第1節:硝子の手と温かいスープ
暗渠を抜け、地下迷宮の入り口となる広場に出た頃には、私の感覚はもう、半分ほど死んでいたのかもしれません。
巨大な通気ダクトの下、風が吹き込まない瓦礫の陰。そこで私たちは、泥のように重い足を止めました。
「……おい、そこのチビと鉄屑。飯だ」
不機嫌そうな声が、湿った空気を揺らします。ヴェールさんです。彼は慣れた手つきで携帯コンロの火を調整すると、温まった缶詰の中身を器に分け入れていました。
「ったく、俺は子守りじゃねぇんだぞ。……ほら、食え」
悪態をつきながらも、彼は一番具が多くて温かい器を、リアの前にドンと置きます。
リアは、アイゼンの足元にちょこんと座り込んでいました。小さな手には、汚れた布切れが握られています。彼女はずっと、アイゼンの脚部装甲についた泥を、一生懸命に拭っていたのです。
「……ありがとう、おにいちゃん」
リアが顔を上げました。その笑顔は、以前のような屈託のないものではありません。どこか顔色を伺うような、捨てられないための必死さが滲む、脆い笑顔です。
彼女は器を受け取ると、ふうふうと息を吹きかけ、それをアイゼンの膝元へ差し出しました。
「アイゼンも、食べる?」
返事はありません。ただ、赤錆だらけの巨体が、彼女を包み込むように僅かに身を屈めるだけでした。リアは少し寂しそうに笑うと、小さく一口、スープを啜ります。
「……お前もだ、マシロ」
ヴェールさんが、残りの一つを私に投げてよこしました。私は慌ててそれを受け止めます。チャプ、と中の液体が揺れ、湯気が顔にかかりました。
「……あ」
私は、自分の手の中にある器を見つめました。湯気が立っています。喉がひりつくような匂いが鼻を刺します。
けれど――熱くありません。
右腕だけではありません。全身が、薄い硝子の膜に覆われてしまったみたいでした。みんなの言う「温かさ」は、その向こう側で揺れているだけで、私には触れられません。
(……そっか。これだけ壊したんだもん、当然だよね)
私は諦めるように息を吐き、冷え切った指先でスプーンを持ち上げました。その時です。
ふに、と。反対側の左手に、柔らかい感触が触れました。
「マシロおねえちゃん」
リアでした。彼女は私の隣に座り込むと、心配そうに私の左手を両手で包み込みます。
「て、つめたいよ? だいじょうぶ?」
――え?
ドクリ、と。止まりかけていた心臓が跳ねた気がしました。
熱いスープの温度は分からないのに。リアの小さな手のひらの温度だけが、驚くほど鮮明に、私の皮膚を突き抜けて伝わってきたのです。じんわりと、痛いほどの温もりが、凍りついた私の輪郭を溶かしていきました。
(……ああ)
私は知らず知らずのうちに、その手を強く握り返していました 。世界から色が失われても、私の体が硝子になっても 。この子の体温だけは、まだ私に届くのです。
「……ううん、大丈夫だよ」
私は精一杯の力で、口角を持ち上げました。
「リアの手、すごく温かいから。……それだけで、十分だよ」
リアと絡めた私の左手を見下ろすように、アイゼンの赤い瞳が、蒼く明滅した気がしました。
私たちは寄せ合うようにして、冷たい迷宮の入り口で、束の間の「食事」を喉に流し込みました。




