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色彩搾取の灰色世界で、不器用な魔女は鉄の騎士に命を捧ぐ 〜クロマティック・ウィッチ〜  作者: w.t.
8章:痛みの羽化

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第4節:壊れた硝子の沈黙

 どれくらいの時間が経ったのか。アイゼンの足元から響いていた慟哭は、次第に嗚咽へと変わり、やがて糸が切れたような寝息へと溶けていきました。アイゼンの眼に灯った青い光が、眠るリアの頬を優しく撫でるように揺れました。その光は、私が注いだ命の色。彼が私の代わりに、リアの絶望を鎮めてくれているようでした。


 彼がゆっくりと、その巨大な体を起こします。そこには、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしたリアが、泥のように眠っていました。熱は完全に引いています。けれど、その寝顔には以前のような無邪気な安らぎはありません。眉間に深い皺を寄せ、何かから逃げるように体を小さく丸めています。


 「……おい」


 低い声が、静寂を破りました。ヴェールさんです。一瞬だけ、リアの寝顔に視線を走らせてから、真っ直ぐに私だけを睨みつけていました。その瞳には、恐怖と、軽蔑と、理解しがたいものを見るような色が混ざっています。


 「お前、あいつに何をした?」


 「熱を下げ、砂の毒を中和しました。それだけです」


 私は淡々と答え、アイゼンの影に隠れるようにして、震える体をさすりました。寒い。骨の髄まで凍りつきそうです。リア一人分の「色」を補うために、私の体温の半分以上を持っていかれた気分でした。


 「『それだけ』なわけあるかよ」


 ヴェールさんが一歩、詰め寄ります。

 「あいつは叫んでたぞ。親に捨てられたとか、笑顔がどうとか……。お前が色を入れた瞬間、あいつの中で『何か』が弾けたみたいにな」


 「……彼女が忘れていた真実が、毒と一緒に吐き出されただけです」


 「真実だぁ?」


 ヴェールさんは呆れたように鼻を鳴らし、自分の乱れた髪を乱暴にかき上げました。

 「お前……自分でも気づいてないのか? お前がやってるのは『治療』じゃねぇよ。無理やり傷口をこじ開けて、中の膿をぶちまけてるだけだ。……確かに命は助かったかもしれねぇが、ありゃあ見てて気分のいいもんじゃねぇな」


 彼の言葉は、ナイフのように的確でした。救済=暴力。ヴィオラさんが言いたかったことの一端を、私は今、自らの手で証明してしまったのです。


 「それでも、生きていなければ意味がありません」


 私は、眠るリアを抱き上げました。予想以上に軽く、そして温かい。私が失った熱が、この子の中で脈打っている。その事実だけが、今の私を支える唯一の理屈でした。


 「行きましょう。……ここに留まれば、また彼らが来るかも……」


 私は彼に背を向け、歩き出しました。アイゼンが、無言で私の後ろに続きます。ヴェールさんはしばらくその場に立ち尽くしていましたが、やがて「チッ、これだから魔女は」と悪態をつき、重い足取りでついてきました。


 暗渠の先。微かに風の流れが変わりました。湿った空気の中に、錆びた鉄と、どこか懐かしい雨の匂いが混じっています。長い闇の道を進むうちに、リアの瞼が微かに震えました。


 「……ん……おねえちゃん?」


 小さな声。私は歩みを止め、彼女を見下ろしました。熱は下がっていますが、その黄金色の瞳はどこか虚ろで、焦点が定まっていません。


 「起きた?……大丈夫、私がいるわ」


 「……ここ、どこ?……おかあさんたちは?」


 「……」


 彼女の記憶は混濁しているようです。先ほどの絶叫を覚えているのか、それとも忘れてしまったのか。私は彼女を地面に降ろしましたが、リアは力なく私の服の裾を握りしめ、縋るように体を預けてきました。まるで、離れたら二度と戻れないと恐れるように。


 「……こわいよぉ……おねえちゃん……」


 「大丈夫。私が守るから」


 私は彼女の小さな手をぎゅっと握り返しました。その手は温かいけれど、震えています。私が与えた「真実」の棘が、まだ彼女の心に深く突き刺さっているのです。


 やがて、私たちは分厚い鉄の隔壁の前に辿り着きました。ヴィオラさんの言う「境界層への入り口」です。分厚い鉄の扉には、警告の赤い文字が()びついたまま残っています。その時、耳の奥でジジ、と雑音が走りました。


 『――聞こえるかしら?』


 私は思わず耳に手を当てました。ヴィオラさんの声です。


 『そんなに驚かないの。……骨董品だから、動作確認くらいさせなさい』


 彼女の声は、いつもの紫煙混じりのだるそうな調子でした。


 『いい、マシロ。ここから先は私の管理圏外よ。境界層に入れば通信が途切れる。……聞こえなくなったら、アイゼンを信じなさい』


 「……はい」


 『ヴェールも聞きなさい。チビ(リア)の面倒はあんたの仕事よ。マシロは自分のことで手一杯だから、足手まといにならないように』


 「ケッ、うるせぇな」


 ヴェールさんが舌打ちしますが、素直に頷いています。しばしの沈黙。紫煙を吐き出す音が、微かに聞こえた気がしました。


 『……それと』


 ヴィオラさんは、らしくもなく言葉を探しているようでした。


 『――壊れて戻ってきても、いいわよ。部品が足りないなら、また拾ってきてあげる』


 それは命令ではなく、不器用な許可のように聞こえました。


 『じゃ、せいぜい死なない程度に頑張りなさい。……ほら、さっさと行きなさい』


 プツリ、と通信が切れました。照れ隠しのような、ぶっきらぼうな切り方でした。


 第8章 「痛みの羽化」 完

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