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生きる。  作者: 花音瀬笛人
一章 幻想の中へ
8/9

談笑の後、身体は冷えて

 日は完全に沈み、世界を夜闇が支配する時間。まだ、探索班は帰還していなかった。

 こうなってしまえば、彼らの生存は望み薄。僕を含め、生徒の顔色は優れない。いつまで経っても帰らない光達に泣き出してしまう生徒もちらほらいる。

 僕が涙を流すことはなかったが、気分は最悪だ。薄氷にヒビが入る音を幻聴する。それは近い内に現実のものとなるだろう。この類の予感は、外れたことがない。

 あの日、川辺に現れた『白の少女』。彼女の笑みに覚えた『何か』の予感は、これを指していたのだろうか。

 なら僕は、とんだ道化だ。

『起こる何か』に対し胸を弾ませ、期待に目を輝かせていた僕は、本当に。

『最悪』の足音が近づいてくる。統率者を失った群れは争い、瓦解するのが世の常だ。僕らもきっと、そうなるだろう。

 どうして。考えたところで答えなどありはしない。それでも思考を途切れさせることができなかった。

 彼以外なら、失ったところで少なくとも僕にとってはそれほど痛くはないのだ。彼の様に役立つ優秀な人材はさほど多くない。飛び抜けていないのなら、数で補うことができるから。

 でも、彼の力は補える違いのモノではない。

 天性のカリスマ。人望に纏め上げる能力。どれも、望んで手に入れられるモノではないし、数で補えない。

 優れた統率者の代わりなど、そうそういるものではないのだ。

 なんで、光が最初なんだよ。

 命の価値は等価ではない。

 九曜(くよう)(ひかる)、彼の命は生徒数十人よりも尚、重い。それほどに、欠けてはならない人材。

 なんで。

 光は気配りのできる男だ。踏み込んでほしくないところには、絶対に踏み込もうとしない。この一ヶ月、僕の提案に表面上の『何故』を問うことはあっても、深いところの『何故』を問うことはなかった。

 提案の裏に何かがあることを察していながら、敢えて気づかないふりをしていた。

 きっと彼は、僕のことを信頼してくれていたのだろう。

 あいつなら、大丈夫だと。あいつなら、成してくれるだろうと。

 僕が光に対して抱くモノと、同じように。

 なんで——

 更に深く、心が沈みかけたその時だった。

 拠点入り口の向こう、木立の間に灯りが見えたのは。

 赤色から、明るいオレンジへのグラデーション。幻想を孕んだ揺らぐ灯り。

 森の中で松明を使う危うさに怒りが湧くことはなく、ただ、安堵が込み上げる。

 闇夜に浮かぶ灯火が拠点に近づく。火に照らされた友の顔を確かに捉えて、思うのだ。

 ああ、本当に、生きていてくれて、よかった。

 脆い心は、すぐに涙を零させようとしてくる。それでは格好がつかないから、意地でも泣かないように、力を入れた。

 立ち上がって、彼の元に歩いていく。ぶつかる数歩手前で立ち止まると、彼は言った。

「ただいま」

 その言葉に、僕は応える。

「——おかえり。遅いぞ、バカ」

 心配、させやがって。

「お前も、そんな顔できんのな。……悪かった、心配させて」

 今、僕は、どんな顔をしているだろう。涙はきっと、流れていない。それでも、酷い表情をしていることだけはわかる。

「皆にも、早く顔見せてこい。死んでしまったんじゃないかって、泣いてる奴だっている。……後で、わかってるよな?」

「ああ、もちろん」

 僕の身体の横を、光が通り過ぎていく。後に続いて十数人の班員が。彼らの足取りは重く、相当な疲労が溜まっているのだろうが、顔には生きて帰ってきたことへの喜びが見えた。

