第1節:暗渠(あんきょ)の体温
隔壁扉が閉まった瞬間、世界から一切の光が消えました。
足元をかすかに照らすのは、ヴェールさんが持つ古い手回し式のランタンと、アイゼンの眼が放つ、深い青の光だけです。
湿ったコンクリートの壁。どこかで水が滴る音。
ヴィオラさんの工房にあった油の匂いとは違う、もっと古くて、カビ臭い、生き物のいない墓所のような匂いが立ち込めていました。
「……ねぇ、おねえちゃん。とっても、くらいねぇ」
リアが私の服の裾をぎゅっと握り、ひらがなをなぞるような拙い口調で囁きました。
彼女の黄金の瞳が、暗闇の中で不安そうに揺れています。
「大丈夫よ、リア。ゆっくり歩きましょう」
「……マシロ。お前、さっきから寒くねぇのか?」
前を歩くヴェールさんが、振り返らずに言いました。ランタンの灯りに照らされた彼の背中が、わずかに震えているように見えます。
「寒い……。そうですね。言われてみれば、少しだけ」
私は自分の指先に触れました。
アイゼンに色を注いでから、私の体からは「温度」という概念が抜け落ちてしまったかのようでした。氷に触れているのか、自分の肌に触れているのか、区別がつきません。
「少しだけじゃねぇだろ。お前、髪の先まで真っ白だぞ。――死ぬ気かよ」
ヴェールさんの声には、苛立ちが混じっていました。
彼は立ち止まり、私に小さな銀色の瓶を差し出しました。中には、濁った灰色の液体が揺れています。
「これ、ババアのところから掠めてきた。……『瓶詰めされた色』だ。質は最悪だが、飲めば少しはマシになる。お前が倒れたら、俺が困るんだよ」
「ありがとうございます。でも、これはあなたが持っていてください」
私は、その瓶を押し戻しました。
「私は、部品ですから。中身が少し減っても、動けなくなるまで使えばいいんです。それよりも、あなたの方が……顔色が良くありません」
ヴェールさんの「色漏症」。
彼は常に、自分の命が指先からこぼれ落ちていく寒さと戦っています。
私よりも、彼の方がその「色」を必要としているはずでした。
「……けっ、おめでたい奴だな」
ヴェールさんは吐き捨てるように言うと、瓶の蓋を開け、一気に中身を喉へ流し込みました。
空になった瓶を懐へ乱暴に放り込み、手の甲で口元を拭います。その横顔には、他者への気遣いではなく、ただ生き延びるための渇望だけが張り付いていました。
闇の中で、アイゼンが一度だけ、重い足音を響かせました。
まるで、私の言葉に同意しているのか、あるいは、何かを戒めているかのように。
その時でした。
『ギ……ギギ…………』
前方の闇の奥から、不快な金属の摩擦音が聞こえてきました。
それは、アイゼンが立てる規則正しい音とは違う、何かが「引きずられている」ような不規則な音。
「……おい、止まれ」
ヴェールさんがランタンを低く構え、腰の短剣に手をかけました。
音は、刻一刻と近づいてきます。
『対象物、捕捉。……廃棄番号、未照合。……回収を開始します』
無機質な合成音声。
暗闇の向こうから、カチカチと無数の関節を動かす音が響きました。
塔の底部を巡回し、不要になった「ゴミ」を回収して精製炉へ運ぶ、機械の掃除屋。
「……回収機だ。……ちっ、さっそくお出迎えかよ」
アイゼンの青い眼が、闇の奥で赤く染まりました。
私の前に出て、巨大な盾のように影を作ります。




