第4節:錆びた規律の終わり
それは戦いというより、ゆっくりと行われる解体作業に近かったと思います。
ガギィン。
アイゼンの拳が、襲いかかる警備兵の頭部を粉砕します。それでも、倒れません。頭を失った鉄の人形は、痙攣しながらなお、残った腕を振り回し、アイゼンの装甲に爪を立て続けていました。痛みも恐怖も、そこにはありません。ただ、擦り切れた命令だけが残っているのです。
「……チッ」
ヴェールさんが舌打ちし、別の個体の関節を短剣で抉りました。刃が触れた瞬間、かすかな光が彼の指先へ吸い込まれ――すぐに途切れます。ヴェールさんの顔が、心底うんざりしたように歪みました。
「からっぽだな。三百年も放っときゃ、そりゃあそうかよ」
奪っても、ほとんど何も戻ってきません。この鉄の亡霊たちには、もう絞れる色がほとんど残っていないのです。
ジリジリと、包囲が狭まっていきました。アイゼンが私とリアを背に隠すように円を描いて後退するたび、その背中に刻まれる傷が増えていきます。赤錆の上には、新しい銀色の傷跡がいくつも走っていました。
「……あ、あ……」
腕の中で、リアが震えています。暗い地下、迫り来る鉄の腕、信じていた「大人」に捨てられた記憶。それらが限界まで積み重なった時、彼女の中で何かが音を立ててひび割れたように見えました。
「――こないで!! 」
少女の悲鳴が、空気を震わせます。
カッ。
視界の端が、一瞬だけ黄金色に滲みました。リアの身体の内側から、あの塔の頂上で嗅いだのと同じ――甘くて気持ち悪い光の匂いが立ち上ってきます。瞳の琥珀が、熟しすぎた果実のように濃く光り始めました。
(……だめ)
直感で分かりました。これは防衛本能なんかではありません。この子の器には重すぎる、「鍵」としての力が暴れようとしているのです。
瓦礫を踏み越え、一体の警備兵がリアへと跳びかかろうとしていました。リアがそれを睨みつけます。光が、そこに集まろうとします。
考えるより先に、私は動いていました。
私は片手でリアの頭を引き寄せ、その視界を掌で覆い隠しました。
「……マシロおねえちゃ――」
「見ちゃだめ」
短くそう告げて、私はリアを背後へ押しやりました。代わりに前へ出ます。ひしゃげた鉄の腕が、まっすぐ私の方へ振り下ろされました。
汚れるのは、私だけでいい。壊す手も、壊される景色も、この子に見せる必要なんてありません。
私は右手を突き出し、その冷たい胸板に触れました。
(色よ――)
詠唱はいりません。ただ、願いとイメージだけを叩き込みます。
(――この器が抱え切れないほどに、戻れ)
ドクン。
心臓がひときわ強く脈打ち、右腕の黒い結晶が熱を帯びました。私の中の色が、噴き出すように鉄の殻の中へ流れ込んでいきます。命綱を、わざと一本の壊れかけた橋に全部括りつけるような、愚かなやり方で。
「……ア……ガ……?」
警備兵の動きが、ぎくりと止まりました。錆びついた回路に、三百年前の全盛期ですら持ち得なかった濃度の色が、無理やり押し込まれます。止まっていた歯車が悲鳴を上げて回り、固着していた関節が、あり得ない速度で震え始めました。
色は命であり、熱そのものです。もろい鉄の器に、海を無理やり詰め込めばどうなるか。……答えは、破裂です。
バヂヂヂヂヂ。
次の瞬間、装甲の継ぎ目から青白い火花と煙が噴き出しました。器の許容量をはるかに超えた色は、生命を与えるどころか、内側からすべてを焼き切る毒になります。
鉄の体は悲鳴を上げる暇もなく、膝から崩れ落ちました。さっきまで腕を振り回していたそれは、今度こそ、本当にただの鉄屑に戻ったのです。
「……はっ、……っ」
肺が焼けるように痛みました。右腕は、熱いのか冷たいのかも分かりません。それでも、私は次に飛びかかってきた影へと、再び手を伸ばしました。
一体。二体。三体――。
触れるたび、黒い結晶が腕の内側を這い上がってくる感覚がしました。手の甲を、手首を、じわじわと塗りつぶしていきます。それでも止まれば、今度はリアの光が暴れる番です。
(私が壊れる方が、まだマシだから)
よく分からない理屈を、必死で自分に言い聞かせました。視界の端が暗くなった頃、ようやく、鉄の足音が止まりました。
*
白い煙が、薄く漂っています。線路の上には、黒く焦げた警備兵の残骸が十数体、無造作に転がっていました。
「……おい、マシロ」
遠くで呼ぶ声がしました。私は遅れて、自分の右腕へ視線を落としました。
黒い結晶の根が、手首を覆い尽くし、前腕に黒い筋が数本走り始めています 。指先は、炭のように黒く固まり、感覚が薄くなりました 。触れているはずなのに、膜越しみたいに遠い。力を込めれば動きます。……けれど、そこに“私”がいないのです 。
けれど。
背中に回した左腕の中で、リアは無傷でした。さっきの黄金の光も消え、今はただ怯えたように、私の服の裾を強く握りしめているだけです。
(……よかった)
胸の奥から、力が抜けていくのを感じました。アイゼンの重い足音が近づいてきて、その巨大な影が私たちを包みます。
「……おい」
ヴェールさんが、私の黒く染まった右腕を冷ややかな目で見下ろしていました。
「鉄屑相手に、自分の寿命をベットする馬鹿がどこにいる」
「……他になかったから」
「あるだろ。逃げるとか、俺を盾にするとかよ」
彼は心底理解できないというように首を振り、短く鼻を鳴らしました。
「……効率の悪い生き方だ。見てるだけで胃が痛くなる」
そう吐き捨てると、彼は私への興味を失ったように、さっさと歩き出してしまいました。
暗い地下迷宮の入り口。錆びた規律の亡霊を踏み越えても、この先に待つものはきっと、もっと酷いのでしょう。それでも――私たちの旅は、まだ終わりません。
私は、凍えた右腕を抱きしめるように押さえながら、静かに息を吐きました。
第9章 「硝子の手と錆びた規律」 完




