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生きる。  作者: 花音瀬笛人
一章 幻想の中へ
9/9

僕の意思

 光が、死んだ。原因と思われるのは首筋にあった虫刺され。きっと彼は毒虫にでも刺されてしまったのだろう。遅効性の致死毒を有した、未知の生物に。

 死体を確認したとき、虫に刺されたと思しき首の裏側が黒く腫れていたそうだ。

 焚き火を前に笑い合った光。痛がるようなそぶりも、違和感を感じる仕草も、なかった。

 眠りについたその後で毒は効力を発揮して、彼は文字通り眠るように死んでしまった。

 安らかに寝息を立てる僕の隣で、断末魔を上げることもなく、ただ静かに、彼は死んだ。

 鋭く冷えた空気に身体の熱が奪われてしまうような感覚を覚える今日。それでも僕は外に出ていた。

 いつもの川の、岩の上。腰掛けて、空を眺めている。冷たい風に身を晒して。

 何もかも、どうでもよく思えてくる。気力が、湧かなかった。

 この感覚を僕は知っている。現実が苦しくて、頭の中をノイズと死が過ぎっていたあの時期。

 何をするにも億劫で、まるで気力が湧かない状態。幸福値のようなものがずっとマイナスを示していて、一時上昇することはあっても零を超えることがない。

 緩やかに、でも確実に、『死』へと引き摺られていく。

 川のせせらぎを耳にしながら、緩慢な動作で冷たくなった左手を引き上げた。むず痒くて、熱いのに冷たい、変な感覚。気にせず、手首に爪を押し当てて、掻き切るように横へと動かす。以前よりも、一層強く。

 血が出ることは、ない。リストカットの痕跡も、僕の手首には残っていない。

 当たり前だ。僕は、それさえできなかったのだから。

 死んでしまおう、そう考えて包丁を持ったことがある。でも結局、ノイズに邪魔された。

 それはとても、痛い。

 きっと、苦しい。

 死んでしまったら、僕はどうなるのだろうか。

 雑多な思考はノイズとして決断を阻む。

 もし本当に地獄があったのなら、きっと僕は地獄に落ちるだろう。親より先に死ぬのだから。地獄の責苦、どれほど恐ろしいのだろう。

 もし、生まれ変わりがあるのなら、また自分は人として生きなければいけないかもしれない。虫とかになるのは御免だし、かといって人として生きることも辛い。一体、どうしたらいいというのか。

 もし、肉体から魂のようなものが離れることはなくて、死後も苦痛を感じるままなら、最悪だ。火葬なんて、絶対に苦しい。

『死』の先に何があるのか、つい、考えてしまう。そしてその後は決まって恐怖するのだ。まだ先があることの、なんと恐ろしいことか。

 だから僕は、死ぬという選択ができない。

 死んでしまおうと思っても、死にたいと思えない。

 どうしようもない、半端者。

 漸くできた本当の『友達』を失っても、大切な人を失った青木空が彼の後を追ったと聞いても、それでも変わらない、変わってくれない僕の根幹。

 ああほんと、大嫌いだ。

 心地良くて、好きだった川辺の音達。幻想的な、美しい景色達。どれも、くすんで見えてしまう。

 心が、満たされない。癒されない。

 感動も、高揚も、幸福も。注がれたそばから、零れ落ちていく。

 現実から目を背けたくて、背けなければ本当に壊れてしまうから、僕は思考の海に溺れた。光の死体を預けたその後から。 

 いち早く駆けつけた鈴蘭ちゃんと青木空。どちらも酷い顔だったけれど、空ちゃんの方は一層酷かった。後追い自殺をしたと聞いても、驚かないくらいに。

 遅れてきた男衆に死体を預けて、その後はずっと思考に溺れたまま。

 光の死体は焼かれて、その灰は川に流された。指示したのは私じゃない。私は何も、何もしなかった。

 薄情な奴だと、自分でも思う。

 でもどうか、許してほしい。今の僕には、そんなことさえ、できない。友達を弔ってやる余裕が、ないんだ。

 今も、ほら。声が聞こえる。

 また一つ、現実が遠ざかってくれたね。

 友達なんて作らなければよかったんだ。『僕』の幻想にソレは不要だろう?

