第2節:『凍てつく別れと、残酷な宣告』
「……やっぱり、そうなんですね」
私は、驚くことも、泣き叫ぶこともしませんでした。ただ、胸の奥にあった冷たい靄が、すっと晴れたような気がしました。
(記憶がないのも、痛みや恐怖に鈍いのも……私が人間として不完全だから)
「……否定しないのかい?」
ヴィオラさんが、眉をひそめて私を見ました。普通の少女なら、自分が人間じゃないと言われたら泣き出すところでしょう。
「はい。……薄々は、分かっていましたから。私には『過去』も『自分』もありません。あるのは、アイゼンを直したいという『機能』だけです」
私は、自分の右腕――黒く変色した「フィルター」をそっと撫でました。
「なら、好都合です。この体が『道具』なら……壊れるまで使い潰しても、誰も悲しまない」
「……っ、この馬鹿娘が」
ヴィオラさんが、忌々しそうに舌打ちをしました。
「自分を勘定に入れない計算をするな。……見ていて胸糞が悪い」
「お前は『色』という猛毒を濾過するフィルターだ。能力を使うたびにフィルターが目詰まりを起こし、内側から腐っていく。……いいかい、マシロ。この黒が鎖骨を越え、心臓に達した時が、お前の最期だ」
「最期、とは……死ぬということですか?」
「人間の形を保てなくなる。砂になって崩れ落ちるか、あるいは自我を失った『色の化物』に成り果てるか。……どちらにせよ、助かる見込みはない」
心臓。
私は無意識に、自分の胸に手を当てました。あと、数十センチ。それが、私の命に残された猶予。
「……ヴィオラさん。教えてください。母様は……カルミナは、この力で世界を救ったんじゃないんですか?」
「救済? ハッ、笑わせるね」
ヴィオラさんは鼻で笑いました。
「あれは『癒やし』なんて優しいもんじゃない。**『管理』と『改竄』**だ」
「改竄……」
「他者の色(命)を奪い、別の場所に塗りたくる。あるいは自分の色を分け与えて、相手を自分の意のままに作り変える。……あれは、世界を自分好みの色に塗り潰す、侵略者の力だ」
彼女は、私の目を真っ直ぐに射抜きました。
「お前がやろうとしていることは、それと同じだ。アイゼンを治すために、お前は世界中から色を奪い、自分の命を削って注ぎ込む。……それは『愛』に見えるかもしれないが、客観的に見れば『狂気』だ」
ヴィオラさんは一歩近づき、私の顔を覗き込みました。
「それでも、行くのかい? その鉄屑を治すためだけに、自分を使い潰すのか?」
工房に、冷却ファンの低い駆動音だけが響きます。私は、ガラスの向こうで眠るアイゼンを見ました。そして、震える手で自分の右腕を――呪われた「侵略者の腕」を、強く握りしめました。
怖くないと言えば嘘になります。自分が母様と同じ怪物になってしまうかもしれない恐怖。もう二度と、アイゼンの声を聞けなくなるかもしれない恐怖。
でも。
「……はい。行きます」
私は顔を上げました。
「アイゼンがいない世界で、ただ怯えて長生きするくらいなら……私は、彼を治して、一秒でも長く隣にいたい」
「……そうか」
ヴィオラさんは短く息を吐き、少しだけ口角を緩めました。
「なら、好きにしな。……馬鹿な娘ほど、手がかかるもんだ」
―――
「……湿っぽいのは趣味じゃないわ。さっさと行きなさい」
ヴィオラさんが、顎で出口をしゃくりました。工房の奥にある、巨大な防爆扉。その向こうが「外」です。彼女は私の方を見ず、キーボードを叩き続けています。けれど、その背中が「必ず守り抜く」と語っているように見えました。
「ヴィオラさん。……お願いします」
「勘違いしないで。これは私の興味のためよ。……死んでこい、とは言わないわ。足掻いてきなさい」
それが、彼女なりの激励でした。
私は深く頭を下げ、再び装甲車へと乗り込みました。
「おう、出迎えご苦労さん。……じゃあな、ババア」
運転席でハンドルを握るヴェールさんが、短く片手を上げます。ヴィオラさんは振り返らず、煙草の煙をふっと空中に吐き出しました。
バン! と重い扉を閉めます。
今度こそ、本当のお別れです。隣にはヴェールさん。後ろにはリア。
けれど、一番大きな席だけが、ぽっかりと空いていました。




