混迷の戦場
暴力表現と虫が出てきます。
ターフィルからの衝撃の告白になんと答えればいいかわからなかった香代はその問題をとりあえず先送りにした。
彼女たちは、まず魔王を倒さねばならないのだ。すべてはそれから考えればいい。
そう思い、何事もなかったという表情でターフィルと顔を合わせた。彼の方もいつも通りだったので、密かに安心して出立した。
街を出発して一日と半日。四人は魔王の城に到着していた。
ターフィルが言った通り、彼の水の結界と、ファアルの土の魔術のおかげだ。
そこまで体力が削れることなくあっさり辿り着いた魔王の城は、黒いつるりとした質感の不思議な物質で出来ていた。
鋭く尖ったデザインが攻撃的で、いかにも悪者の棲家といった外観だ。
内部も薄暗く、悍しくラストダンジョンに相応しい雰囲気である。
ボスラッシュみたいなものが待ち受けているかと警戒して進むが、まばらに現れる雑魚ばかり。
これなら砂漠にいた魔物のほうが強かった。
これまたすんなりと魔王と対峙して、香代は慄いた。
見た目が普通に怖い。
どこを見ているかわからない複眼。鎌がふたつついているような口はきしきしと擦り合わされ不快な音を立てている。いくつもの節がある細い脚に、背中を覆う硬い翅の下から脆く薄い翅が覗いている。腹はぷっくりと柔らかく膨らんでいてとてもアンバランスだ。
ようするに巨大な謎の虫である。
(き、きもいきもいきもい)
やる気のないダンジョンだと思ったら魔王のビジュアルに力を入れすぎている。
香代は兄弟ふたりに挟まれて育ったので、虫は怖くないはずだが、触れないし近寄りたくもない。生理的嫌悪を感じる。
「せいっ!」
「てやっ!」
「はぁっ!」
「えいっ!」
しかし、アサドとファアルは動揺もなく攻撃している。アサドはともかくファアルは怖くないのだろうか。日本に比べると自然に近いバドルは虫の出現率が高いので耐性があるのかもしれない。
香代は攻撃が届かない場所から強化をかけた。
ターフィルはふたりのすぐ後ろに控えてそれぞれに水の結界を張りサポートに徹している。
しかし守る必要があるのか、首を傾げざるを得ない。今のところふたりは一度も攻撃を受けていない。
魔王の反応が鈍くてふたりの動きについていけていないのだ。つまり一方的にボコボコにされている。
体が大きいから体力はありそうだが、戦い慣れたアサドがどんどん攻撃に使えそうな部位を切り落としていくのでもはや地面に転がる黒い物体でしかなくなっていた。
数が多い雑魚のほうがよほど苦戦する。
(……神様たちの甘やかしかな)
強くすると倒すのが大変だからと見た目だけ怖くしたのだろう。結局、この世界の神は全員甘いのだ。
大事なのは過程とはいえ、ラスボスがこんなに弱くていいのだろうか。魔王の役割は魔物を蔓延らせることだからいいのかもしれない。
遠い目をする香代をよそに黒い物体がじゅわっと蒸発した。
喜びに沸く三人に駆け寄ると珍しくはしゃぐアサドに全員まとめて抱きしめられて揉みくちゃにされる。
拍子抜けするほどあっさりと魔王は倒され、香代はジュルネを殴る機会を得たのだった。
お約束とでもいうのか、魔王を倒したことで城も崩壊した。
四人は焦ることなくターフィルの水の結界をクッションに最上階から飛び降りた。城の攻略を始めたのは正午くらいで、今は日が沈み始めている。
地上に戻った香代は言われた通りにライラへ祈った。
(はーい、りょうかーい! じゃあ、いっくよー! うぎゃ‼︎)
(ライラ?)
