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生きる。  作者: 花音瀬笛人
一章 幻想の中へ
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マモノ

 光班は結局、水源を見つけることはできなかった。けれど収穫がなかったわけではない。元の世界には存在しなかった動植物を観察することができたし、毒がないことを確認した上で木の実や果物をそれなりに手に入れた。

 探索の成果を抱えて最初の空き地へと帰り着く。他の班は既に揃っており、各々の成果を並べている。

 光を中心として確認作業を済ませた後は道中どんなモノを見たのか報告することになった。

 全班の報告を光の背後で聞き届けて、一人思案する。

 吉報が一つに、凶報が一つ。川を見つけることができたと云うのは喜ばしい。今の僕らに最も必要なものだ。しかし——

 禍々しい化け物、か。

 僕らが見たようなこちらの世界に存在する一般的な生物とはまた違った姿をしていたらしい。

 鋭い爪と血走った眼。三メートルはありそうな巨躯に黒いもやを纏った二足歩行の化け物。おおよそまともな生物には思えない。

 その話を聞いて頭に浮かんだのは先程目にした惨状。異様、と云う点では似通っているが……同じ個体だろうか。

 ファンタジー作品に登場する異形の怪物達に近い容姿、魔物とでも呼ぶとしようか。発見した彼らは遠目に見ただけだと言うが、こちらの存在に勘づかれていないとは限らない。武器も何もない僕らには普通の獣にすら対抗する術がないのだ。魔物に遭遇しようものなら問答無用で詰みだろう。

 幸い別の班が発見した川は魔物が見つかった方向とは逆にある。この場所は放棄してそこまで逃げるのが最善手。

 そこまで考えて、光にそっと耳打ちする。

「光。ここは万全を期すべきだ。川の近辺まで逃げて、そこに拠点を作ろう」

 彼は無言で頷くと、皆に向けて意見を述べた。反対意見は出ることはなく、全員が賛成を示して僕らの方針は定まる。

 荷物(といっても先の探索の成果が主)を纏め、学生達は川を目指して歩き出す。

 ほとんどの人間は暗い表情を浮かべていたが、僕はそれなりに道中を楽しんでいた。まだ見たことのない生物を目にすることができたから。

 ただ、少し不満も覚えていた。確かにこの世界は美しいが、物足りない。求める幻想はまだ遠い。

 私がこれまでに見てきたモノは常識の範囲内に収まってしまう程度のモノ。精霊とか魔法とか、超常的な或いは超自然的な、そういうモノに触れたいのだ。

 でもまぁ、それなりには充足している。これ以上は欲張りだし、これ以上僕の幻想と重なってしまったら、()()が現実的になる。流石にそれでは申し訳がないし、心の負担を考えてもやめてほしい。

 でも、やっぱり——

 幻想に取り憑かれた自分が、『他の人間なんてどうでもいいじゃないか』と囁く。

 辟易して、病んで、鬱になって。散々耐え忍んで来ただろう。それがやっと、報われるんだ。漸く、僕は満たされる。夢見、渇望した世界に、彼らは邪魔だ。白葉鈴蘭、彼女だって本当は——

 違う! 

 心奥、向き合った『僕』に対して明確な拒絶を示す。彼女は、特別だ。彼女がいなければ僕は……。

『白の少女』がいるだろう? 僕の求める理想はあの少女だ。風に揺らめく夜の髪と純白のワンピースは神秘的で、雪のように白い肌は触れたら消えてしまいそうな儚さを感じさせる。見る者に現実感を抱かせない幻想の住人。

 違う、違う! 僕が愛してるのは白葉鈴蘭であって『白の少女』、彼女ではない!

 本当にそうか? お前は何よりも現実を嫌うが、彼女だって現実の住人だ。忌避する対象になるだろう?

