夢と現実(アルエット視点)
暴力表現があります。
アルエットはほとんど孤児のような生い立ちだ。両親は十歳のときに事故で亡くなり、隣の幼馴染の両親の支援を受けて育った。
両親の残してくれた細やかな遺産があったから金銭面はどうにかなったが、十歳の子供に家の管理や諸々の手続きは難しい。
そこらへんはすべて彼らに頼りきっていた。
ただ隣に住んでいて仲良くしていただけなのに、彼らは惜しみなくアルエットに愛情を注いでくれた。
幼馴染のミランも、昔からずっと優しかった。
親がいないことをほかの子供に揶揄われたら、アルエット本人よりも怒り、追い払ってくれた。
アルエットは漠然と将来は魔術師として国に仕え、そして、ミランと結婚するのだと、そう思っていたのだ。
「ご気分はいかがかしら?」
「はい、あの、えっと、最高です!」
「そうだろう。妻の膝枕は世界一だ」
「うふふ。あなたったら」
アルエットの目の前でバドルで一番偉い夫婦がいちゃついている。
彼女は今、王妃の部屋の長椅子で、膝枕をされて休んでいた。
(どうしてこんなことになったんだろう……)
アルエットは思わず遠い目をしたが、王妃の豊満すぎる胸に遮られて遠くが見えなかった。
移住して知ったが、バドルの女性たちは軒並みスタイル抜群で色っぽい。どこもかしこも真っ平らな彼女には羨ましい限りだ。
今朝、香代たちが魔王討伐のため旅立った。
ソレイユの者たちが動き出す前に出立したが、不在に気づかれるとあとを追う、どころか、聖人の転移で先回りされてしまう。
そこで、アルエットが幻の彼らを時々王宮内に出現させて、うろつかせた。
これが、なかなか大変だったのだ。
話しかけられたら幻だとわかってしまうし、ある程度意味のある行動をさせないと不審がられてしまう。
王宮に仕える人々の協力のおかげで、「ソレイユの者たちに目撃させるけれど近づけない」という目的は達成したが、長時間の複雑な幻術の行使にアルエットは倒れてしまった。
そして、気がついたら王妃の膝枕の上である。わけがわからない。
(今日のやり方は駄目だ。効率が悪い。魔王を倒すまでの短期間のことだけど別の方法を考えよう)
どうしてこうなっているかはわからないが、とりあえず、王妃の膝はふかふかで、ものすごく良い匂いがする。
せっかくなので心ゆくまで堪能した。こんな機会滅多にないのだ。
「わたくしたちはそろそろ行きますが、アルエットさんはゆっくりお休みなさいね」
「明日は昼まで寝ていても大丈夫だろう」
「えっ、でも、それだと疑われちゃう……」
「問題ない。ソレイユからのお客人も、明日は昼まで起きられないだろうからな」
にやり、と国王が悪どく笑うので、てっきり毒でも盛ったかと思ったが、違うらしい。
歓迎の宴と称した宴席を設け、そこでしこたま酒を飲ませるそうだ。
「明日は二日酔いで動けないぞぉ」
「吐くほど飲ませないよう気をつけましょうね」
あはは、うふふと笑い合うふたりは暗殺計画が順調に進んでいることに上機嫌な悪人に見えたが、実際は少しばかりの意地悪だ。
香代の国では酒が飲めない異世界人ふたりには出さないようだし、下戸には無理に進めるつもりもない。
本当にただの楽しい宴会を企画しただけのようだ。
(下剤とか盛ってくれたらいいのに……)
ソレイユの連中に恨みがあるアルエットはついそう思ってしまった。
翌日、昼まで寝ていていいとは言われたが、朝早く起きて護衛三人と共に離宮の近くに潜んだ。
アルエットは三つの属性を使いこなすが、一番得意なのは風である。
あまり褒められた能力ではないが、微風を巡らせ音を拾い、盗聴をすることができた。
賤しいと言われるのが怖く、祖国では隠していた技能だ。幼馴染のミランも知らない。
ソレイユの者たちは本当に昼過ぎまで眠っていた。起きていても二日酔いで寝台から出られないようでうんうん唸っている。
護衛の戦士たちの話では、バドルには甘く、口当たりはいいが強い酒というのがいくつかあるらしい。今回はそういうものばかり用意したそうだ。
昨夜は余程楽しい酒を飲んだのだろう。
聖女はいつも起こされるまで起きないし、聖人も何故か静かな寝息を立てて、寝言すら言わない。
アルエットは今のうちに幻術をかけた。
彼らが動き出したのは茶の時間になった頃だった。
――嘘だろう? もう夜なのか!
――ううっ! 大きい声を出さないでくれ。頭に響く。
うまくいったようでアルエットは胸を撫で下ろした。
今日は離宮全体に外が暗く見えるようになる幻術をかけた。気づかれないように少しずつ日が暮れるようにし、これから日没まで幻を保たなければいけないが、複雑な人の動きを再現した昨日に比べれば簡単なものだ。
誰も不審には思ってはいないらしく、一日を棒に振ってしまったことを嘆く言葉しか聞こえてこない。
ただ、聖人が未だに目を開かないのが不気味だった。
――あれ、もう夜なんだ。
――紗希様、少々よろしいですか?
