第3節:『歪な力関係』
ズズズズ……。工房の防爆扉が、悲鳴のような音を上げて開きました。
助手席の窓をコンコンと叩く音がしました。ヴィオラさんが、隙間から無造作に革袋を放り込んできます。
「……持って行きなさい。餞別よ」
私が受け止めたのは、古びた革張りの端末と、数本の注射器のようなカプセルでした。
「端末には『300年前の世界地図』が入っている。地形は変わっているだろうけど、方位磁針くらいにはなる。……それと、カプセルは濃縮色彩液。緊急時の燃料兼回復薬だ」
「ヴェール、あんたの色漏症の発作も、それで一時は抑えられる。……無駄遣いするんじゃないよ」
「へぇ、気が利くねぇ。サンキュ、ババア」
ヴェールさんが口笛を吹き、カプセルを懐へ仕舞い込みました。
その直後。
ヒュオオオオオッ!
扉が完全に開くと同時に、風が、泣いていました。塔の中では決して聞くことのなかった、乾いた暴風の音。開いた隙間から、灰色の砂塵が猛烈な勢いで吹き込んできます。
運転席のヴェールさんが腕で顔を覆いました。
「これが外だ。……深呼吸するなよ、肺が腐るぞ!」
私は、リアの口元を慌てて袖で覆いました。視界の先にあるのは、色なんて一つもない、無限に続く灰色の荒野。空は鉛色に淀み、太陽さえも灰の雲に隠れて見えません。
これが、私たちがこれから挑む世界。アイゼンが教えてくれた「外」は、想像していたよりもずっと残酷で、乾いていました。
「……出すぞ。舌噛むなよ!」
ヴェールさんがレバーを乱暴に押し込みます。ドゴォォッ! 装甲車が獣のように咆哮を上げ、工房から飛び出しました。
走り出して十分も経たないうちに、私はヴィオラさんがこの車を「鉄の棺」と呼んだ理由を理解しました。乗り心地は最悪です。巨大なタイヤが地面の岩を噛むたびに、脳味噌まで揺さぶられるような激しい振動が走ります。防音材などない鉄板一枚の向こう側からは、ジャリジャリと砂が装甲を削る音が絶え間なく響いていました。
「……うぅ、おねえちゃん、みみがいたいよぉ……」
「ちょっとだけ我慢してね、リア。私がついてるからね」
私はリアの頭を抱え込み、耳を塞いであげました。塔の中の、あの無音で清潔な環境とは正反対です。ここは騒音と、油と、焦げた灰の臭いが充満する鉄の胃袋の中。アイゼンがいれば、彼の膝にリアを乗せて、振動を吸収してくれたかもしれない。ふと、空いたスペースを見てしまい、胸が締め付けられます。いない。もう、あの頼もしい背中は、ここにはないのです。
「チッ、これだから旧式は。サスペンションも死んでやがる」
運転席のヴェールさんが、不機嫌そうにハンドルを握りしめています。正面にあるのは窓ではなく、外部カメラの映像を映す「スクリーン」だけ。しかし、その映像もノイズだらけで、外の景色は灰色の砂嵐に塗り潰されていました。
「おいマシロ。行き先はどうなってる」
「ええと……ヴィオラさんの計算だと、このまま南南西へ。最初の『彩』の反応がある廃都エリアまで、直線距離でおよそ400キロメートルです」
「400だぁ? この嵐の中でかよ。……チッ、数日は野宿確定だな。……おい、それに」
ヴェールさんが、バックミラー越しに私を睨みました。その目は、獲物を値踏みするような鋭さを持っていました。
「俺は運転手じゃねえぞ。……次に『彩』を見つけたら、『上澄み』は俺がもらう」
私は一瞬、言葉を詰まらせました。「上澄み?」
「俺の体質は知ってるだろ。常に漏れてるんだよ、中身が。……7色だか何だか知らねえが、お前が集める『結晶』から滲み出る余剰エネルギーくらいは、手数料として貰わねえと割に合わねえ」
彼は私の強張った顔を見て、鼻で笑いました。
「何、ビビるなよ。お前の色を取るわけじゃねぇよ。……たぶん、な」
「……分かっています」
喉の奥で屈辱を飲み込み、私は頷きました。彼がいなければ、車は動かせない。外敵とも戦えない。それが今の私たちの、歪な力関係でした。
ズドォン!! その時、車体が大きく跳ね上がり、何かに衝突した衝撃が走りました。
「きゃあ!?」
「クソッ、視界ゼロだ! 岩か何かに乗り上げたぞ!」
直後、ブスン、ブスン……と、エンジンの咆哮が咳き込むような音に変わります。ゴボッ、という嫌な音と共に、車内の灯りがフツリと消えました。投影ガラスの光も落ち、私たちは完全な闇の中に放り出されました。
「……と、止まった?」
「吸気口が詰まったんだろ。外はあの嵐だ、灰の濃度が想定より高ぇんだよ」
ヴェールさんが暗闇の中で何かを蹴飛ばす音がしました。シーンと静まり返った車内。聞こえるのは、外で吹き荒れる暴風が鉄板を叩く音だけ。カン、カン、バラバラ……と、小石が当たる音が不機味に響きます。
「……ヴェールさん、直せるの?」
「無理だ。この嵐の中で外に出たら、肺が灰で埋まって窒息するぞ。……嵐が止むまで待機だ」