 誰一人として欠けることなく、帰ってきた。もし、神がいるのなら、たとえこの世界に僕らをとばした存在だとしても、この奇跡を起こしてくれたことに感謝したい。

 あなたのお陰で、皆が笑える。

 皆の歓声を背後に聴きながら、天を満たさんとする月を見上げた。美しい、まだ、そう思えることへの喜びを噛み締めながら、大きく伸びをする。

 さあ、遅くなったが夕飯にしよう。焚き火の準備をしなければ。

 踏み出した足は、とても軽く感じられた。

 暫くして、拠点から出てきた生徒達は夕食の準備を始めた。いつもより多くの材料を使って、豪華な料理を作る。

 料理上手な女の子達が腕を振るい、食欲を唆る匂いが広がる。

 その晩は、ちょっとした宴の様相を呈した。泣いて、笑って、食べて、飲んで(勿論白湯)。暗い感情を上書きしていく。

 こちらに来てから初めて、鈴蘭ちゃんが歌った。どこまでも澄んだ、美しい声音で、懐かしい歌を。

 郷愁に、多くの生徒が涙を流した。

 さっきは耐えることができたのに、いつの間にか僕の頬は濡れていた。ポロポロと、雫が零れ落ちる。

 鈴蘭ちゃんは満足そうに微笑むと、万雷の拍手の中で優雅に礼をした。

 彼女には、勝てそうにない。

 好きだなぁ、本当に、どうしようもないくらい。

 そして、夜は更けていく。

 脱力したまま、弾ける火を眺めていた。秋の夜の冷たい空気が焚き火で温められて僕らを包む。傍らには光の姿があった。

 心地よい温度に、どちらもリラックスしている。

 他の生徒は夕食の後、精神的な疲れもあってかすぐに眠りについていた。

 起きているのは、僕と光の二人だけ。

「お前ら、飛んだ災難だったな」

「ほんとに。魔物を見かけた時はマジで終わったかと思った」

 採取を終えて帰途につこうとしたそのとき、木立の隙間から魔物の姿を見た、と夕食の席で探索班は語った。

 恐ろしさに悲鳴を上げそうになった生徒の口を押さえて潜伏。光の指示の下、迂回しながら拠点を目指した。

 慎重に慎重を重ねて行動したため日没を過ぎても拠点は見えず、真っ暗闇は危険性が高い為にやむを得ず松明を使用。たった一つの灯りを頼りになんとか帰り着いた。

「……ほんと、お疲れ様。それはそれとしてアイツらに心配かけたことは許してないからな。不可抗力とはいえ、あれが原因で動けなくなったらヤバかった」

「それはほんとに申し訳ないと思ってる。アイツらだけじゃなくて、お前にも心配かけた」

「僕は、別に」

 光の姿がない左側に少しだけ顔を逸らす。

「何が『別に』だ。あの時の顔忘れてないからな」

「忘れろ」

「まったく……正直になれよ。——お前、誤解されがちだけどいい奴だよな。俺、葵のこと好きだぞ」

 瞬間、背中に悪寒が走る。自分の肩を抱いて、身を引いた。

「お前——男色じゃないよな?」

「……? すまん、ダンショクって何?

「あー、ゲイってこと」

「なる。俺は別にゲイじゃねえよ。ちゃんと女の子が好きだ」

「……LGBTQ」

「あー、言い方拙かったな。俺は、女の子が好きだ」

「そう、なら、よかった」

 ほんとに、心の底から、男色じゃなくて良かった。ゲイを否定するわけではないが、光がゲイだというのは——

 あれ? 意外とありかも。

 女子にチヤホヤされる爽やかイケメンの光が好きなのは実は男の子で、それを誰に話せないまま苦悩を抱えながら生徒会長として日々を生きていく——

 結構良くない? 小説であったら面白そう。男の子が好きなら光が鈴蘭ちゃんを好きになることもない。光、男の子好き概念。ありか?

 いや、やっぱないな。何かの間違いで僕のことを好きになられでもしたらだいぶ困る。

 そこでふと、思い至った。

『女の子が好きだ。』

「光って、好きな子いるの?」

「いるよ」

 なんとも素っ気ない答え。だが、いい事を聞いた。自分の『女の子っぽい』と思う一面が顔を出す。

「その話、詳しく」

 恋バナは好き。結構好き。ほんとは女子みたいにもっと恋バナしたい、と思うくらいには好きなのだ。

 恋愛小説も好きなジャンルの筆頭だし、百冊は軽く読んでいる。

「僕の好きな人は知られたから、光も話して。それで僕らは対等」

「プッ、なんだよ、それ。意外と子供っぽいとこもあんのな」

 子供っぽいという発言に軽く頬を膨らませ、光の腕を抓る。

「第一、俺の好きな人聞いてどうするんだよ?」

「場合によってはこれ」

 首筋に手刀を当てるジェスチャーをする。これに関しては、結構ガチ。血みどろの争いも躊躇わないつもりだ。

「そういやお前、鈴蘭のこと好きなんだもんな。あの日、あいつと手ぇ繋いで顔赤くしてたこと、俺はちゃんと覚えてるぞ」

 何も言わず、腕を抓る力を強くした。

「はは、悪かったって。わかった、話してやるよ」

 指を離して聴く姿勢をとる。心変わりされたらもったいない。光の貴重な恋バナだ。

「俺はさ、結構顔もいいし、スポーツもできるだろ? 昔からモテるんだ」

「……知ってる」

「でも、俺には『こいつ以外好きになれない』って奴がいる。それこそ、小学校の頃から」

 鈴蘭ちゃんじゃないよな? 無言のまま、光に視線で問う。

 笑って、彼は答えた。

「ははっ、俺が好きなのは鈴蘭じゃねぇよ。俺が好きなのは——空、だ」

 真っ先に浮かんだのは、頭上に広がる空。そのイメージを振り払うと、今日、泣いていた女子の顔が浮かぶ。

 空。青木、空。

「……マジ?」

「大マジ」

 このやりとり、どこかで見覚えが——いや、それよりも光の好きな子が空ちゃんて、それ両想いでは?!

