第1節:血塗られた申請書
「……不快。標本に『迷い』は不純物。……完全に、染める」
アズールがスゥ……と目を細め、懐から一枚の羊皮紙を取り出しました。
そして、躊躇なくそれをガラスの壁に押し当てたのです。
バァンッ!!
突然の音に、幻影の中のリアがビクリと振り返りました。
「……え?」
そこに張り付けられていたのは、赤黒い染み――おそらく、持ち主の血で汚れた書類でした。
「見るの、リア。これがあなたの『愛』の正体」
マイクを通したようなアズールの声が、閉ざされた空間に響き渡りました。
「……ちがうよ。おとうさんとおかあさんは、わたしをあいしてたもん」
ガラスの向こうで、リアが小さく首を振りました。
けれど、その声には縋るような響きがありました。
アズールは憐れむように眉を下げ、残酷な文字を指差しました。
震える筆跡で記された、決定的な証拠を。
「……見るの。事故現場で回収した、『塔への昇格申請書』」
アズールが書類をガラスに押し当てました。
そこには、震える筆跡でこう記されていました。
『献上品:実の娘(黄金の瞳保有個体)』
『希望報酬:上層居住権、および第二階級への昇進』
「……?」
リアの目が点になりました。
そこには、娘の名前すら書かれていません。
あるのは、物としてのスペックと、自分たちの欲求だけ。
愛称の『リア』ではなく、『個体』。
それが、両親にとっての彼女の全てだったのです。
「これが真実。あの日の『行け』は、『逃げろ』ではない。『お前だけでも塔へ行って、私を引き上げろ』という、強欲な叫び」
パリン。
音を立てて、リアの中の何かが砕け散りました。
幻影のリビングルームが色あせ、優しい両親の顔が、欲に歪んだ醜い笑顔へと変貌していきます。
愛されていた記憶。守られていた記憶。
それら全てが、「商品として管理されていただけ」という冷たい事実に塗り替えられていく。
「あ、あぁ……あああああっ!!」
リアが頭を抱え、その場に崩れ落ちました。
信じていた「愛」が、最も醜い「欲」だった。
その絶望が、彼女の幼い心を粉々に粉砕しました。
「……痛い? 現実は、いつも残酷」
アズールは満足げに頷き、再び指を鳴らしました。
すると、崩れかけた幻影が修復され、両親の顔がまた「優しい笑顔」に戻りました。
「でも、ここなら修正可能。……選択の時、リア」
アズールは、悪魔のような慈愛で手を差し伸べました。
「……外は、不潔。傷つくだけの現実。……ここで永遠に、父と母に愛されるのが……正解」
「う、うぅ……っ!!」
リアは、泣き腫らした目で私を見ました。
そして、震える手で――。
「……おとうさん、おかあさん……!」
彼女は私――現実――に背を向け、アズールの作った「優しい嘘」の方へと駆け出したのです。
「リアッ!!!」
私の絶叫も虚しく、彼女は自ら檻の中へと戻り、その扉を閉ざしてしまいました。




