第5節:最後の舞踏(ラスト・ダンス)
着替えを済ませ、大広間への階段を降りました。
コツ、コツ、コツ。
履き慣れないハイヒールの音が、静寂なホールに響き渡ります。
月明かりが、高い天窓からスポットライトのように差し込んでいました。
ホールの巨大な鏡に、一人の少女が映っています。
紫のドレスは、旅で痩せ細った私の体を優しく包み込み、右腕の醜い侵食痕さえも、長い手袋が隠してくれていました。
そこに映っていたのは、灰色の魔女でも、ただの部品でもなく、一夜限りの**「お姫様」**でした。
「……マシロおねえちゃん、すごい」
階段の下で待っていたリアが、ぽかんと口を開けています。
「ほんとうに、おひめさまだ……」
ヴェールさんは、腕を組んだまま言葉を失っていました。
何か言おうとして口を開き、結局、フンと鼻を鳴らして目を伏せました。
「……馬子にも衣装だな。ま、悪くはねえ」
私はホールの中央へ歩み出ました。
音楽はありません。風の音さえ止まっています。
あるのは、300年分の沈黙だけ。
でも、私には聞こえました。
記憶の底から響く、重厚で、一定のリズムを刻む駆動音が。
プシュウ……。
プシュウ……。
それは、世界で一番安心できる鼓動。
(……ねえ、アイゼン)
私は誰もいない虚空に向かって、そっと右手を差し出しました。
ドレスの裾を左手で摘み、膝を折って挨拶をします。
(一曲だけ、踊ってくれる?)
返事はありません。
けれど、私の差し出した右手に、確かな「重み」が乗りました。
ゴツゴツとした、冷たくて大きな鉄の掌。
錆びた指の感触。オイルの匂い。
彼がそこにいる。
目には見えなくても、私の心が、私の全神経が、彼の巨大な輪郭を完璧に描いている。
ふわり、と体が浮くような感覚。
リードされるままに、私はステップを踏みました。
カツン。
シュッ。
ヒールの音と、衣擦れの音だけが響きます。
私はダンスなんて習ったことはありません。
でも、不思議と足が動くのです。彼が支えてくれているから。
私がバランスを崩そうとすると、見えない腕が背中に回り、優しく、力強く支えてくれるから。
ターン。
私は見えないパートナーに身を委ね、くるくると回りました。
紫のスカートが花のように開きます。
月光の中で舞う埃が、まるで金色の紙吹雪のように見えました。
「……おい、あれ……」
ヴェールさんの震える呟きが聞こえました。
彼らの目には、私が一人で虚空を抱きしめ、狂ったように回っているように見えるでしょう。
痛々しくて、見ていられない光景かもしれません。
でも、今の私には、アイゼンの赤い眼が、優しく灯っているのがはっきりと分かるのです。
彼は笑っている。
鉄仮面の下で、不器用に、けれど愛おしそうに私を見ている。
(アイゼン、私ね、頑張ったよ)
ステップを踏しながら、心の中で話しかけます。
(痛かったよ。怖かったよ。でも、ここまで来たよ)
彼の大きな足を踏まないように。
彼の錆びた装甲に傷をつけないように。
私は丁寧に、涙が出るほど大切に踊りました。
これは「紫」の魔法が見せる幻影でしょうか。
それとも、死に近づいた私の脳が見ている走馬灯でしょうか。
どちらでもいい。
今、この瞬間だけ、私たちは確かに結ばれている。
言葉も、体温もいらない。
ただ、このリズムだけが、私たちが「二人でひとつ」だった証。
永遠に続けばいいと思いました。
夜が明けなければいいと思いました。
けれど、曲は終わります。
最後の旋律が、私の頭の中で静かに溶けていきました。