「光は、その、空ちゃんが自分のことどう思ってるのか、知ってるの?」

 仮に、光が両想いであることに気がついていなかった場合、『それ両想いだぞ』とか言ったら気まずいので言葉は選んだ。

「知ってるさ。空が俺のこと好きって話は」

 どうやら先の考えは杞憂に終わったらしい。

「どうして告白しないんだよ。さっさとくっつけばいいのに」

「お前がそれ言うか?」

「?」

「いや、なんつーか、怖いんだよ。もし空の俺が好きって言葉がさ、外向けに作られた嘘で、本当は俺のことなんて好きじゃないんじゃないかって、怖い。もし告って、断られたら、どうにかなっちまいそうなんだ」

 光の独白が、すとん、と胸に落ちる。彼も、やはり怖いのか。僕も、怖いよ。

「——それは、少し、わかる」

「そうか、仲間だな、俺ら」

「そうだね、友達だと思ってる」

 どちらからともなく拳を出して、軽くぶつけ合う。そして、二人で笑い合った。

 ひとしきり笑って、輝く星々を見上げた。

「これから、どうなるんだろうな、俺ら」

「さあね。たとえどうなっても、僕のやることは変わらないけど」

「一途だねぇ」

「鈴蘭ちゃん以上に可愛い子なんて知らないし」

「空に喧嘩売ってんのか?」

「売られた買うぞ」

「いい度胸だ。ツラ貸せや」

「ボッコボコにしてやるよ」

 睨み合って、そしてまた、笑い合う。 

 楽しい。光と二人で語らうこの時間は、今まで感じたことがないほど、楽しいと思えた。なんでもっと早く、友達になろうとしなかったのだろう。

 そうしたら、現実はもっと、楽しかっただろうに。

 冷え切った心に、熱が灯る感覚がした。段々と、満たされていく。

「葵、笑うようになったよな。それともこっちが素か?」

「……あっちは、面白くなかったから」

 過去、誰にも話せなかった胸の内を、気がつけば話していた。彼になら、話せると思った。

「こっちに来て、お前にはよかったのかもな」

「さあ、どっちが、よかったのかな……」

 幻月環と、星明かり。爆ぜる火の音と、透き通った冷たい風。

 美しい、幻想。

 僕は、ここが好きだ。離れ難いと、思ってしまう。

 でも、現実に生きることも、光と、鈴蘭ちゃんがいたのなら、今はそれでもいいと思える。

 瞬く星に手を伸ばして、彼は言った。

「いつか、帰りたいな」

「いつか、帰れるといいね」

 呟いた言葉に、自分が含まれているのか。光は問わなかったし、僕にもわからなかった。

 それきり、途絶えた会話。でも、居心地は悪くない。

 二人、沈黙の中で星を見上げて、各々が描く景色に想いを馳せる。

 どれだけの時間、そうしていたのかわからない。吐いた息が白くなった頃、どちらからともなく立ち上がって拠点に入る。

 とても、いい夢が見られる予感がした。


 


 

 仄暗い拠点内、太陽が昇りきっていない時間帯に目が覚める。いつもより、少し早い。

 まあでも、好都合か。

 寒さに震えながら寝ぼけ眼を擦って、ぼやけた視界を正す。近く、雪が降るかもしれないな。

 隣で眠る光を揺すって声をかけた。

「光、悪いが起きてくれ。少し話そう」

 雪が降るなら早く準備するに越したことはない。それを抜きにしても、また光と話したい気分だった。

 しかし、幾ら声をかけても揺すっても、光は起きない。

「光? どうした——」

 触れた彼の手には、熱が通っていなかった。まるで、死人のように冷えた手。理解、してしまう。

 狼狽して、どうしたらいいのか正常な判断ができない。

 昨日、あんなに笑い合ったじゃないか。恋バナをして、いつか、元の世界に、帰りたいって、二人で話したじゃないか。

 そんな、どこにもおかしなところはなかった筈だ。間違いに、決まってる。

 これまでとはまた違った理由で震える身体。叫び出したいのを必死に堪えながら手を伸ばす。

 触れた光の手首。脈を感じることは、できなかった。

 談笑の後、冷え切った彼の身体。

 なんで、どうして。

 頭の中をぐるぐると回り続ける言葉。昨日より、絶望の色は濃く、思考を塗り潰していく。

 なんで、なんで、どうして、どうして。

 灯った熱が失われていく。満たされ始めた心にヒビが入る音を、確かに耳にした。

 温かみのない、冷たい涙が地に還る。

 友の語った夢は幻想と化して、その手をすり抜けていく。

 僕の見た夢も同様に、現実から掻き消える。

 なんで——

 冷たくなった友の手を握って、僕はただ、泣いた。

 


 




 

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