明るい声で返事があり、四人の体が光に包まれる。居心地の悪い浮遊感を覚えながら、主神に会うために転移する。
はずだったのだが、小さい悲鳴を残し、頭に響いていたライラの声が消えた。体を包んでいた浮遊感もなくなり、遮るものが何もないどこかわからない場所に放り出される。
ひゅう、と耳元で風を切る音がして、肚が浮くような感覚のあとすとんと勢いよく墜落していく。
「香代様!」
何が起こっているのか理解できない香代の手を大きな手が掴む。びゅうびゅうとうるさい風の音に負けず、届いた絹の声。
手を引かれて、しっかりした体に抱きしめられた。
ターフィルだ。
何も解決していないのにそれだけで香代は安心して、咄嗟にしがみつく。
「くっ……」
押し殺した声と共に柔らかいものに受け止められた。
わよんと、揺らぎながらふたりを包んだのはターフィルの水の結界だ。
やっと視界が定まって素早く視線を走らせる。ターフィルのおかげで香代は無事だが、アサドとファアルの姿が見えない。
しかし、そんな悠長なことはしていられなかった。
立て続けに火球や風の刃が飛んでくる。ターフィルは香代を抱えたまま回避し、水の結界で防ぐ。
香代は慌てて強化をかけるが、ぱちん、ぱちん、と何度も結界が弾ける音がした。
攻撃の余波で吹き上がる砂を見て、落下したのが砂漠だと気づく。
狭い視界の端につるりとした黒い塊が見える。魔王の城の残骸だ。天上にある主神の元に行くために引っ張り上げられていたのを途中で妨害されたらしい。
ターフィルが香代を抱えたまま、器用に帯に差した短剣を抜く。
飛び込んで来た黒い影が振るった長剣を受け止めた。
キィーンと耳が痛くなるような高い音が響く。荒い呼吸音も聞こえるが、ターフィルはまだ余裕がある。
「お前……。お前が……」
ぐつぐつと憎悪が煮え立つような声を発したのはソレイユの聖人、礼司だった。彼はがむしゃらに香代を狙って斬りかかってくる。
もう魔王は香代たちが倒したというのにこんな襲撃をするとは、ここで彼らを殺して手柄を横取りするつもりだろうか。
香代は周りを確認する。少し離れた場所にファアルを庇うアサドの姿があった。アサドが片腕を負傷している。
急いでふたりにも強化をかけ、治癒で癒す。離れた場所から治す練習が役に立った。
ギリギリと刃で押し合っていたターフィルと礼司だが、腕力でターフィルが押し勝つ。
礼司は弾き飛ばされ、ターフィルも距離を取る。
「ターフィル、わたし足手まといになるから離して」
「いけません。あの男、異能で一瞬にして距離をつめてきます」
アルエットに聞いた転移だ。
長距離だけではなく、短距離もいけるらしい。確かに護身術くらいしか身を守る術のない香代は狙い撃ちされそうだ。
何より礼司がギラギラした目で香代を睨んでいる。
目の前の礼司も気になるが、足止めを志願したアルエットのことも心配だ。この場にいるソレイユ一行は十人。ひとり足りない。
まさか彼女を始末するためにひとり残った、とは考えたくない。
傷が治り、強化が効いたアサドがいくつもの火球を展開し、相手の近くで爆破させ、怯ませる。
ファアルも砂を操って足場を崩し、敵と距離がとれたところでターフィルが結界をはり直す。
闇雲に攻撃してきたソレイユ勢と違い、バドルは連携がとれている。
それになんだか具合が悪そうな者ばかりだ。狙いが定まってないから魔術は外れるし、ファアルに砂を崩されずとも足元がおぼつかない。
アルエットとバドルの戦士たちが頑張ってくれたのかもしれない。
じりじりとアサドたちとの距離をつめる。ソレイユ一行が攻めあぐねている今のうちに合流してしまいたい。
が、また礼司が飛びかかってくる。
荒削りで勢いだけの腕前だから簡単にターフィルにいなされてしまう。
しかし、香代を守りつつ結界をはるという複数のことを同時進行にやっているターフィルの負担が大きい。
「よくも美織を殺したな!」
剣戟の音の間に礼司はそう叫んだ。
一体なんのことかと眉を顰める。
美織は、自殺だ。香代は巻き添えを食ったむしろ被害者だ。
「お前を殺して主神に美織を蘇らせて貰うんだ!」
「何言ってんの?」
ふざけたことを言い出した礼司に思わず反論してしまう。
「俺を召喚した女神が言ったんだ。お前が美織を殺して体を奪ったって。女神の兄貴が一番偉い神だから美織を生き返らせてくれるって!」
「へぇ〜。それで? わたしを殺して美織を助けて、それからどうするのよ」
「それは、元の世界に帰って、またふたり仲良く……」
「仲良く? よく言うわ」
