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生きる。  作者: 花音瀬笛人
一章 幻想の中へ
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待つ人々

 焚き火の側、大きめの石に座り揺れる炎を眺めていた。

 時折枝を投げてやればすぐさま呑み込んでパチパチと音を鳴らす。生物は本能的に火を恐れるけれど、離れた場所から眺める分にはとても綺麗だ。

 ゆらゆらと形を変えながら、上へ上へと伸びていく。初めて焚き火をした中一の夏から、僕は炎の色が好きになった。赤一色ではなくて、様々な色彩を内包した火は幻想的だったから。

 こちらの世界に来て、一月が過ぎた。森を歩き回り、川の水を煮沸して飲んで、木の葉のベッドで寝た。慣れないことばかりで皆不満が溜まっている。

 それでも三十日以上に渡って薄氷の秩序は保たれた。喜ばしいことだ。

 だからこそ、僕は恐ろしい。

 安寧の揺り返しに、どれほどの惨禍が訪れるのか。

 不安と疲労に苛まれ、殆どの生徒はとうに限界だ。当たり前に享受していた安全はなく、心を満たす娯楽はなく、お腹いっぱいに食べることもできない。

 元の世界の紛争地域の人々よりはまだマシかもしれないが、平和な日本という温室で育った皆にとってはやはり辛いのだ。

 日々を生きる大変さを知らなかった分、紛争の最中の幼子よりもきっと、辛く苦しい。

 ……相手になってみない限りは、どれだけ辛いかなんて知りようもないけれど。

 一瞬、脳裏に過った記憶を振り払う。

 あれは過去だ。私はもう、苦痛の沼から這い出ることができたのだから。 

 舞い上がる火の粉を追って、揺らいだ心を宥める。

 僕はまだ、大丈夫。幻想がある限り、彼女がいる限り、この世界は辛くない。

 問題は、他の生徒達だ。ここ数日、顔色の優れない生徒が増えた。いつ終わるのか、そもそも終わりがあるのかすらわからない、死と隣り合わせの生活。心身ともに疲れ果てていることだろう。

 男子も色々と溜まって大変だろうけど、僕か心配なのは女の子達の方。男の僕らより、よっぽど辛い筈だ。

 生理は、痛みを伴う。女ではない僕には詳しくはわからないけれど、『常にお腹を殴られ続けるような鈍い痛み』だと本で目にしたことがある。

 加えて、この場には生理用ナプキンなどないのだ。経血を拭き取る為のものがない。そこらの葉で拭き取るなど論外だろうし、そのままにしたら不快感がつきまとう。

 それに、男の存在にも気を配らなくてはいけない。男の方が基本的には体力も腕力もある。もし、この状況で襲われてしまったら?

 止めてくれる大人はいない。他の人間に助ける余裕もない。一人ならまだいいが、大勢で向かって来られたら太刀打ちできない。

 彼女らにとっては気の休まらない日々が続く。近い内に誰かが倒れてしまっても不思議はない。倒れるのはきっと女の子が先だ。

 一度崩れたら、もう全部お終い。馬鹿をしでかした奴が一人出た時点で、詰み。

 僕には見えている。どんなふうに崩れていくのか。その過程が、はっきりと。

 不安はもう一つある。魔物の存在だ。

 あの日以来、誰一人として見かけたという報告はない。

 でも、一度その存在を確認してしまった時点で警戒せざるを得ないのだ。こちらもまた、遭遇した瞬間に詰みだろうから。

 時期も悪い。秋も終盤、冬が目前に迫っている。三分のニほどの葉は既に枯れ落ち、木の実も少なくなってきた。

 地球には冬眠をする生物がいる。眠りに就く前、多くのものを食べて備える生き物達。

 もし仮に、魔物が()()()()()()だったとしたら?

 来る冬に備え、餌を求めて彷徨っていたとしたら?

