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生きる。  作者: 花音瀬笛人
一章 幻想の中へ
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歪んだ過去と想い

「皆、準備はいいな? いくぞ!」

 不安を抱えたままの面々を引き連れ、光を先頭として森に踏み入る。磁石もなく、正しい方位がわからない為に四方は適当。ただ四つに分かれて探索するだけ。

 僕らが進むのは東西南北どれだろう。少し、ムズムズする。

 男子は前方、女子は後方、隊列を組んで学生達は探索へと乗り出した。

 私の位置は光の真後ろ。都合が良いから相談の末こうなった。

 草葉を踏み締め、自らの背丈の何倍もある木立の間を抜けて、未知を切り拓く。

 顔に出すことはないが、胸が高鳴って仕方がない。生存をかけた危険な状況であることは重々承知している。しかし、目の前にあるのはずっと求め、諦めた幻想なのだ。

 夜、見上げた宙が瞼に焼き付いている。大地にはどんな幻想が広がっているだろうか。

 想像するだけで、心が躍った。この世界に僕は文明の痕跡を見つけていない。もし人がいるのならどのように暮らしているだろう。できれば元の世界とは違ったものであってほしいと思う。漸く、あそこから解き放たれたのだから。

 どんな生物が息づいて、どんな景色があるのだろう。美しく、それでいて退屈しないものであってほしい。

 ——あちらのような世界は、御免だ。

 未知への恐怖、不安といった類のものは、憧憬と高揚に塗り潰されて消えた。そんなものがあっては、幻想(ユメ)が楽しめないではないか。

 ちらりと後方に目を向ければ、恐怖に身を縮め方を寄せ合って歩く同級生が映る。怯えるように視線を彷徨わせ、血色はあまり良くない。

 過剰に身構えたところで、事態は何も好転しないというのに。あれでは余計な体力を使うだけだ。

 女子は仕方ないとしても、普段粋がっている男子共までこの様子とは不甲斐ない。

 冷たい視線は集団の中の一人に焦点が合ったその瞬間、消え失せる。

 怯える者の群れで、ただ一人それを表に見せない少女がいた。肩まで伸びた艶やかな黒髪、日に焼けていない白くしなやかな肢体。心揺さぶらない現実の中にあった唯一の例外。

 家族よりも、尚大切な『特別』。

 彼女を中心として、女子は陣形を形作っている。彼女は集う女を庇護し、集った女は彼女を守る。そんな共存関係。現実でも、自己顕示欲の強い女に負けた女子は彼女の元に集っていた。

 追い返されることはなく、カースト上位者もちょっかいをかけることがない。とても、理想的な環境。

 鈴蘭ちゃんは優秀だ。とても、優秀すぎる程に優秀。勉強も、運動も、人格も、総じて隙がない。そして何よりも、欲がないのだ。

 この年頃の少女にはよくある、自己顕示欲。立場が上であることをアピールすることがない。賞を獲って褒められれば、困ったように微笑む。過剰に誇ることも威張ることもない。だからこそ、白葉鈴蘭という存在は毒になりうるのだ。

