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また、いつか

 香代はまた大きな月が輝くライラの空間へ来ていた。


 本懐を遂げ、バドルへ戻された四人は祝賀のパーティーやら式典の前に休息を求めた。ぬるいとはいえ魔王とソレイユの者たちの連戦だったのだ。


 そのソレイユの王子たちはバドルにはおらず、行方不明だ。アルエットは無事で、何故か彼女の幼馴染も一緒にいた。

 何か事情があるのだろう。もはや眠気が強すぎて何も考えられなかった。

 半分眠った状態で身支度を整え、ベッドに入ると同時に眠りに落ちた。


 そしてさっき別れたはずのライラに呼び出されたのだ。

 香代からは絶対呼びかけていない。今日くらいは夢も見ずに眠りたかった。


「いらっしゃ〜い」


 砂丘に敷かれ絨毯の上で待ち受けていたのはライラではなく、プリミーティヴだった。横に座るのは逆光でよく見えないが、体型からして夫のラステではない。

 手を振っているので仕方なく近寄る。もう来てしまったのだ。諦めるしかない。


「うわっ」

「あらあら、そんな顔しちゃ可哀想よ」

「……」


 プリミーティヴの隣にいたのはつい数時間前香代を殺そうとしてきた礼司だった。遠慮なく顔を顰める香代に対し、気まずそうに目を逸らした。


「こいつどうするんですか?」

「元の世界にお帰しするわよ? 女の子の方はもう送っちゃったけど、この子は会いたい子がいるみたいだから」

「えぇー……。まぁ、いいですけど」


 プリミーティヴが自分の隣を叩くので、しぶしぶ座る。礼司は居心地が悪そうに身じろぎした。


「始まるわ」


 プリミーティヴが顔を上げ、視線を飛ばす。釣られて香代もそちらを見た。

 満月を背負い、二羽の鶴に似た鳥が向き合っている。片方は夜空のような黒で、もう片方はオーロラのような艶のある銀の羽毛を持っていた。

 黒い鳥はライラで、銀の鳥はミサかもしれない。


 二羽は慎ましやかに首を垂れ、羽を畳んでいたが、俄かに鳴き声を上げる。

 首を振り立て、翼を広げ、激しく鳴き合う。昔見た鶴の求愛のようだ。

 一体何をやっているのだろうと首を傾げていると、月の光の中に異なる光が生まれ始めていることに気づく。

 鳴き合う二羽の嘴の先に、白く淡い光の玉がぼんやりと浮かび上がり、かつてライラに聞いた言葉が蘇る。


 ――魂は人の姿か、光の玉の形をとるよ。


 ふわふわと中空に浮かぶ、両手に収まりそうな光の玉。あれはきっと。


 ピタリ、と鳴き合わせが止まる。

 光の玉は解き放たれた仔犬のような速さで香代たちがいる場所とは正反対の方角に飛んで行く。

 微かな羽音を立てて黒い鳥が飛び立ち、そのあとを追う。

 光の玉が目指した先には、いつの間にか見覚えのある黒髪の少年が立っていた。

 病的に痩せ衰えてもなお美しい彼は、生前は無縁だった穏やかな表情を浮かべている。


 光の玉は少年の傍に来るとぼんやりとした子供の姿になった。抱っこをせがみ、両手を伸ばす。

 少年は笑ってぼやけた子供を抱き上げる。

 離れているはずなのに、きゃらきゃらと笑う声が聞こえた。

 しがみつく子供の背中を少年は優しく撫でる。不意に香代の方を見て、この上なく幸せそうに笑った。

 香代がその笑顔の意味を悟る前に降り立った黒い鳥がふたりを翼で包み、次の瞬間にはその姿は消えていた。

 代わりに白い光を帯びた黒い鳥が飛び立ち、いずこかへ翔んでいく。そのうち、闇に紛れて見えなくなった。


 香代は感慨深く鳥の行方を見送った。

 ライラの治療は無事終わったようだ。美織は自分の姿を失っていたが、玲司の元へ一目散に向かったあたり、すべてをなくしたわけではないようだ。

 でも、自分の体にも、恋人にもまるで見向きもしなかった。

 最後に美織の中に残ったのは玲司との絆だけだったと思うとなんとも言えない気持ちになる。


