第3節:藍色の重圧
峠を越えると、世界は唐突に表情を変えました。
それまでの夕暮れのような暖色は、ナイフで切り取られたように途絶えました。
目の前に広がるのは、見渡す限りの氷原と、頭上を覆う重苦しい「藍色」の空。
昼なのか夜なのかも分かりません。ただ、深海のような濃い青が、すべてを塗りつぶしています。
さっきまで胸に残っていた橙の残り香が、頭から冷水を浴びせられたように一瞬で消え失せました。
「……耳が、痛い」
リアが後部座席で耳を押さえました。
私も異変を感じていました。キーンという耳鳴りが止まないのです。
そして何より、体が鉛のように重い。
推力桿を踏み込んでいるのに、鉄の柩は泥の中を進むように速度を落としていきます。
「重力異常だ」
ヴェールさんが冷めた声で言いました。
「この先は、塔の制御システムの影響が強い。物理的な重力だけじゃねえ……思考のノイズまで、全部下に落ちていく場所だ」
藍色。それは「理性」の色。
青の「静寂」よりも深く、冷たく。不要なものを全て沈殿させ、切り捨てるための色。
まだ色素核を手に入れていないのに、この領域そのものが、私たちの脳に干渉してくるのが分かります。
ズキリ。
右腕の結晶が、これまでにないほど鋭く痛みました。
それは熱を持った痛みではなく、凍傷のような、感覚を失わせる痛みでした。
私の思考が、急速に冷えていくのを感じます。
(……ヴェールさんの傷。リアの体力。燃料の残量)
頭の中に、無機質なパラメータが浮かび上がります。
(……足りない。ゴールまで辿り着くには、荷物が多すぎる)
ふと、隣に座るヴェールさんを見ました。
彼は激しく咳き込み、袖口で口元を拭っています。
その袖に、透明な飛沫が付着しているのが見えました。
限界だ。彼はもう、機能として壊れかけている。
(壊れた部品は、交換するべきだ)
そんな言葉が、私の意思とは無関係に、氷の棘のように脳裏を掠めました。
「……マシロ? どうした、怖い顔して」
ヴェールさんに声をかけられ、私はハッとしました。
「……いえ。なんでもないです」
私は慌てて視線を逸らしましたが、心臓が早鐘を打っていました。
今、私は何を考えた?
アイゼンならどうするか、と考えた途端――「足手まといを切り捨てる」という選択肢が、一番正しい答え(・・・・・)として輝いて見えたのです。