 彼女より優れていないのに、劣ったことしか成せないのに手を出せば、それはとても惨めで滑稽だ。理解しているから、『上』でいるつもりの女は手を出さない。出せない。

 一見、主張をしない白無垢の花。しかし放たれる甘い香りは酷く上質で、それは他の花にとって毒となる。緩やかに周囲を侵して自分以外を排斥する毒。

 正に鈴蘭のような人だと思ったことがある。彼女はきっと無意識に毒を滲ませているだろうから。それは本能に近いモノに思えた。

 だから、僕は彼女が羨ましい。こちらに来たからといって、その思いは変わらない。あちらにいた頃から、何度も頭を巡る思考。

 自分は恵まれている方だという自覚はある。どんなことも大抵はできたし、家族には愛されて、甘やかされて育った。

 でも、強かも熱も、持ち合わせていない。

 邪魔を排除する覚悟も力も。

 夢へ進む為も熱も努力も。

 持っていなし、しなかった。

 全部、どうにかなってしまったから。

 小一の頃、勉強は楽しかった。良い点を取る度、褒められるのが嬉しかったから。

 いつしか、楽しさは薄れた。

 高得点を取ることも成績上位になることも、当たり前になったから。段々と手を抜く様になった。それでも成績は落ちなかった。

 昔から、なんだってできた。

 勉強も運動も。裁縫だって。まるで苦労をした記憶がない。泳ぎに関しては今もできないけれど、カナヅチ故に例外として。

 何でもできると面白みがなくなるものだ。現実がつまらなくなって僕は虚構の世界に魅入られた。周りの人間が嫌いの対象になってからは特に。

 本に綴じられた『誰かの幻想』。僕を満足させてくれたのはいつだってそれで、現実には何も望むことがなくなった。

 幻想に彩られた虚ろの日々。何度か生きることが面倒になってナイフを手首に押し当てたことがある。

 さあ、死のう。

 思い切り力を込めて裂こうとした。でも結局、痛みが走ることも血が流れることもなくて。脳裏に過ぎるのはある光景。

 虚構の物語のワンシーン……ではなくて、あれだけ忌避した現実の、その中に生きる彼女の姿。

 大人びて、どこか達観している様に見える鈴蘭ちゃんのあどけない笑み。年相応の神秘的で、儚げで、愛らしいそれが、自分に向けられている様。

 どうしようもない妄想、幻想。正しくは、望み。

 私は——僕は、白葉鈴蘭という『特別』によって現実に繋ぎ止められている。

 繋ぎ止められているが、それだけだ。現実への失望は深く根を張って、僕は何も進歩していない。

 このまま自分を研がなければ、どうなるだろうか。

 答えは分かりきっている。いずれ歯牙にも掛けなかった者の海に落ちて、底にまで沈んで、無力感の果てに、()()()

 これはきっと、緩やかな破滅願望。

 私は、僕が嫌いだ。努力しない、頑張らない、そんな自分が大嫌い。

 でも、あっちでは落魄れることができなかったから、この世界に来た時、僕は心の奥底から歓喜したのだ。

 しがらみは、ない。夢見てきた。幻想の中で果てることを。やっと、幕を下ろすことができる。虚ろな半端者の物語に、終わりを齎すことが、やっと——

 彼女がいなければ、『特別』という楔がなければ、自分は終わることができた。そんな予感がした。現実の中で度々感じる、『そうなる』という予感。僕のそれは、よく当たる。

 彼女から目を逸らす。気がつけばいつもも思考に陥っていた。今はそんなの、どうでもいい。

 鈴蘭ちゃんがこちらにいるからには、僕は守らないといけない。それが僕の、するべきことだから。

 いなければ諦めはついて、自分を納得させて死ねただろう。

 でも、愛しい幻想が焼き付いて消えない。期待している自分を否定できない。

 この場で、色恋にヤキモキしてしる大馬鹿者はたぶん僕だけ。でもさ、何よりも優先度が高いんだから仕方ないよね? 有象無象の命なんてどうでもいい。彼女がいるというのが大事なんだ。

 我知らず握っていた拳に力が入る。

 ああ、彼女と二人きりになれたなら、どんなにいいだろう。

 自分の顔が酷く歪んでいることに気がついて、身体から力が抜けた。

 それをしたら彼女は僕を恐れるだろうし、それは困る。 僕同様、彼女にも愛してほしい。

 皆、事故でも何でもいいから消えてくれないかな?

