第2節:沈黙の書斎
人の気配はありません。
けれど、ついさっきまでそこに誰かがいたような、不思議な生々しさが保存されています。
飲みかけの紅茶のカップ。
中身は乾ききって、カップの底に褐色の年輪を描いていました。
読みかけの本。
編みかけのレース。
すべてが、ある瞬間に唐突に「終わる」ことを選んだかのように、不自然に中断されています。
私たちは、長い回廊を渡り、奥にある書斎へと足を踏み入れました。
壁一面の本棚には、革表紙の書物がびっしりと並んでいます。
その背表紙の金文字は、300年の時を経てもなお、鈍い光を放っていました。
机の上に、一冊の日記が開かれたまま置かれています。
私は誘われるように、その脆くなった羊皮紙に触れました。
『――世界から色が消えていく。私たちは扉を閉ざした。
この紫の壁だけが、私たちの最後の誇りだ。
変わらぬこと、朽ちぬこと。
外の世界がどれほど白く枯れ果てようとも、ここだけは永遠の箱庭であり続けねばならない』
インクの文字が、震えていました。
これは「高貴な選択」などではありません。恐怖です。
自分たちの色が奪われ、白く漂白されることへの、根源的な恐怖。
だから彼らは、ここに閉じこもり、時間を止め、変化を拒絶することで「永遠」になろうとしたのです。
「……変わらないことが、幸せだったのかな」
私は指先についた埃を見つめました。
この館は美しい。
けれど、それはホルマリン漬けにされた蝶の美しさです。
痛みもない代わりに、羽ばたくこともない。
私たちがここまで、傷つき、泥にまみれ、色を変えながら進んできた道のりとは、真逆の願い。
「……死んでるな」
ヴェールさんが、書斎の窓から、絵画のように動かない外の景色を見つめて言いました。
「綺麗だが、死んでる。
俺たちの泥臭い『生』とは、とことん相性が悪そうだ」
ええ、そうです。
私たちは、変わることを恐れませんでした。
白い騎士が恐れた「汚れ」こそが、私たちが生きてきた証。
この日記の主は、永遠を得る代わりに、その熱を失ったのです。