 彼女も早く、死んでくれたらいいのに。

 もうじき、雪が降るね。何人消えてくれるかな。

 雪に染まったこの世界も、楽しみだ。

 白葉鈴蘭が消えてくれたら、漸く『私』として生きていける。

 諦め手放しかけた幻想の中で、生きていける。

 耳を塞ごうとお構いなしに、ずっと、囁かれる。言い返す気力は、既に失われていた。

 彼の存在は、僕の中でとても大きなものになっていたのだ。いっそ、彼女を見捨ててしまおうか。そう、思ってしまうほどに。

 最低限の食料と道具をくすねて、一人、拠点を離れる。彼らのことなんて忘れて、焦がれてきた幻想に耽溺するのだ。きっと、すぐに死ぬだろう。それでもいい。未知を目にして、触れて、心ゆくまで味わって。幻想の只中で果てることができたのなら。

 現実は窮屈だ。そこに自由など有りはしない。だから人は夢を見る。幻想の中にこそ、自由を見出すべきだ。

 チャンスを、僕は掴んでいる。

 逃げ出す準備はしていた。少々予定を変えるだけ。

 いつまでも現実に縛られているなんて馬鹿らしいではないか。自由が目の前にある。手を伸ばせば届く距離にあるのだ。

 手を伸ばせ。

 これでお前は自由になれる。

 手を伸ばせ。

 現実に価値なんてないだろう。

 手を伸ばせ。

 僕が一番、それをよくわかっている。

 掴み取って、楽になろう。もう、苦しみを味わうことはない。夢に溺れていれば、それは些事だ。

 全部捨てて、溺れよう。

 幾度となくその結論に至った。それが最善、一番楽しくて、一番楽。  

 でも、身体は動かない。直前で踏み止まる。踏ん切りがつかない。

 愚か者め。

 今もこうして、空を見上げている。何一つ成さないままに。

 僕が一番の愚か者だ。

 茫洋と、降り始めた風花を眺めている。何一つ成そうとしないままに。

 ——お前は、何がしたい。

 光の死を発端に、秩序は揺らいだ。当然だ。死んでしまった彼が管理者の一人で、片割れは管理を放棄したのだから。

 始め、悲しみに暮れた皆。やがてそれが薄れると口争いが増した。

 諍いが増え、普段より疲弊し、不満が溜まって、また争う。負の連鎖、その手本のような状況。

 心の支えがなくなって思考力も判断力も鈍った。現に探索へ赴いた十人以上が帰ってこない。たぶん死んだのだろう。

 これが現実だ。もう、『いつも通り』には戻れない。失ったものが大き過ぎた。

 薄氷の秩序はまもなく崩れる。六十なんて人数、とても支えることなんてできやしない。

 始まりの日、想像した『最悪』。現実になる日は近い。

 明日でも、なんら不思議はない。

 閉じられた瞼の裏に、その光景が浮かぶ。きっと彼女は酷い死に方をする。人は、残酷になれるのだから。

 ああ、嫌だなぁ。

 好きな人が、そんな死に方をするなんて。鈴蘭ちゃんには、幸せに死んでほしい。僕の手が届かないところで、死んでほしくなんてない。

 ここで決断しなければ、絶対に後悔する。

 予感がした。こう云う予感は、外れたことがない。

 次はきっと、ナイフを手首に押し当てることになる。

 まだ、死にたくはない。

 ゆっくりと、瞼を上げる。

 ひとひらの雪が頬に触れた。その冷たさは死を想起させる。光の身体も、これくらいに冷えていた。よく、憶えている。

 岩の上から身を投げ出して、派手な水音を立てながら川中に降り立つ。氷以上の冷たさに痛みすら感じた。でも今は、それでいい。

 漸く、目が覚めた。やっぱり目覚ましには冷水がよく効く。

 自分の頬を引っ叩いてごちゃごちゃした思考を吹き飛ばす。忘れるべきは夢の方だ。幻想的であろうとここは紛れもない現実。僕はここで生きていかなければいけない。

 現実は窮屈だが、幻想は充足ではない。存在しないものに満たされることはない。

 満たしてくれるのはいつだって現実で、それを彩ってくれる存在を人は大切にしなければいけない。

 僕にとっての大切は『白葉鈴蘭』、彼女をおいて他になく、彼女を失うこと以上に恐ろしいことはない。

 一体何を悩んでいたんだ、僕は。

 力強く一歩を踏み出す。身体を熱が巡った。触れた雪が融けて消える。

 僕はまだ、生きていたい。叶うなら、彼女と。

 この熱を奪われてなるものか。

 迷いを振り切って前に進む。振り返らず、真っ直ぐに。

 光の頑張りで生まれた猶予、そのお陰で準備できた。無駄になんてしない。必ず、成し遂げる。

 他の全てを踏み台にしてでも、僕は成し遂げよう。

 自分の中にあった『生きる意味』の欠片に、やっと気づくことができたのだから。

 生きる為に、できることをやろう。

 半端者ではいずれ死にたくなる時が来る。変わりたいのなら、たとえ愚かでも行動しなければいけない。

 かつて僕は、行動しないままに『私』を夢見た。それはもうやめだ。

 僕は僕のまま、変わってみせる。

『大切』を守れる人間に、僕はなりたい。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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