 彼女は忌避の対象じゃない。それを言ったら僕だって現実の住人、忌避の対象になるじゃないか……。

 当たり前のことを聞くなよ。僕は僕が嫌い。一番よく知っている筈だ。だから——

 音もなく闇から滲むように現れ、『僕』の隣に並び立つ三人目。

 私を求めた。そうでしょう?

 長い髪を吹かない筈の風に遊ばせ、私は僕に言葉を向けた。

 自分を嫌って、私を夢想した。後は白葉鈴蘭、彼女を嫌うだけでいいの。そうしたら——

 ()は現実を捨てられる。

 重なる、『僕』と『私』の声。心を揺らして、現実を遠ざけていく。

 動けない僕を『私』は抱きしめて、耳元で囁くの。

 漸く私は私になれる。貴方が望んだことよ? いい加減半端者はやめなさい。現実は遠く、幻想が近づいた。もう縛るものはない。縛る者はいない。邪魔も不快も全部消し去って、満たされましょう?

 甘く心を蝕む、抗い難い言葉()。今までは、耐え切れた。でも、もう無理だ。この世界は、あまりにも幻想に近しい。求めても手に入らなかったものが、目の前に広がっている。

 摩耗し、傷ついた脆い心は、もうどうしようもないくらい幻想を求め、溺れてしまうことを望んでいる。

 委ねてしまおうか。それで、楽になれる……。

 徐々に力の抜けていく身体。諦めの感情が変質して脳を痺れさせる。何なのだろう、この感覚は。とても心地良くて、ずっと浸っていたくなる。

 閉じていく瞼。しかし、全てが見えなくなる寸前、僕は『私』の肩越しにその姿を捉えてしまった。

 瞬間、甘い狂気も何もかもが霧散する。時間が引き伸ばされたかのような感覚。音の感覚も全てが遠い。

 例えるなら、真冬の雪原に佇んでいるかのような、そんな、不思議な感情。満ちた静寂と孤独感にどこか落ち着くけれど、ふとした瞬間にとても恐ろしくなる。

 いつもと変わらぬ姿で、さもそれが当然であるかのように存在する、白い、少女。

 なんで——

 ぽちゃん。

 不意に聞こえた水音。それを契機に意識は現実に引き戻された。辺りに満ちる水の匂いに、足元を浚う流水の冷たさ。

 僕は川の中ほどで立ち竦んでいた。いつ、どうやってここまできたのか、まるで覚えがない。

 混乱したまま音のした方向——背後を振り向いて、そこに立つ人物と距離の近さに驚く。先程よりも余程に。

「なんで鈴蘭ちゃんが、ここに?」

『白の少女』に言えなかった言葉を、唇が触れてしまいそうなほど近くにいる彼女にかける。

「顔色、悪かったから。こんな状況だし心配にもなるよ」

 紺色の制服を纏った裸足の少女は無表情のまま、そう答えた。

 現実感が漂うから、目を逸らしていた学校の制服。でも彼女が着ると、それが感じられない。

 後ろ手を組みながら上目がちに彼女は言う。まるで感情の乗らない声音で。

「大丈夫、葵君?」

 ずっと好きだった鈴蘭ちゃんがこれほど近くにいるというのに、不思議と胸は高鳴らない。茫洋とした黒い瞳から目を逸らすことができなかった。

 表情を浮かべず、ただ目線を合わせる彼女。その瞳に全てを見透かされているような気がして、恐ろしくなる。

 余りにも脆い、ガラスの心。当たり前に生きなければいけない現実にさえ、酷く傷ついた。想像力と云う名の水を凍りつかせ、幻想と云う名の氷で覆い、誤魔化した、僕の壊れかけの心。

