第3節:錆びた規律
闇の奥から這い出してきたのは、鉄とボロ布の塊でした。
大きさはアイゼンと同じか、少し小さいでしょうか。かつては白銀だったであろう装甲は赤黒く錆びつき、関節の隙間からは、血のようにドロリとした黒いオイルが垂れています。
人の形を模してはいますが、決定的に何かが欠落していました。
頭部に嵌め込まれた単眼の硝子の玉。そこに宿っているのは、意思ある光ではありません。ただ命令を反芻するだけの、濁った光でした。
「……ハイジョ。……キケン因子、排除……」
壊れたオルゴールみたいな同じ言葉が、胸の穴から何度も繰り返し這い出てきます。
それは言葉ではありませんでした。三百年前に刻まれた「規律」の残骸です。
「……旧式の『警備兵』か。まだ動く個体が残っていたとはな」
ヴェールさんが短剣を抜き、私の前にスッと立ちました。その声には、敵への警戒よりも、哀れみにも似た色が混じっています。
「警備兵……?」
「昔の文献じゃ『番犬』って呼ばれてたらしいぜ。市民を守るはずが、今じゃ動くもの全てを噛み殺す鉄屑だがな。……おいマシロ、下がってろ。こいつらはもう、守るべき市民と敵の区別もついてねえ」
ギギ、ガァッ。
警告を待たず、鉄の人形が地面を蹴りました。見た目に似合わぬ突進速度。右腕に固定された警棒が、無慈悲な質量となって私たちに振り下ろされます――。
その一撃が届く寸前、巨大な影が割り込みました。
ドォオオン。
重金属同士が激突する、腹の底に響くような轟音。火花が暗闇を裂きます。
「……アイ、ゼン?」
私の目の前で、アイゼンが敵の一撃を、自身の腕で受け止めていました。ミシミシと装甲が軋みます。アイゼンの足元のコンクリートが、衝撃で蜘蛛の巣状にひび割れていきました。
敵の単眼が、至近距離でアイゼンを見つめます。ジジ、と硝子玉が焦点を合わせようと蠢きました。
「……識別。……同型機? ……否、エラー。……所属不明……ハイジョ」
かつての同僚。あるいは、量産された兄弟。けれどアイゼンは、躊躇うことなく敵の腕を弾き返しました。
ゴオオオオッ。
アイゼンの背中から、怒りのような熱風が噴き出します。彼は無言のまま、敵との間に割って入りました。私とリアを、その身一つで遮断する「鋼鉄の壁」になるためです。
(……似ている)
私は震える手で、自分の胸元を握りしめました。
目の前の敵は、ただ命令に従って「排除」を繰り返すだけの機械です。もし私が塔から落ちていなければ。もしアイゼンが「心」を獲得していなければ。彼は、あんなふうに――ただ壊れるまで戦い続けるだけの、虚ろな鉄屑になっていたのかもしれません。
それは、あり得たかもしれない私たちの「末路」でした。
「……マシロ! 呆けている場合か!」
ヴェールさんの鋭い声で、思考が現実に引き戻されました。
「一体だけじゃねぇぞ!! 」
地下を走っていた鉄の箱。その割れた窓の暗がりから、無数の赤い光が灯りました。二つ、三つ、五つ……。
錆びついた亡霊の群れが、ギシギシと関節を鳴らしながら、私たちを取り囲むように溢れ出してきます。それはまるで、死んだ都市そのものが、生者である私たちを拒絶しているかのようでした。




