第4節:透明な血
限界を迎えていたのは、鉄の柩だけではありませんでした。
重力異常帯を抜けきれず、私たちは一度、氷原の真ん中で停車しました。
駆動炉を休ませなければ、熱暴走を起こしかねなかったからです。
「……ッ、ゴホッ! ガハッ!」
車を降りた瞬間、ヴェールさんが雪の上に膝をつきました。
激しい咳き込み。背中が波打つたびに、喉の奥からヒュー、ヒューという、空気が漏れるような音が響きます。
「ヴェールさん!」
私は駆け寄ろうとしましたが、足がもつれました。
橙を使った代償で、私の膝下はまだ感覚が戻っていません。
這うようにして彼に近づき、その肩を支えます。
「大丈夫ですか、血が……」
言葉が、喉に張り付きました。
彼が口元を覆っていた手を離した時、そこの雪に散っていたのは、赤ではありませんでした。
透明だったのです。
水のように透き通り、けれど水銀のように重く、雪の上で玉になって転がる液体。
それは、血液中の色素核が完全に溶け出し、結合力を失った末期の証――色漏症の吐血でした。
「……見んなよ」
ヴェールさんが、汚いものを見るような目で自分の手を見つめ、雪で乱暴に拭い取りました。
「ただのオイル漏れだ。……人間も、ガタが来れば中身が漏れる。それだけだろ」
「……いつからですか」
「あ?」
「いつから、隠していたんですか」
私の問い詰め方は、自分でも驚くほど冷淡でした。
心配よりも先に、「事実確認」を急ぐ自分がいました。
昨夜のアイゼンのログが脳裏をよぎります。
彼もまた、不調を隠して任務を続け、壊れました。
「隠すのは、効率が悪いです」
私の口から、スラスラと記号のような言葉が出てきます。
「破損状況を正確に申告してもらわないと、これからのリソース配分計算が狂います」
――違う。そんな言い方、したくない。
なのに、口が勝手に動く。
ヴェールさんが、ハッとした顔で私を見上げました。
その瞳に映っていたのは、いつもの皮肉屋の色ではなく、底知れぬ恐怖でした。
「……おい、マシロ。お前、今なんて言った?」
「え?」
「計算だと? ……俺の命は、お前にとって数式か?」
風が吹き抜けました。私は瞬きをしました。
あれ? 私は今、何を言おうとしたんでしょう。
心配しているはずなのに。
胸の奥が凍りついて、感情がうまく形になりません。
ただ、頭の中にある天秤が、冷たく傾いていくのが分かります。
――『ヴェール:稼働限界近し。修理コスト:甚大。運用価値:低下中』
「……俺は、あの鉄屑みたいに高尚じゃねえよ」
ヴェールさんはよろりと立ち上がり、自嘲気味に笑いました。
「『保存』なんて柄か。……俺はただ、使い切って死ぬだけだ。だから計算なんざ必要ねえ。俺が動けなくなったら、捨てていけばいい」
捨てていけばいい。
その言葉を聞いた瞬間、私の脳内でパチンと何かが噛み合いました。
ああ、そうか。
それが一番、合理的だ。限界を迎えていたのは、鉄の柩だけではありませんでした。
重力異常帯を抜けきれず、私たちは一度、氷原の真ん中で停車しました。
駆動炉を休ませなければ、熱暴走を起こしかねなかったからです。
「……ッ、ゴホッ! ガハッ!」
車を降りた瞬間、ヴェールさんが雪の上に膝をつきました。
激しい咳き込み。背中が波打つたびに、喉の奥からヒュー、ヒューという、空気が漏れるような音が響きます。
「ヴェールさん!」
私は駆け寄ろうとしましたが、足がもつれました。
橙を使った代償で、私の膝下はまだ感覚が戻っていません。
這うようにして彼に近づき、その肩を支えます。
「大丈夫ですか、血が……」
言葉が、喉に張り付きました。
彼が口元を覆っていた手を離した時、そこの雪に散っていたのは、赤ではありませんでした。
透明だったのです。
水のように透き通り、けれど水銀のように重く、雪の上で玉になって転がる液体。
それは、血液中の色素核が完全に溶け出し、結合力を失った末期の証――色漏症の吐血でした。
「……見んなよ」
ヴェールさんが、汚いものを見るような目で自分の手を見つめ、雪で乱暴に拭い取りました。
「ただのオイル漏れだ。……人間も、ガタが来れば中身が漏れる。それだけだろ」
「……いつからですか」
「あ?」
「いつから、隠していたんですか」
私の問い詰め方は、自分でも驚くほど冷淡でした。
心配よりも先に、「事実確認」を急ぐ自分がいました。
昨夜のアイゼンのログが脳裏をよぎります。
彼もまた、不調を隠して任務を続け、壊れました。
「隠すのは、効率が悪いです」
私の口から、スラスラと記号のような言葉が出てきます。
「破損状況を正確に申告してもらわないと、これからのリソース配分計算が狂います」
――違う。そんな言い方、したくない。
なのに、口が勝手に動く。
ヴェールさんが、ハッとした顔で私を見上げました。
その瞳に映っていたのは、いつもの皮肉屋の色ではなく、底知れぬ恐怖でした。
「……おい、マシロ。お前、今なんて言った?」
「え?」
「計算だと? ……俺の命は、お前にとって数式か?」
風が吹き抜けました。私は瞬きをしました。
あれ? 私は今、何を言おうとしたんでしょう。
心配しているはずなのに。
胸の奥が凍りついて、感情がうまく形になりません。
ただ、頭の中にある天秤が、冷たく傾いていくのが分かります。
――『ヴェール:稼働限界近し。修理コスト:甚大。運用価値:低下中』
「……俺は、あの鉄屑みたいに高尚じゃねえよ」
ヴェールさんはよろりと立ち上がり、自嘲気味に笑いました。
「『保存』なんて柄か。……俺はただ、使い切って死ぬだけだ。だから計算なんざ必要ねえ。俺が動けなくなったら、捨てていけばいい」
捨てていけばいい。
その言葉を聞いた瞬間、私の脳内でパチンと何かが噛み合いました。
ああ、そうか。
それが一番、合理的だ。




