第3節:『魔女の余命診断』
「……ヴィオラさん。少し、時間をいただけますか」
リアとヴェールさんが、奥で物資の搬入作業をしている隙に、私はヴィオラさんに声をかけました。
「何よ。感動の再会は済んだでしょ」
「違います。……私の耐用回数を、正確に知りたいのです」
私は作業台の前の椅子に座り、着ていたコートを脱ぎました。
ヴィオラさんが怪訝な顔をする前で、私はためらうことなく、その下のシャツのボタンにも手をかけました。
一つ、二つ。
ボタンを外す指に、迷いはありません。
羞恥心という人間らしい感情よりも、現状の確認という合理性が上回っているからです。
「……ちょっと、あんた」
ヴィオラさんが止めようとするのを制し、私はシャツを肩から滑り落としました。
薄暗い工房の照明の下、私の半裸の身体が晒されます。
「……っ」
ヴィオラさんが息を呑み、くわえていたタバコが床に落ちました。
それは、あまりにも異様で、そして残酷なほどに美しい光景でした。
白磁のように透き通った、少女の華奢な右半身。
その肌をキャンバスにして、漆黒の結晶が、絡みつく蔦のように覆い尽くしていました。
ただの火傷や痣ではありません。
黒曜石を砕いて埋め込んだような、硬質で鋭利な輝き。
その黒い硝子細工の奥底で、回収した七つの色相――赤、青、黄、緑、紫、藍、橙が――銀河の渦のように混ざり合い、妖しく明滅しています。
指先から侵食した「夜」は、二の腕を食らい、肩の滑らかな曲線を飲み込み、鎖骨の窪みを埋め尽くし……。
そして、膨らみかけの左胸の柔らかな上、心臓のわずか数ミリ手前で、刃物のように鋭く尖って停止していました。
人の形をした器の中に、極彩色の泥濘が無理やり詰め込まれている。
それはもう生物ではなく、禁忌の技術で作られた生きた硝子細工のようでした。
「……綺麗だと思いませんか?」
私は自分の体を、まるで他人の作品を評するように言いました。
「痛みはありません。ただ、内側で何かがきしむ音がするだけです」
「……狂ってるわ」
ヴィオラさんは呻くように言い、震える手で棚から無骨なスキャナーと、冷たい金属製の聴診器を取り出しました。
「……じっとしてなさい。深呼吸」
彼女の指が、私の肌に触れます。
ひやりとした金属の感触。
けれど、私の皮膚はそれを「冷たい」と感じているのか、それともデータとして「温度低下」と処理しているのか、もう判別がつきませんでした。
ヴィオラさんは、黒い結晶の縁――心臓に突き刺さる直前の、白と黒の境界線に、慎重に聴診器を当てました。
カチ、カチ、カチ……。
ドクン、という鼓動ではありません。
硬質な秒針が、終わりの時間を刻むような音が聞こえたはずです。
彼女は眉間に深い皺を寄せ、モノクルの倍率を最大にして、私の肌の表面を舐めるように観察しました。
「……信じられない。血管も、神経も、全部が結晶回路に置換されてる」
ヴィオラさんが、うわ言のように診断結果を口にします。
「心臓の膜、一枚。……いいえ、薄紙一枚の表面張力で、今のあんたは形を保ってるわ」
「進行は、止まっているのですか?」
「止まってるんじゃない。『満杯』なのよ」
ヴィオラさんはスキャナーを乱暴に置き、私を睨みつけました。
「コップの水が、表面張力でギリギリ盛り上がっている状態。……これ以上、一滴でも注げば溢れる。逆に、一滴でも揺らせば弾け飛ぶ。あんたの体は今、そういう極限の均衡の上に成り立ってるの」
私は、静かにシャツを羽織りました。
ボタンを留めるたびに、あの妖艶な極彩色の泥濘が隠され、ただの少女の姿に戻っていきます。
「それで……あと何回、魔法に耐えられますか?」
ヴィオラさんは苦虫を噛み潰したような顔で、二本の指を立てました。
「……大規模な魔力放出なら、せいぜい一回。運が良くて二回ね」
「二回、ですか」
「ええ。それ以上、内圧をかけるような真似をすれば、侵食が進むんじゃなく……あんたという器自体が、内側から砕け散って消滅する」
それは、死の宣告でした。
けれど、不思議と私の心は凪いでいました。
二回。
アイゼンを再起動させるのに一回。
……残る一回は、予備か、それとも誰かを守るための盾か。
計算ができるなら、対策は立てられます。
「十分です」
私はコートを羽織り、髪を直しました。
その動作の一つ一つから、人間らしい「揺らぎ」が消えていくのを感じます。
「十分……? あんたねぇ、死ぬのよ?」
「目的は達成できますから。……掃いて捨てるような障害は、ヴェールさんに任せます。私のこの命は、無駄な余白には使いません」
冷たく、乾いた言葉。
鏡に映る自分の瞳は、どこまでも澄んでいて――だからこそ、ひどく「空っぽ」に見えました。
ヴィオラさんがゾッとしたように肩を震わせるのが分かります。
「……可愛げのないガキ。今の言い方、姉さんにそっくりだわ」
「光栄です。……母様、ですから」
私は、あの人のように完璧な、拒絶の笑みを浮かべてみせました。
そのまま背を向け、部屋を出ようとして――。
ドアノブに手をかけた瞬間、視界が急に歪みました。
おかしい……涙腺は、とっくに枯らしたはずなのに。
喉の奥が熱くなり、さっきまであんなに滑らかに回っていた舌が、急に重い鉄の塊になったような気がしました。
私は、ドアに額を押し付けたまま、小さく声を漏らしました。
「……ごめんなさい。……今のは、嘘。嘘です、ヴィオラさん」
「マシロ……?」
「……本当は、怖い。……怖いんです。余白なんて、本当はいっぱい欲しい。美味しいものを食べて、リアと遊んで、アイゼンと……どうでもいい話を、もっと、もっとたくさん……」
握りしめた拳が、ガタガタと震え出します。
魔女の仮面が、たった数秒の沈黙でボロボロと剥がれ落ちていきました。
「でも……そう言わないと、足が動かなくなっちゃうから。……今の私、すごく、嫌な子でしたよね」
私は振り返ることができませんでした。
カルミナに似ていると言われたことが、何よりも自分を傷つけていた。
誰よりも嫌っていた「あの人」のやり方でしか、自分を鼓舞できない自分の弱さが、情けなくて、悔しくて。
「……あんたは、本当の馬鹿ね」
背後で、ヴィオラさんの深いため息と、ライターの火を点ける音が聞こえました。
でも、その声はさっきよりもずっと柔らかく、湿っていました。
「……いいわよ。その『可愛げのなさ』も含めて、最後まで付き合ってあげる。……さあ、顔を上げなさい。不細工な顔でリアの前に出るつもり?」
「……はい」
私は深く息を吸い込み、冷たい手で自分の頬を叩きました。
もう一度、魔女の鎧を纏い直す。
けれど今度は、冷酷な計算式ではなく、震える自分の心を隠すための、優しくて悲しい嘘として。
「……さあ、行きましょう。……リアが、待ってます」




