵家。四家しかいない大貴族のうち一角を占める我が家の名声は高い。
子爵家クラスの人間が務めることの多い大佐の人間よりも、僕の方が立場は上だ。父上から正式に家の名前を背負って家族で唯一、戦場に立つ男だからね。
「父上の命に則り、ウィルアード侯爵の名を冠し、馳せ参じました。以後、僕の指揮下に入ってくださいますか?」
「そ、そんな命はっ」
その立場でもって、いきなり最高位の立場を要求していく。
「今、下しているのですよ?見たことくらいはあるでしょう。あまり、表舞台には立っておらずとも、僕は色々と目立っていましたから」
「……土、だが……侯爵家。あの家の、虎の子か」
カーネル大佐は複雑そうな表情をした後、深く頷く。なんか勝手に深く考えてくれたようだ。
実態はただの落ちこぼれの能力がこの戦地にマッチしただけなのだが。
「……先ほどまでの非礼をお詫びいたします。それで、これからは如何なさいますか?」
「構いません。撤退してきた兵を全員この塹壕内に隠しましょう。悠長にも追ってきた敵兵を奇襲でもって撃滅します。肝っ玉据わった精鋭も用意してください。一部の兵を矢面に立たせ、相手にしんがりを出してきたと勘違いさせます」
「……ッ。いや、それは」
「どうせ、何もしなければ敵軍の侵攻に押し負け、潰えていた命でしょう。それに銃の有効射程距離。それは我々の方が上でしょう?こちらの方が先に撃ち始められます。撃ち始めと同時に偽装部隊には塹壕へと身を隠してもらいます。既に塹壕に籠っている我々と、悠長にこちらへと進軍してきている最中であった敵軍と。どちらが撃ちあいで勝つかなど火を見るよりも明らかでしょう」
武器商人をやっているからわかるのだ。
銃火器の性能においてはフリース王国よりもルノア王国の方が上であると断言できる。
「……」
僕が命令を言い終えた後、呆然とこちらを見つめていたカーネル大佐を睨みつける。
「まだ何か、ありますか?」
「い、いえ!ありません。そのようにっ!」
その睨みに突き動かされ、カーネル大佐は大慌てで仕事を始めるのだった。
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