 降り注ぐ木漏れ日に手を透かす。細められた目に薄く赤が映る。血の色。美しい幻想に不釣り合いなモノ。

 邪魔だなぁ。

 軽く、頭を振る。考えすぎは良くない。今は、夢見てきた幻想を楽しもう。

 異界の森、そこは広葉樹が大半を閉めていた。しかし秋ということもあって葉は枯れ落ち、薄暗いといった印象はない。

 一歩踏み出す度、枯葉のひび割れる乾いた音がした。

 木の幹に手を添えて剥き出しの根を越える。内ばきとはいえ靴があってよかった。森歩きなんて素足では無理だ。

 慣れないながらも皆懸命に歩いた。生き残る為にはそれしかないと、薄々気づいているから。

 僕は、必死とはまた違う。少しばかりの余裕があって、それを思考に割いている。

 生きることに執着していない。ここで死ねるなら、それでもいいと思ってさえいる。だから、つい昔を振り返るなんて状況にそぐわないこともしてしまう。

 ほんと、馬鹿らしい。

 探索を始めて一時間ほどが経った頃、僕らはソレを目にした。

 一際大きい、十メートルを裕に超えているだろう巨木。その幹に刻まれた、深い爪痕。周りには夥しい数の動物の死骸と血痕。

 皆一様に息を呑み、表情を凍らせる。暫く呼吸の音も聞こえなかった。濃密な死の気配に萎縮して動くことができない。こればかりは僕も例外ではなかった。

 ここは想定より、危険な世界かもしれない。

 元の世界で危険な獣とされた熊でさえ、この惨状を生み出した生物には敵わない、そう思うには十分な衝撃。

 むせかえるような血の匂いに鼻をつまみ、一度目を閉じる。

 ……落ち着け。冷静に、思考しろ。

 犯人、というのもおかしな話か。まず人間ではない。獣、それもかなり大きな部類だろう。道具を使った形跡はないし、それに——

 散らばった死骸の一つに目を向ける。半身を喰い千切られた死骸だ。小動物ではない。恐らくは猪のような獣。

 背中を冷たい汗が伝う。血痕に触れ、乾き具合を確かめる。

 息が漏れた。安堵の、息が。

 血は乾き切っていた。近くには、きっといない。

そうであってほしい。

 未だ動けずにいる光に耳元で告げる。

「急いでこの場を離れよう。血は乾いてるけど、まだ安心はできない」

 光は一つ頷くと即座に指示を出す。皆、惨状から目を逸らし、凶悪な存在に出くわさないよう祈って早足に離れた。

 あれから、誰も喋っていない。最初より顔色の悪い生徒も、増えた。

 僕は、それほど悪い気分じゃない。あの光景を作り出した存在への恐怖はある。でも引き摺ったところでどうしようもない。そう割り切れてしまった。

 対策したところでどうにもならないだろうという諦めもあったが、それにしたって不思議なほど自分は冷静だ。

 これは異常だろうか。

 いや、どうでもいいな。忘れてしまおう。

 最低限、準備はするつもりでいるが、たぶん無駄になる。圧倒的な暴力で叩き潰されて、それでお終い。

 この恐怖はノイズになる。意味がないなら忘れてしまうのが一番だ。

 切り替えて、進む先に目を向ける。せっかく、離れられたんだ。楽しまないと、もったいない。

 自分に言い聞かせると、少し心は軽くなった。

 道中、見たことのない植物を見つけて、見たことのない動物を遠目に見て、更に心は軽くなる。

 白い皮を剥くと、血肉のように赤い果肉を覗かせる果実。

 オジギソウとは反対に、触れると茎が真っ直ぐなる植物。

 雪のように真っ白なリスや木の実を投げ合って遊び子猿。

 森は未知に溢れていた。見て触れる度、心の空白が埋まるような感覚がする。生き死にをかけた探索なのに、僕は心の底から楽しいと思っている。

 見たことのない植物を見つけて、見たことのない動物を遠目に見て、更に心は軽くなる。

 発見した果実をパッチテストも何もせずに班員が口にしようとした時は昏い感情が過ったが、甘く瑞々しい未知の食物に再び沸き立った。

 手頃な岩に寄りかかって、暫しの休憩。

 アドレナリンが切れかかると疲れが押し寄せてきた。目を瞑って、呼吸を整える。吸い込んだ空気が、とても美味しい。汚れていなくて、仄かに果実の馥郁とした香りを孕んでいる。

 瞼を閉じたまま、自分達を取り囲む自然に耳を傾ける。

 鬱陶しい雑音が少なくて、心地いい。

 枝葉の擦れる音。  

 落葉の音。

 地を駆ける小動物の足音。

 心なしか自然に近づいた感じがする。

 フィー

 ララロ

 トトッ

 小鳥の囀りが届く。折り重なって、空を満たす、美しい歌声——

 ふと、思い出したのは彼女の夢。

 耳に残る、愛しい歌声。

 ああ、そうか。鈴蘭ちゃんの夢は、もう叶わないのか。

 自分にはないから、思い至らなかった。

 あっちに帰れないなら、彼女の夢は果たされない。

 小さな頃から、鈴蘭ちゃんは歌が好きだった。将来は歌手になりたいのだと語って、そこを目指して努力を重ねて来たんだ。

 努力の一端を、僕は知っている。

 そうか、あの日々は、無駄になったのか。

 こっちに飛ばされた、その瞬間に、全部。

 深く、息をして拳を握る。どうにかなってしまいそうな気分だ。

 神がいたら、嬲り殺しにしたい。

 僕なんてどうでもいいんだ。僕だけなら、勝手に満足して勝手に死んだ。他の生徒も何人いようがどうでもいい。

 息が、溢れる。

 ——彼女は、ダメだろ。

 彼女よりも真摯に自分の『好き』と向き合って、夢へ進む努力をしてきた人間を、僕は知らない。

 こんな形で終わらせていい筈がない。なんだよ、この中途半端な終わりは。正しい努力を積み重ねた人間は、報われて然るべきだろう。

 真摯に向き合い続けて来た人間は、相応の充足を得て然るべきだろう。

「クソッタレ」

 どう足掻いても、どうにもならないことが腹立たしい。

 どうにもできないことが、どうにもできない自分が腹立たしい。

 僕では、力になってあげられない。

 無力感に飲まれそうだ。いっそのこと、呑まれて死にたい。

 ……でも、死んだら彼女は余計に悲惨な目に遭うのだろう。容易に想像がついてしまう。

 守らなきゃ。強く、何かに追われるように湧き出る意思。そのせいか固く閉した記憶の扉が一瞬、僅かに開く。

 ()()()の為にも、僕が守らないといけない。

 鈴蘭ちゃんを、守らなきゃ。彼女は僕の大切だから。大切は、失いたくない。

 開かれた瞳。映す空は嫌味なほどに澄んでいた。岩から背を離して、光の元へ。あの子を思い出せないことに、何の違和感を抱くこともなく。

「光、そろそろ行こう。早く水源を確保した方がいい」

 僕の提案を彼はすんなりと呑んだ。

 再び、隊列を組んで未知を拓く。踏み出す足に力は無く、他に選択肢がないからそうしているだけ。

 時折木の実を摘みながら、来た方の反対へと歩を進めていく。帰りに迷わないよう、拾った石を落としつつ。

 足取りは重く、顔には怯えの色。それでも学生達は水を求めて異界の森を彷徨い歩く。

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