 何の根拠もありはしない妄想だ。でも、否定する材料もない。もし、が正しい可能性を捨てきれない。

 わからないことだらけで、想定すべき事柄が多い。

 僕と同じことを考えている人間なんてたぶんいない。こんなことに思考を割く余裕なんてとうに失われている。

 僕しか、最悪を想定できない。

 僕が、考えなきゃ——

 バチッ。

 一際大きな音を立てて枝が弾けた。

 ここにきて漸く、自分が焦っていることを自覚する。深呼吸をして頭を冷やしてゆく。

 焦りは危険だ。思わぬミスを引き寄せる。そもそも焦った時点でどうにもならないことの方が多い。勝手に焦って自滅するなんて、ほんとに笑えない。

 落ち着け。常に一歩退いて冷静に思考する、それが自分の強みだろう。

 猫背のまま両手の指先を全て合わせて、息を吐き出す。

 知らず知らずのうちに癖になっていたその動作。これが一番、落ち着ける。

 瞼を降ろし、視覚を遮断した。意識を外から内へ。思考の海に深く沈む。

 最悪を想定して最低限の準備はした。初動を見逃すなんてヘマをしなければ最優先事項は達成できる。達成できなければ死ぬだけだ。

 生徒達の精神状態に関しては……どうにもならない。医者じゃないんだ、詳しいことなんて知らないし、ましてや薬なんてものもない。元の世界に帰れる方法を見つけた、とか何かしらの希望があったなら少しは改善するのだろうけど、ないものは仕方ない。

 現状、対策するべきは魔物の襲撃。戦闘という選択肢は採れない。元から逃げ一択の想定だったけれど疲労具合を考慮すると、たぶん逃げきれない。

 全滅、その二文字が浮かぶ。

 魔物がどんな生態でどんな動きをするのか不明だが、耳にした体躯から想像するにかなり危険に思える。

 オスのヒグマ、体長二メートルで大体百二十〜四百キロとされている。となると魔物は実物を見ていないから断言できないが五百キロはあるとみるべきだ。速度にもよるがそれほどの重量がある物体に体当たりでもされようものなら即死だってありえる。

 対抗できる武器も能力もこちらにはない。不運にも遭遇してしまった場合、どう対処するか……。

 ラノベのように転移特典でスキルとか魔法とか使えたら幾らかは楽だったのだが、残念ながらそれらしきものが僕らにないことは確認済み。神がいるなら少しは忖度してほしいものだ。

 物理攻撃と……あとは毒か? 毒草の類は僅かではあるが把握している。上手く摂取させることができればあるいは——いや、あれは匂いが強いし、無理っぽいな。

 物理攻撃だけ? 石器でまともに戦えと?

 大型の獣に素手や石器で勝てる訳ないだろうがクソ。罠を仕掛けようにもフィジカルで破られそうだし。

 そもそもこの世界は一体——

 ……探索から光が帰り次第、頭の回る奴ら集めて会議でも開くとしよう。効果的な対策が出るかは怪しいが。

 思考の海から抜け出して、意識を外に向ける。茜色に染まった視界の端。既に日暮は近く、昼過ぎあたりに考え始めたとなるとだいぶ考え込んでいたようだ。

 そろそろ探索班の皆も帰ってきている筈だし、会議の人員に声を掛けなければ。そう思って、腰を上げる。

 ——待て。帰ってきたのなら、何故光は僕の元に来ていない?