 冷え切った孤独の心奥を、覗かれている心地がした。比喩ではない。覗かれていることがおかしいと、僕は思えない。

 時々、感じるのだ。

 白葉鈴蘭、彼女には魔性が宿っている。

 普段の彼女は、少し大人びているけれど笑顔のあどけない少女。それが僕の抱く印象。

 でも、稀に、魔性を覗かせる。不気味で、恐ろしく思えるが目を離すことができない。どうしようもなく惹きつけられて、逃れることができない。

 その目は全てを見ている気がしてならないのだ。魔性が宿る『特別』な彼女なら。

「大丈夫?」の指すものが、今この状況に対してではなく破綻寸前の取り繕いに対したものに思える。

「……大丈夫だよ、僕は、まだ」

 答えた後も、変わらず彼女は黙したまま。何を話すでもなく、僕の目を見つめている。

 鈴蘭ちゃんは、何を見ているのだろう。

 何が、見えているのだろう。

 どれだけの時間そうしていたのかわからない。やがて彼女は「そう、ならいい」と言って、それを皮切りに表面化した魔性が消えていく。

 少女然としたいつものあどけない笑みを浮かべ、僕の手を引く。

「一緒に戻ろう? 光君達も、心配してるよ」

 透き通った、僕の大好きな声でそう言った。さっきと、変わらない距離で。

 よくよく考えてみれば、これまでの人生で一番近い場所に彼女がいる。それこそ、唇が、触れてしまいそうなほど近くに。

 心臓が早鐘を打つ。急加速して、体温が上がる。

 別の意味でハートが壊れてしまいそう。

「……うん」

 もっと他に言えることもあっただろうに、それだけしか返せなかった。

 顔が赤くなっていやしないだろうか。鈴蘭ちゃんの顔を直視することができない。僕が、好きだと思っていることがバレたらどんな顔をされるのか、わからないから、恐ろしい。

 彼女に手を引かれて拠点まで歩く。幸い、道中で彼女は振り返らなかったし何かを言及されることもなかった。

 手のひらから伝わる鈴蘭ちゃんの体温。恥ずかしかったけれど、とても幸せで、離したくないと思ってしまった。

 前を歩く想い人の、揺れる黒髪を見つめた。やっぱり、僕が愛しているのは彼女で、あの子ではないのだ。

 触れることさえ叶わない、幻想の少女ではない。 

 どれだけ現実を憎もうと、現実に生きる以上、僕が愛せるのはやはり現実に生きる彼女だけ。

 本当に、とんだ半端者だ。

 僕は、彼女(現実)の側を離れたいなんて、思えない。現実の影を探さなければきっと僕は生きていけない。

 ああ、離れたくないなぁ。

「あっ、光君」

 彼女の言葉で僕は漸く生徒会長(邪魔者)の存在に気がつく。決して、決して表な出すことはないが、心中では沸々と怒りが煮えている。

 タイミング悪いんだよ、もう少し浸らせろや光ぅ。

 爽やか笑顔で手を挙げているのが尚一層拍車を掛けている事実に、彼が気づくことはないだろう。

「葵君、大丈夫だって。あいちゃん達のとこ戻るから、後はお願いしていい?」

「わざわざありがと、鈴蘭」

 僕らの学校は小学校から顔触れが変わらない。全員昔から知っているから距離が近い。未だに名前呼びしないのは少数である。

 自分の好きな子が他の男に名前呼びされている様子は、何かこう、来るものがあった。敗北感にも似た感情。

「葵君、無理しちゃダメだからね?」

「……ありがとう、鈴蘭ちゃん」

 去っていく彼女の背を名残惜しく見つめしまう。その姿が完全に見えなくなってから、漸く光に向き直る。盛大に溜め息を吐きながら。

「さて……葵は大丈夫そうだな。好きな子に手を引かれて顔、緩んでたぞ」

 思わず自分の頬に手を当ててしまう。それほど顔に出ていたなんて。

「ついでに耳も赤くなってた」

 それ、かなりの確率で鈴蘭ちゃんにもバレているのではないだろうか?

「葵って、こう云うとこだけは年相応だよな……」

 光の溢した呟きに、赤くなった耳を手を隠して俯いた。

 

 

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