 ライラはふたりをどこへ連れて行ったのだろう。美織の体で生きると誓った香代には及びもつかない。

 でも、ふたり一緒ならどこであろうと大丈夫だ。

 また、いつか。

 ふたりが現実で一緒にいられるといいと思う。


 小さな羽音が耳を擽り、香代はふたりの去った方角から目を移した。

 すぐ近くに銀色の鳥が降りたっている。

 鳥は細長い脚を優雅に動かし、もうひとりの礼司の前に立った。


 礼司はまだ美織が去った方角を見て、泣いている。

 別れの言葉どころか気づかれることすらなく美織は去ってしまった。

 彼は彼女の心の片隅にすら居場所がなかったのだ。


 惨いことだが、慰めはしない。

 美織の心残りになる、そんな存在に彼はなれなかった。

 もう二度と取り戻せないものもあるのだと知り、時間をかけて美織の喪失を自力で乗り越えて行くしかない。


「さぁ、送って行ってあげて」


 プリミーティヴが銀の鳥にそう頼む。

 すると、鳥はまだ遠くを見ている礼司を両の翼で包んだ。たったそれだけのことで礼司の姿は消え、明るいオレンジ色の光を帯びた鳥は飛び立った。

 美織とは正反対へと飛んで行く。あちらに元の世界があるのだろうか。


「行ってしまったわね」

「そうですね」


 香代は視線をそのままにして女神に答えた。彼女は気にした様子もなく話を続ける。


「わたくしに、訊きたいことがあるでしょう?」

「では、ソレイユについて。彼らはどうなりましたか?」

「みんな元気よ。国まで送ったから今頃は安らかに眠っているんじゃないかしら?」

「今回の妨害行為に対してペナルティはありますか?」

「いいえ」


 ゆっくりとプリミーティヴの顔を見る。彼女は包み込むような微笑みを浮かべていた。


「いいえ。ペナルティはありません。わたくしは人が自分の意思で起こした行動を、咎めはしない」

「それは、無責任では? 秩序を乱す行動を許すことになります」

「秩序とは、神が作るものかしら?」

「それは……」

「人が自ら考え、必要だと思ってこそ、秩序は意味を持つ。わたくしはそう思います」


 眩い暁色の瞳は溢れるほどの慈愛で輝いている。その雰囲気は超然としていて、先程までと同一の存在とは思えなかった。


「……あなたは未来を知ることができると、ライラが言っていました」

「ええ。でも、未来なんて刻一刻と変わっていくもの。正しい答えなんてわたくしは知らないし、興味はないの。

 ただ、人が苦しみながら選んだ答えこそ、愛おしく思う」

「そうですか……」


 香代はそれ以上問いかけることはしなかった。

 いつか神が去るこの世界で、神がいなくとも世界が回るように始まった試練。それは魔王を倒すという一過性のものではないのかもしれない。

 次の魔王が現れるまでの五百年をどう過ごすか。一番そこを試されているのだろう。


 人を蹴落として自分の利益を追求するか、手を取り合って助け合うか、あるいはまったく違う方法を選ぶか。

 神はその問いに答えない。人は悩みながら最善を選び、そしていつか、神という庇護のない世界に放り出されるのだ。


 希望がないように思えるそれは人の人生そのもので、だからきっと、絶望だけが待っていることはない。

 香代はそう思った。


「そういえば、わたくし、あなたの願い事を聞きそびれてしまったの」


 プリミーティヴが唐突にそう言い出した。

 満月の下、しどけなく座るえも言われぬ美しい女神が微笑んでいる。どこまでも続く銀の砂丘は月の光で清められ、自ら光っているのではないかと思うほど眩しい。

 美織が去った方角に白い花が二輪、並んで咲いているのを見つけ、笑みが零れた。


「あなたの願い事は何?」


 静かに問う女神の双眸をみつめ、香代は答えた。

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