第3節:隣の芝生は青い
「待ちなさい」
私は、ヴェールさんの首根っこを掴み、力任せにシートへ引き戻しました。
ドン! と背中を打ち付け、ヴェールさんがハッと我に返ります。
「……あ? 俺は、今……」
「この森の空気に当てられたのね。しっかりして、この三流詐欺師」
私は冷たく言い放ち、窓の外の老婆を睨みつけました。
右腕の「赤」と「黄」が、不快感でチリチリと燻っています 。
「安息? 楽園? ……嘘つきですね」
私は窓ガラスに掌を押し当てました。
「あなたたちの目は、全然笑っていない。……ヴェールさんを見て、羨ましくて仕方がない顔をしているわ」
図星だったのでしょう。
老婆の顔から、穏やかな仮面が剥がれ落ちました。
「……ああ、そうさ。羨ましいねぇ」
老婆の声が、地の底から響く怨嗟へと変わりました。
「私たちは根を張り、動けなくなった。なのに、どうして一番の落ちこぼれだったヴェールが、五体満足で外を歩いているんだい?」
「どうして、あんなに綺麗な車に乗っているんだい?」
「どうして、そんなに美しい娘を二人も連れているんだい?」
ザワザワ、ザワザワ……。
森全体が揺れ始めました。それは風ではなく、無数の住人たちの「嫉妬」の震えでした。
「ズルい。ズルい。ズルい!」
「お前だけ幸せになるなんて許さない!」
「引きずり下ろせ! 根を張れ! 私たちと同じ泥人形になれぇぇッ!!」
ドゴォォォン!!
地面が裂け、巨大な根が槍のように突き出してきました。
鉄の柩が激しく突き上げられ、横転寸前まで傾きます。
「きゃあああっ!」
「チッ、やっぱりこうなるかよ!」
ヴェールさんが正気を取り戻し、素早くハンドルを切ります。
しかし、タイヤはすでに泥濘と蔦に絡め取られていました。
バキバキバキッ!
無数の枝が窓ガラスを叩き、車体に巻き付いてきます。
彼らは私たちを殺すつもりはありません。ただ、車ごと地面に縫い付け、永遠にこの場所から出られないようにしようとしているのです。
「足を引っ張ることにかけては一流だな、故郷の連中は!」
ヴェールさんが悪態をつきながらアクセルを踏み込みますが、車は軋むだけで動きません。
「マシロ! どうする!? 焼くか!?」
「いいえ、森ごと焼けば……猛烈な煙と蒸気で、私たちも巻き添えになります!」
この森は湿度が高すぎます。下手に「赤」を使えば、水蒸気爆発か、あるいは不完全燃焼の煙で全滅です。
それに、私の直感が告げていました。
この森の本体……「緑の色相結晶」は、この嫉妬の根源にあると 。
「……ヴェールさん。結晶の場所は分かりますか?」
「ああ……森の中心にある『大樹』だ。あいつらが養分を吸い上げている親玉だ!」
「なら、走りますよ」
私はドアを蹴り開けました。
むわっとした熱気と、腐敗した甘い臭いが車内に雪崩れ込んできます。
「え?」
「車は置いていきます。……走って、引きちぎるしかないわ!」
「冗談だろ!? この『柩』を捨てろってのか!?」
「ここで根を張らせるわけにはいかないんです! 私が道を切り開きます。ヴェールさんは先導を!」
「……クソが、分かったよ! あとで新車を買い直させなきゃ割に合わねぇからな!」
ヴェールさんは短剣を抜き放ち、外へと飛び出しました。