香代たちの事情をよく知らないくせに間違った情報で礼司を煽るマタンにも苛立つが、それにもまして礼司に腹が立った。
あれだけ美織を傷つけておいてまるで悲劇のヒーロー気取りとは面の皮が厚すぎる。
「『あいつ、つまんないだよな〜』」
「?」
「『美人だから告白したのに顔と体しか取り柄がねぇよ』」
「!」
「『束縛キツくてまじうぜぇ。サキと付き合うんだった』かな?」
「なんで知って……」
「これは美織の体なんだから当然でしょ? 美織は全部見てたし、全部知ってるよ。これだけ美織を痛めつけといて仲良くとかどの口が言うの?」
香代に責められ、礼司は呆然と崩れ落ちる。
他の音に紛れるほど微かに「見てたのか」と呟いた。
「女神がどんな話をしたか知らないけど、美織は自殺だよ」
「えっ……」
「線路に飛び込んで、電車に轢かれたの。わたしはそれに巻き込まれて、美織は命が助かったけど心が死んでどうしようもなかったから、体が死んだわたしがこの体に入ったのよ」
「そ、そんな……。じゃあ、美織は?」
「魂は無事だったわ。でも記憶も人格もなくなってしまったから『美織』はもうどこにもいない」
「嘘だ……」
礼司は頭を抱えて動かなくなった。小声で何度も美織の名を呼んでいる。
そんなに後悔するならもっと美織を大切にすればよかったのだ。
玲司を失ったばかりの美織は優しくするだけで礼司に依存するほど愛したはずである。
香代は美織が礼司をどう思っていたか知らない。しかし、魂が壊れる一因が礼司にあったことは断言できる。
例え交際のきっかけが玲司だったとしても、礼司のことだってちゃんと好きだったのだ。
若い彼には誰かの代わりにされてることは気づいても、美織の本当の気持ちを汲むことはできなかったのだろう。
美織も経験の少なさ故に言葉も行動も拙かった。うまく噛み合わないまま、取り返しのつかない終局を迎えたふたりを哀れに思うが、今は礼司のことなど気にかける暇はない。
パァンっと頬を張る音が戦場に響く。
敵方からだ。咄嗟に見るとシェーヴルが嫌がる紗希の腕を掴み引きずっている。
「早く異能を使え!」
「やだ、むり! 帰る! あたし帰る‼︎
女神とかいうの! あたしを元の世界に帰して!」
一体何があったのか、あれだけちやほやされていた紗希が暴力を振るわれている。
さっき殴られた頬は赤く腫れて唇の端からは血が滲んでいた。
シェーヴルが美しい顔を醜く歪め、紗希を罵っている。
「馬鹿が!聖人のおまけのお前に女神が応えるものか!
お前は二度と故郷には帰れないと言っただろう!」
「うそ……。そんなの嘘だ! 女神でもなんでもいいから、早く、早くあたしを家族の元に帰してぇ‼︎」
本性を露わにしたシェーヴルの言葉を紗希は激しく首を振って否定する。
助けを求めた叫びは虚しく砂漠に溶けて消えた。
苛立ったシェーヴルの平手打ちが再び紗希の頬をはる。
他の者たちは誰も止めに入らない。むしろ冷ややかな眼差しを注いでいる。
「いたい、いたい、いたいよぉ‼︎」
紗希が泣き叫ぶと同時に強い光が目を焼き、爆音と衝撃が体を震わせる。
眩んでいた視界が見えるようになると砂の一部が焼け焦げ、溶けている部分さえある。
「な、何が起こったの?」
「私もはっきりは見えませんでしたが、光の矢のようなものがあの少女より放たれました」
光の矢とはレーザーだろうか。どちらにしても人間は一撃で死ぬし、多分強化をかけたターフィルの結界でも防ぎきれない威力だ。
ただし、当たればだが。
恐ろしい一撃は、紗希のほとんど目の前に落ちていた。
「このっ、私に当たったらどうしてくれる! 敵に当てろ役立たずが!」
いきりたったシェーヴルがまた手を振りかぶる。今度は拳を握っていた。
「やだ、やだ、もうやだ! 帰る、帰るんだ!」
紗希は癇癪を起こし、泣きじゃくり始めた。荒れる感情のままに光線が放たれ、砂を溶かす。
狙いを定めないままの光線は無軌道に様々な場所に落ちる。ほとんど近距離に当たっているが、流れ弾のようにこちらへ向かってくるものもある。
(まずい、これ本当に死ぬ!)
戦場はもはや敵も味方もなく混乱していた。誰もが暴走する紗希の攻撃を避けることに必死だ。
(ライラ! ライラ‼︎
お願い、なんとかして!)
一縷の望みをかけて、ライラに祈る。
するとぱぁっと視界が白く塗りつぶされた。
――あらあら、可哀想に。
――そんなに泣かなくても、ちゃんと元の世界へ帰してあげますからね。
光の中でぼんやり聞こえた声は、ライラではない、母のような慈しみ深い、女性のものだった。




