第4節:泥の中の全速力
私たちは泥だらけの森の中を走りました。
一点の曇りもなかった白いコートの裾が、一瞬でどす黒い泥に染まります。
ヴェールさんが先頭で短剣を振るい、迫りくる蔦や枝を切り裂きます。
私はリアを背負い、右腕の魔力で足場を固めながら、その後を追いました。
「待てぇぇ! 行くなぁぁ!」
「私たちを置いていくのかぁぁ!」
背後から、木人たちの怨嗟の声が追いかけてきます。
地面からは根が伸び、私たちの足首を掴もうとします。
それは物理的な障害というより、粘着質な「呪い」のようでした。
――行くな。変わるな。お前たちも、ここで腐れ……。
「うるさいッ!!」
私は足首に絡みついた蔦を、素手で引きちぎりました。
右腕の痣が熱く脈打ちます。
私の「黄(強欲)」が叫んでいました。
(誰があなたたちなんかにあげるものですか。私の時間は、私の命は、アイゼンのためのものよ!)
「はぁ、はぁ……! マシロ、あそこだ!」
視界が開け、森の中心部に出ました。
そこには、天を衝くほどの巨大な枯れ木が一本、鎮座していました。
葉は一枚もありません。
その代わり、幹の至る所に、緑色に発光する巨大な腫瘍のような結晶が埋め込まれています。
「緑の色相結晶」。嫉妬の心臓。
大樹の根元には、何百人もの「住人」が癒着し、結晶から滴り落ちる緑色の雫を啜っていました。
彼らは私たちを見ると、一斉に顔を上げ、口を歪めました。
「来たね、ヴェール」
中央に埋まっていたのは、あの老婆でした。
彼女は大樹の一部となり、結晶の守護者と化していました。
「その美しい娘の『赤』と『黄』……。それを捧げれば、私たちはもっと若返ることができる。大樹様ももっと輝く!」
老婆の号令と共に、大樹の枝が鞭のようにしなり、私たちに襲いかかってきました。
「くそっ、キリがねえ!」
ヴェールさんが短剣で応戦しますが、切っても切ってもすぐに再生します。
彼らの生命力は異常でした。他者の命を吸い、嫉妬を糧にする限り、彼らは無限に再生するのです。
「マシロおねえちゃん、うしろ!」
リアの悲鳴。振り返ると、私の背後からも鋭い根が迫っていました。
避けきれない――!
ザシュッ!!
鈍い音がして、私の目の前にヴェールさんが割り込みました。
彼の左腕に、根が深々と突き刺さっています。
「ぐ、ぅ……ッ!」
「ヴェールさん!?」
ヴェールさんは脂汗を流しながら、それでも短剣を離しませんでした。
突き刺さった根を通して、彼の身体から急速に「色」が吸い出されていきます。
彼の肌が、土気色から灰色へ、そして透明に近い白へと変わっていく。
「あはは! いい味だ! 色漏症のくせに、いい色を隠し持ってるじゃないか!」
老婆が嘲笑います。
「さあ、寄越しな! お前の命も、未来も、全部私たちの養分になりな!」
ヴェールさんが膝をつきました。彼の命が、枯渇しかけています。
「……ヴェールさん、手を離して!」
「うっせぇ……! 離したら、お前らが……串刺しだろ……!」
彼は震える手で根を掴んだまま、ニヤリと笑いました。
その顔は、死にかけているのに、どこまでも不敵でした。
「……勘違いすんなよ、ババア」
「あぁ?」
「俺は『色漏症』だ。……漏れるってことは、逆流もしやすいってことだぜ?」
ヴェールさんが、右手の短剣を、自分の左腕ごと根に突き立てました。
短剣の刀身が、禍々しい紫色の光を放ちます。
「テメェらの腐った色なんざ不味くて食えねえが……。『毒』を流し込むくらいはできるんだよッ!」
ドクン!!
ヴェールさんの身体を媒介にして、短剣の呪いが大樹へと逆流しました。
それは「奪取」ではなく「汚染」。
彼がずっと抱えてきた自己嫌悪、虚無、そして世界への反逆心。
そんな黒い感情が、純粋培養された「嫉妬」のネットワークにノイズとして混入したのです。
「ぎ、ぎゃあああああッ!?」
老婆が絶叫しました。
「なんだこれ!? 苦い! 辛い! 痛いッ!」
大樹全体が痙攣し、襲いかかっていていた枝の動きが止まります。
「今だ、マシロ! 大樹の核をブチ抜けェッ!!




