第4節:亡霊たちのクローゼット
私たちは館の奥、主寝室らしき部屋へと足を踏み入れました。
重厚な両開きの扉を開けると、そこには巨大なウォークインクローゼットが広がっていました。
甘い、それでいて少し枯れたような、300年前の空気がそのまま閉じ込められています。
虫食いひとつないシルクのシャツ。
銀のボタンが輝くベルベットのジャケット。
革靴はまだ艶を保ち、主の帰りを待っているようでした。
「わあ……きれい! ここ、おとぎ話のお部屋みたい!」
リアが目を輝かせて駆け出し、色とりどりの衣装の間を潜り抜けます。
私は入り口で立ち止まっていました。
自分の姿があまりに惨めだったからです。
度重なる戦闘で裂けた袖。
そして何より、包帯の下で脈打つ右腕の黒い結晶。
この美しい空間に、私という「汚れ」が混ざることが許されない気がしました。
「……マシロおねえちゃん! みてみて! これ!」
リアの声に呼ばれ、私は恐る恐る奥へ進みました。
突き当たりのトルソーに、そのドレスは飾られていました。
深い、夜空を切り取ったような紫紺のイブニングドレス。
胸元には夜露のような黒真珠があしらわれ、裾へ向かって銀糸の刺繍が流れるように施されています。
派手な装飾はありません。ただ、圧倒的に「高貴」で、静かな威圧感さえ放っていました。
「……きれい」
思わず呟き、手を伸ばしかけて――引っ込めました。
私の指先は、さっきの「橙」の代償でまだ白く凍え、ガサガサに荒れています。
触れれば、絹を傷つけてしまうかもしれない。
「……着てみたらどうだ?」
背後から、ぶっきらぼうな声がしました。
ヴェールさんです。
彼は壁に寄りかかり、わざとらしく視線を天井に向けていました。
「どうせ誰もいねえし、文句言う家主もいねえ。……サイズも合いそうだしな」
「でも、こんな汚れた体じゃ……このドレスに申し訳ないです」
「服なんてのは、着るためにあるんだよ。飾っておく方がよっぽど残酷だ」
彼はふと視線を戻し、私を――いや、私の「目」を真っ直ぐに見ました。
「それに、汚れてるのは服だけだろ。中身は……まあ、マシな方じゃねえか」
「ヴェールさん……」
「さっさと着ろよ。リアがうるせえからな」
彼は背を向け、部屋を出て行こうとしました。
その耳が少し赤くなっているのを、私は見逃しませんでした。
私は再びドレスに向き合いました。
震える手で、背中のファスナーに触れます。
冷たい。
でも、拒絶する冷たさじゃない。
まるで「待っていた」とでも言うように、紫の布地が私の指に吸い付きました。
「……少しだけ。アイゼンに見せるためだけに、少しだけなら」