 僕が探索に出ず、光が探索に出る日は毎回必ず帰還時に報告をするという約束を結んでいる。それがないということは何か不測の事態が発生した可能性がある。

 思い至ると同時、駆け出していた。細い倒木を組んで作られた拠点に速度を緩めずに入り、中にいた最も近い人物にいつもより三割り増しの声で問う。

「空ちゃん、光君達、まだ帰ってきてないよね?」

 眼鏡をかけた小柄な少女、青木空はびくっ肩を跳ねさせてこちらを向いた。急に現れた僕に驚いたのか、目を丸くしている。

「う、うん。光君達はまだ帰ってきてないよ。今日、ちょっと遅いよね?」

 やっぱり、まだ帰ってきていない。

「そうだね、いつもよりだいぶ遅い。何か、あったのかもしれない……」

 その言葉で空ちゃんの顔に不安の色が浮かぶ。拠点内にいた皆も、一様に不安を湛えていた。

 中でも、彼女の不安は濃い。確か空ちゃんは光のことが好きなのだっけ。前に、そんな噂を聞いたことがある。

「そんな……。みんなで光君達を探しに行った方が——」

「駄目だ」

 意識して出した低い声。彼女の言葉を遮って、否定の意を示す。

「なんで……。今行かないで、探索班のみんなが死んじゃったらどうするの?!」

 彼女の言葉に、周りにいた生徒からも非難の声が降る。

 そうだそうだ。探索班の奴らが死んだらどうする?!

 光君を助けに行かないと!

 今日の探索組には彩月だっているんだぞ?!

 葵君がそんなに薄情だったなんて知らなかった。

 加速度的に非難の言葉は増えていく。絶え間なく、耳に罵倒が届く。

 ああ、五月蝿い。よく考えもせず喚くなよ。その足りない頭でも少し考えればわかるだろうに。目先の事しか考えられない愚者共め。

「——探索班の皆が既に死んでいたらどうする?」

 静まり返った拠点内。喧騒が一瞬で立ち消える。

「そんなの、見てみなきゃ……」

「あり得ない話でもないでしょう? 可能性としては、全然あり得る」

「それでも——」

「捜索中、魔物にでも遭遇したらどうする? 光達の帰ってこない原因が魔物だと仮定して、その魔物が周囲を彷徨いていたのなら、遭遇する可能性は高い」

「そんなもの、俺がぶっ飛ばして——」

 余りにも論外な発言をした愚者を冷たく睨みつける」

「現実を見ろ。特別な力もないガキが大型の獣相手に勝てると本気で思ってるのか?」

「……お前だってガキだろうが」

「承知の上に決まってるだろ。自分の戦力をよくわかってるから、こうして必死に考えている。感情的になるな、しっかり考えて動け」

 再び静まり返る拠点内。反論の声を上げる者はいない。

 少しは、冷静になったらしい。それを確認して、口を開く。

「今捜索に出て、日が沈み切るまでに探索組が見つからない場合、どうする? 松明を持ち歩くわけにもいかないから、明かりの一切ない森を探し歩くことになる。夜行性の動物は多いし、昼間よりもよっぽど危険だ。……探索班を探す為に、自分の命を捨てる覚悟はある?」

 肯定する人間は、誰もいない。

「生きながらえたいなら、ここで待つのが最善だよ。心配する気持ちはわかる。でも、探す為に皆を危険に晒すわけにはいかない。光達を信じて、待とう」

 無言は肯定。反論はなく、皆が腰を下ろした。僕も倣って、腰を下ろす。

 肺の中の空気を吐き出し、俯く。

 つい、やってしまった。ここには、鈴蘭ちゃんもいたというのに。何が感情的になるな、だ。人の事を言えない。僕だって感情的になった。もっと、言い方があっただろうに。

 彼女の姿を探す気になれない。鈴蘭ちゃんは、僕のことをどう思っただろうか。薄情だと、そう思っただろうか。

 彼女に嫌われてしまったら、僕は——

 瞼を閉じて、願う。

 頼む光。早く帰ってきてくれ。纏め役はお前じゃなきゃつとまらない。僕には、無理だ。

 僕の耳には届いている。啜り泣く声、それを宥める声、無力を嘆く声。悲嘆に暮れた皆の声が、はっきりと。

 どうか、生きていてくれ。ここまで必死に保ってきた薄氷が、崩れてしまう。

 頼む、どうか。どうか、生きていて。

 

 

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