第5節:断絶の碧
ヴェールさんが作ってくれた、一瞬の隙。
枝の再生が――止まった。
私は地面を蹴りました。
泥を跳ね上げ、動かなくなった根を階段代わりにして、大樹の幹へと駆け上がります。
目の前には、脈打つ緑の結晶。
それは、どこまでも美しく、そしておぞましい輝きを放っていました。
『こっちにおいで』
頭の中に、甘い声が響きます。
『頑張らなくていいのよ。ここで眠りましょう。彼と一緒に、永遠に……』
緑の誘惑。それは、私の疲れた心に染み渡るような優しさでした。
アイゼンを治す旅は辛い。痛い。怖い。
ここで諦めてしまえば、どんなに楽だろう。
――でも。
背中のリアが、私の服をぎゅっと掴みました。
その小さな手の痛みが、私を現実に繋ぎ止めます。
私は、ヴェールさんの背中を見ました。
自分の故郷を否定し、痛みを引き受けてまで、私に道を作ってくれた人の背中を。
(……私は、腐らない)
私は右手に、ありったけの「赤(怒り)」と「黄(強欲)」を込めました。
安寧はいらない。永遠もいらない。
私は、傷ついても、泥まみれでも――自分の足で歩く未来が欲しい!
「その腐った根を――叩き直してあげるッ!!」
ズドォォォォン!!
私の拳が、緑の結晶に直撃しました。
ガラスが割れるような甲高い音が、森中に響き渡ります。
結晶にヒビが入り、そこから溢れ出した膨大な緑色の光が、私の中へと雪崩れ込んできました。
「あ、ぐぅぅぅッ!!」
嫉妬。羨望。足の引っ張り合い。
世界中の「ネガティブな粘着質」が、私の血管を駆け巡ります。
気持ち悪い。泥水を飲まされたみたい。
でも、飲み込む。これもまた、人間が持つ「色」の一つ。
アイゼンを治すための、必要な部品!
バギィッ!!
結晶が砕け散り、その核となる輝きが私の右腕に収束しました。
「いやぁぁぁぁ! 大樹様ぁぁぁ!」
老婆の断末魔と共に、大樹が急速に枯れていきます。
緑の光を失いた木人たちは、ただの枯れ木となり、土へと崩れ落ちていきました。
森を覆っていた鬱蒼とした結界が晴れ、頭上に乾いた青空が広がります。
……終わったのです。
「……はぁ、はぁ……」
私は結晶の残骸の上に膝をつき、自分の右腕を見ました。
黒い痣は、ついに肩を完全に覆い尽くしました 。
そして、その黒の中に、赤・黄・緑の三色が、毒々しいマーブル模様を描いて蠢いています 。
(あと、四つ……)
私は立ち上がり、ヴェールさんの元へ戻りました。
彼は大の字に倒れ込み、肩で息をしていました。
その顔色は紙のように白いですが、瞳にはまだ光がありました。
「……生きてますか、ヴェールさん」
「……おう。地獄の底からお断りされたみたいだ」
彼は震える手で、ポケットから葉巻を取り出し、口にくわえました。
火をつける気力もないようです。
私は指先に小さな「赤」を灯し、彼のタバコに火をつけてあげました。
「……ありがとよ」
彼は紫煙を吐き出し、枯れ果てた故郷の残骸を見渡しました。
「ざまあみろ。……これでやっと、せいせいしたぜ」
その言葉とは裏腹に、彼の横顔は、迷子が家に帰る道を失くした時のような、寂しげな表情をしていました。
私は何も言わず、ただ彼の隣に座りました。
リアが心配そうに駆け寄ってきて、ヴェールさんの傷ついた左腕を、小さな手でさすっています。
「……おにいちゃん、いたい? なおしてあげるね」
風が吹き抜けました。腐敗臭はもうありません。
乾いた荒野の風と、微かな「自由」の匂いだけが、私たちの周りを流れていました。
第17章 「緑の森(嫉妬)」 完




