第4節:傷だらけの答え
甘い、あまりにも甘い誘惑。
永遠の安らぎ。喪失の恐怖からの解放。
もし旅に出る前の私なら、その温かい腕の中に逃げ込んでいたかもしれません。
でも。
「……違う」
私は、自分を包むパイプを握りしめました。
「ママ、あなたは間違ってる」
「え?」
「私は、痛かったよ」
脳裏に浮かぶ、旅の記憶。
テオが植物になって死んでいった、あの灰色の森の匂い。
カジノで自分の血を切り売りした時の、凍えるような寒さ。
そして、アイゼンが私のためにボロボロになっていく姿を見るたびに走った、胸が張り裂けるような痛み。
「苦しくて、悲しくて、何回も泣いた。……でもね」
私は顔を上げ、カルミナの目を真っ直ぐに見つめました。
「その痛みが、全部私の『宝物』だったの」
カルミナの瞳が揺らぎます。
「何を……言っているの?」
「ヴェールさんがくれた不味い干し肉の味も、リアが泣きながら抱きついてきた時の体温も、アイゼンの冷たい装甲の感触も……全部、痛くて、温かかった」
「永遠に変わらない幸せなんて、ただの死んだ時間よ。
私は、傷ついてもいい。いつか終わるとしても……アイゼンと一緒に、泥だらけで笑う『明日』が欲しい!」
「やめて……やめて、イリス!!」
カルミナが絶叫しました。
「明日が来れば、また失うのよ!?
アイゼンはいずれ錆びて動かなくなる。リアも老いて死ぬ。あなたはまた、あの灰色の砂漠で一人ぼっちになるのよ!?
私はそんな思いを、愛する娘に二度とさせたくないのに!!」
彼女の叫びは、悲鳴でした。
世界を愛しすぎて、失うことに耐えきれなくなった、臆病な少女の成れの果て。
私はそっと、彼女の頬に触れました。
かつて彼女が私にしたように。
「……いいの。その時はまた、私が泣くから」
「ッ……!?」
「悲しみも、痛みも、私が全部引き受ける。だからママ、もう休んで」
私は彼女の手を優しく、けれど拒絶の意志を込めて振り払いました。
「私はあなたの部品じゃない。……私は、マシロだ!!」
私はカルミナの背後にそびえる**純正炉**のコアに、右腕を叩きつけました。
「受け取って! これが私たちが生きてきた証……世界の色よ!!」
ドクンッ!!
右腕の黒い痣が、脈動しました。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫……。
私の中に溜め込まれていた七つの色が、奔流となって炉の中へ吸い込まれていきます。
「あああぁぁッ!!」
カルミナが光に焼かれながら手を伸ばします。
「ダメよ……色が戻れば、世界はまた動き出してしまう!
変化が……死が始まってしまう!!」
「それでも生きたいと願うのが、人間なんでしょう!?」
私は叫び返しました。
右腕が熱い。痛い。
でも、これが最後の痛み。
私の肉体を通して、アイゼンの熱が、リアの祈りが、ヴェールさんの毒が、全て混ざり合って世界へ還っていく。
(さよなら、私の魔法……さよなら、お母さん)
「――色彩回帰!!」
カッッッ!!!!
視界が白く弾け飛びました。
塔の頂上から放たれた七色の光の波が、雲を突き抜け、灰色の空を塗り替えていきます。
止まっていた時間が、再び動き出す音。
それは世界が産声を上げた音でした。
そして――私の意識も、その眩しい白の中へと、静かに溶けていきました。
第27章 「色彩回帰」 完