――なーに? シェーヴル。
聖女と王子の会話が届いて、耳をそば立てる。
――ソレイユに残っていただきたいのです。
――またその話? 無理だってば。みんなといるのは楽しいけど、この世界スマホないし。コスメもショボいし、かわいいスイーツもないし。
――そんな風におっしゃらないでください。私はあなたを愛しているのです。
風が拾ってくるからどうしても遠くなる音は、声に乗った感情もうまく読み取れなくする。
しかし、王子の愛の告白は中身のない上辺だけのものだとアルエットにはわかった。
――気持ちは嬉しいけどぉ。無理なものは無理。
――そうか。おい、鞭を。
――はい、殿下。
バシンッと肉を打つ鈍い音と、少女の悲鳴。アルエットは飛び上がるほど驚いて護衛に心配された。
――な、何するの⁉︎
――何って、躾だ。生意気な雌犬は叩かなければ自分の立場も理解できないようだからな。
――こ、こんなことしていいと思ってるの!
低い男の笑い声と、数回にわたる打擲音が聞こえ、アルエットは悲鳴を上げないように両手で口を塞いだ。
――何を言うのかと思えば。お前は所詮礼司様のおまけだ。女神の言葉も授かれぬ女に何ができると?
――やめて、やめてよ! いたい! 女神って何よ!
――お前は本当に愚かだな。なんの話も聞いていないと見える。女神とは我が国の守護神、マタン様だ。かの方のお力添えがなければ世界を渡ることはできない。女神の言葉が貰えぬお前は故郷には帰れんぞ。
――そんな。
今や心臓は早鐘のように激しく暴れていた。
護衛たちが心配そうに彼女を見ている。
シェーヴルは、こんな酷いことをする人間だっただろうか。
アルエットはわからない。しかし、彼女がまだパーティーにいた頃、彼は王子らしい責任感ある人物に見えた。
どちらにしろ、聖女が王子に暴行されているのは現実だ。彼女は気に食わない女だが、身を守る術を持たない非力な少女である。
異世界人なら異能があるはずだが、アルエットは彼女が異能を使っているところを見たことがなかった。
耳に男の高笑いと少女の悲鳴。鞭を振るう音がこだまする。
このまま見過ごすことはできない。アルエットは口を塞いでいた手を外した。
――いた、いたい! もうやだ、やめて!
その叫びと共にとんでもない爆発音と衝撃が彼女たちを襲った。護衛のひとりが彼女に覆い被さり庇ってくれたが、小石がや砂埃が上から降ってくる。
「な、何?」
「わかりません! 離宮の外壁がなんらかの攻撃で壊れました!」
アルエットたちが隠れた場所のすぐ近くの壁に大穴が空いている。焼け焦げた穴の外周や地面を見てただの攻撃ではないとすぐ理解した。
「アルエット殿、早くこの場を離れましょう!」
その言葉に頷く。さっきの衝撃で幻術も、盗聴も解けてしまった。幻術が解けたら即時撤退。それが約束だ。
それにアルエットが動かないと護衛たちを危険に晒してしまう。
「はははっ! なんだこんな異能を隠していたのか。少しは役に立ちそうじゃないか」
「うぅ、ぐずっ、はなしてぇ」
壁で隔たれていた声が直接届く。でもそんなものには構ってられない。護衛の誘導に従い、こそこそと撤退する。
「な、何事ですの……」
「殿下⁉︎ どうされたんですか!」
「えっ? 何これ、外は明るいじゃない!」
彼らも混乱しているようだ。正直、アルエットも混乱していた。
「何やってんだよ、お前ら」
「あっ! レージ! レージ助けて!」
「うっせぇな。今それどころじゃねぇよ。早く支度しろ。転移すんぞ」
「どうされました? 女神が何か」
「あいつらとっくに魔王のところに行ってやがる。すぐ追いかけるぞ」
「まさか……」
香代たちのことが女神経由で露見してしまった。もうアルエットにできることはない。
いや、全力で幻術を使えばあるいは――。
「あっ……! アルエット? アルエットじゃない‼︎ さっきまでの暗闇あんたのせいね! この裏切り者‼︎」
幻術をかけようと足を止めた一瞬でソレイユのひとりに見つかってしまった。
言葉と共に火球が飛んでくる。
護衛の戦士が風で火球の勢いを弱め、アルエットが水球をぶつけ火を消した。
しかし、水の塊を切り裂いて風の刃がアルエットに肉薄する。
避けられない――!
「そんな連中に構ってる暇はない。行くぞ!」
「アルエット!」
遠くで聖人が転移を使う光が見えたが、ほとんどが遮られる。誰かが彼女を抱きしめて攻撃から庇ったからだ。
「ミラン!」
「っ‼︎ アルエット、無事か……?」
「あんた何やってんの!」
「元気だな……。よかった……」
アルエットを庇ったのはミランだった。まともに攻撃を受けた背中がざっくり切り裂かれている。
護衛がすぐに止血をしてくれたが、酷い傷だ。
アルエットも血を止めようと水の魔法で傷口を覆う。彼女にできるのはこれくらいだ。
香代なら異能で完全に傷が塞げただろうが、今ここに彼女はいない。
「なんであたしを庇ったのよ、バカ!」
「仕方ないだろ、体が動いたんだから……」
「それくらいにしてください。医者の元まで運びます」
止血していた護衛に止められ、むっつりと黙り込む。
ソレイユ一行はミランを置いて転移をしたのでもう脅威はない。しかし、代わりに香代たちの元へ奴らが行ってしまった。
「おい、あれ」
護衛のひとりが声を上げ、地平線を指さす。
燃えるような夕焼けが遥かな砂漠を赤く染める。
そこにいつも暗雲とともにあった漆黒の城は、どこにも見つからなかった。




