正也のイメージ、ラヴィニアの実態―オープン主人とムッツリ奴隷―:日常会話 風呂(男)
「……疲れた」
どうにかこうにか自宅マンションまで帰宅した僕は、地下駐車場に停めた愛車の中で深い溜息をついた。
古見掛市への亡命が必要な人物を迎えに、異世界に旅立ったのがこの世界の午前四時過ぎ。
それから何ともファンタジーな世界観の中で駆け回り、目的の人物に接触したのが二時間後。後はその人物を古見掛に連れ帰れば良かったのだから、二時間で仕事が済んだことは喜ぶべきことだった。その世界は戦火に見舞われており、剣と魔法があちこちで殺し合いを行っているという危険地帯だった。古見掛から潜入した工作員がどうにか紛争を解決させるべく奮闘してはいたが、何しろ相手は一つの世界情勢だ。簡単にはいかない。
ところが、件の人物は僕にとんでもない事実をぶちまけた。
自分が魔法を用いた兵器開発に従事していたこと。
そして不幸にも、都市一つ消し飛ばすに十分な威力の兵器を完成させてしまったこと。更にはその内の一つが数日、早ければ数時間以内に敵対している国の首都で炸裂するだろうことをだ。
その人物の身上は知っていたが、そんな核兵器染みた物を開発し、完成させていたなんて話は全くの初耳だった。
さらに悪いことに、兵器を完成させて用済みとなってしまったその人物は着の身着のまま。資料の類も何一つなく命からがら逃げだして潜伏していた人物だ。当然ながらその兵器の概要も、外見的特徴も大雑把な説明の他にはさっぱりわからない。
時間のない中、可能な限り詳細な情報を聞き出し、現地の工作員と共同で開発者本人の保護と兵器の捜索を行うという難事をどうにか成し遂げ、無事に保護対象を古見掛に連れ帰った時には、既に日付が変わっていた。
人口密集地帯での大量破壊兵器炸裂を阻止できたのは素直に喜ばしい。保護対象や工作員の面々とも手を取り合い、喝采を上げるぐらいには僕も歓喜した。
が、終わってみれば残るのは凄まじい疲労だ。
まず、下手を打てば万単位の人命が消し飛ぶという時点で心理的なプレッシャーが凄まじく、人目に付かないよう異界の街で未知の兵器を探し回り、それを使おうとしている勢力に接触すれば、説得し、交渉し、あるいは脅し、最後には実力行使したという頭脳的、肉体的疲労も大きい。
最後まで平和な様子を保ってくれた街の景色や、涙ながらに感謝してくれた開発者との会話に心癒されはしたが、元気満々というわけにはいかなかった。
「ふあ~、あぁ……」
大きな欠伸をして、僕はよろよろと車を降りる。
そのまま運転席で眠ってしまいたい気持ちもあったが、汗や埃に塗れたまま寝るのは気が進まなかったし、季節は冬だ。いくら屋内とは言え風邪をひくには絶好の環境で眠れるほど僕は図太くはない。
「うぅ、脚が重たい……」
土と煤に塗れた革靴を引きずり、エレベーターに乗り込む。
壁に寄り掛かり、頭上から圧し掛かるような加速度に抵抗する。一階、二階と変化していく階層表示がまだるっこしい。
『ドアが開きます』
「よろしくどーも」
電子音声に返事を返し、やはりよろよろとエレベーターを降りる。
決して長くはない筈の廊下を懸命に進み、ようやく懐かしの我が家へと帰り着く。
「ただいまぁ……」
ドアを開け、呟いた僕を迎えたのは白い清潔なLEDの灯りと、
「おかえりなさい、だ。ご主人」
留守番を任せていた、可愛い従者の声だった。
「ラヴィニア、先に休んでてって言ったのに」
帰って来るなり、ご主人はそんな事を言う。
「そう言うな。せっかく明日は休みなのだから、疲れて帰ってくる主を出迎える権利くらいは認めてもらいたいものだ」
私は主に小さく反論する。
「そりゃ嬉しいけど、もういい時間だよ? 僕が帰るまで待ってることはないんだけど……」
「無理まではしない。それであなたに迷惑を掛けては本末転倒だからな」
ご主人が気だるげに脱いだコートと上着を受け取り、ポケットの中身を抜いてクリーニング行きの籠に入れる。
「まあ、無理しない範囲ならするなとまで言わないけど。ちゃんと自分の事は労わってよね?」
「何と言うか、今のあなたが言ってもまるで説得力がない」
ご主人の姿は、はっきり言って痛ましい。
疲労の為か目の下にはクマが浮かび、目自体も半ば閉じられている。髪はボサボサに乱れ、土埃や煤に塗れているし、上着の下のシャツやスラックスも酷い有り様だ。毎度の事ではあるし、私も同じような格好になることは少なくないが、それでも人の事より自分を労われと言いたくなるような格好には違いない。
「……それは、そうかもしれないけど」
「だろう? もうすぐ風呂が沸くころだから、温まって来ると……」
そこまで言ったのと同時に、壁に据え付けてある給湯器の操作盤がピーピーと音を発した。
「訂正だ。たった今、風呂が沸いたから温まって来ると良い」
「……やれやれ、僕には過ぎた奴隷だよ」
疲れ切った顔に微かに苦笑を浮かべ、くしゃりと髪を撫でてくれる。
「さて、どうだか。私としては、あなたに相応しい奴隷になれるよう常に努力しているつもりなのだが?」
「あー、撤回しよう。流石、僕に仕えてくれているだけある」
「よろしい。さあ、早く汗を流して来てくれ。その間に夕食を暖めておく」
「晩御飯までか。至れり尽くせりだね。じゃ、お言葉に甘えようかな」
どうせ満足に食事も摂っていないだろうことは容易に想像がつく。
こんな時間に夕食というのも良くないかもしれないが、空腹で眠りが浅いなどということになると明日一日ご主人は満足に動けないだろう。それも色々とよろしくない。何しろ余暇を大切にする人だ。
「じゃ、有難く頂いて来るよ」
「ああ。ごゆっくり」
「ったく、ラヴィニアってば。日に日に気が利くようになっちゃって」
熱めの湯に浸かりながら独りごちる。
湯の温度も一番僕好みになっているあたり、本当によく気が付く子だ。元々気配りの出来る子だったのだろうけれど、僕の趣味嗜好を知るにつれて益々気の利きっぷりに磨きが掛かっている。
「ホント、主人としては誇らしいし、嬉しいんだけどなあ……」
その一方で、もう少し手の掛かる子でいてもいいんじゃないか、などとも思う。
何しろ彼女は苦労人だ。生まれも育ちも決して喜ばしい境遇にいたわけではない。幸せな時代は、知識、記憶の中では過ごしていても、そこに実体験は伴っていない。あくまでもその体験は彼女の複製元になった人物の物で、本人は過酷な生活しか知らないはずだ。
気丈で強いのは喜ばしいし、僕としても頼もしいとは思う。
けれども、彼女は僕に仕えてからこっち、ずっと良き従者でいてくれている。ある程度わがままを言ったり失敗したりして、こちらの手を焼かせてくれても罰は当たらないだろうに。
「杞憂かもだけど、心配にもなるのは僕が過保護なのかなぁ」
ラヴィニアは確かに強い子には違いない。けれども、それはあくまでも強いというだけだ。確かに普通の人間に比べれば齢を重ねているし、荒波にも揉まれているようだから、タフではあるだろう。それでも、同時に感受性が強く生真面目だ。強さと繊細さを兼ね備えているというのは、初対面の時からじわじわと感じてきていることでもある。
とにかく僕の傍に控えてくれているのは嬉しいけれど、ちゃんと気分転換やストレス発散が出来ているかというのは気に掛かる。
「最近は留守番くらいは当たり前にやってくれてるけど、ふむ……」
仕事の部下というか、教え子として見ても、出来が良すぎて逆に心配というのは贅沢な悩みだろうか。
「また、そういった話もしてみようかな……」
湯の心地よさに少しばかりうとうとしながらそんなことを考える。
「ありがとう、ラヴィニア。いいお湯だったよ」
「そうか。喜んでもらえたなら何より……」
ご主人の声に振り向いた私は、そのまま数秒間停止した。
「……? どうかした?」
「い、いや! なな何でもないぞ!?」
不審に思ったご主人の問いかけにしどろもどろになりながら返してしまい、ご主人はますます首を傾げる。
「ま、まあいいだろう? それより、夕食が温まっているから、気が向いたら食べて欲しい」
「う、うん。それじゃいただこっかな……?」
私が既に盛り付けの準備に入っているからか、ご主人はそのままテーブルに着いてくれる。
(い、いかん。落ち着け落ち着け……)
自分でもわかるぐらいに、私は動揺していた。
(は、反則に過ぎる……!)
テーブルに着き、怪訝そうにこちらを見やっているのは私の主、本条正也だ。
だが、今のご主人は普段と少し装いが違う。
腹を満たしたら眠るだけなのでその格好は気楽そうなものだ。いつもなら脱衣場で完全に着替えてから出てくるのだが、流石に今日はそれも億劫らしい。
スラックスとシャツではなく、ジーンズにランニングという少々無防備な格好で、まだ湿り気の残る髪をタオルでくしゃくしゃと拭く仕草。
上気した身体から微かに湯気を立てながら物憂げな表情で髪の毛から水気を取る様子、二の腕から脇に続く引き締まった筋肉と、あまり普段あまり目にすることのない姿は、私がサキュバスであることを差し引いても少々魅力的に過ぎる。
「この匂いは、カレーかな?」
「ああ。もしあなたの帰りが遅くなっても、一晩置いて食べられるからな」
「流石、いい判断をするね」
カレールーを掬っていたお玉が、盛りつけようとしていた更にガチンとぶつかる。
「……どしたの?」
「なな、何でもない。少し手元が狂っただけだ、うん」
ご主人は小さなことでも普段からよく褒めてくれる。そう、私は褒められ慣れている。
(だから落ち着け! この程度で取り乱すな!)
主の妙に色気溢れる姿を見てしまったせいか、その一挙手一投足が気に掛かる。どうにか更にカレーを盛り付け、テーブルに運ぶのが手一杯だ。
「えと、大丈夫ラヴィニア? 何だか様子が……」
「心配ない。じ、時間も時間だからな。少し気が緩んだようだ」
「僕はもう大丈夫だから、もう休んでよ。流石にしんどそうな君を見ながらじゃ、食が進まない」
「す、すまない。では、先に失礼する」
気遣いの言葉にこれ幸いと従い、軽く会釈してご主人の前を辞す。
「ゆっくり休んでもらうか、あるいは気分転換にどこかにでも連れて行ってあげた方がいいかな……」
ドアの向こうで主が何やら呟いていることにも気づかず、私は自室にそそくさと逃げ込むよりなかった。
なお、翌日私はご主人に連れられてあちこち遊びまわることになるのだが、当然この時点ではそんなことを知る由もない。




