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たくさんの覚悟

「おはようございます。街の案内が必要なら手配いたしましょう。アルナブ、お願いできる?」

「はい! お任せください! 宰相閣下に報告してきます!」

「香代さまおはようございます!」


 香代の指示を受けてアルナブは脱兎の如く接待役の宰相の元に走り、ファアルは素早く香代の後ろに隠れた。

 シェーヴルは目を丸くしたものの、表情は変えず、にこやかに挨拶した。


「私は交流も兼ねて是非ともおふたりと街を巡りたいですね」

「わたしたちは魔王討伐の準備がございますので、できません」


 香代も社会人の基本技能、営業スマイルを浮かべてきっぱり断る。ここで婉曲な断りかたをすると付け込まれる恐れがある。

 この王子、物腰が柔らかい割に強引で強気な言動を見るにかなりの自信家だ。

 畳みかけて一時的でも追い払いたい。


「それに、わたしあまり交際範囲を広げないようにしているんです。

 元の世界に帰るとき寂しくなってしまいますから」

「……帰らない、という選択もあると思いますよ。ねぇ、ファアル嬢。聖女様にはこちらに残っていただきたいと思いませんか?」

「えっ、それは……。寂しいですけど、あちらで香代さまのご家族がお待ちですから。

 わたくしも、家族やアサドさまともう会えなくなるのは嫌です」

「そうでしょうか。こちらに残ればもっとも高貴な立場で一生誰からも尊崇されて過ごせるのですよ」

「それはそうかもしれませんが、そもそも異世界のみなさんはお手伝いに来てくださっているのです。お帰しするのが当然ではありませんか」


 香代が傍にいることで落ち着いたファアルが正論を述べる一方、シェーヴルの瞳から光が消える。護衛の剣士も目つきが鋭い。

 ふっと、これは使えるかもしれないと思いつく。ソレイユは喉から手が出るほど異世界人の血をほしがっている。

 そこから揺さぶりをかけられないだろうか。


「こちらの生活は楽しいけど、生活水準が違いすぎてね。これから一生こちらで過ごす決意を決めるのはなかなか勇気がいるわ」

「そうだったのですか⁉︎ ずっと我慢をされていたんですね。わたくし、気づきませんでした」

「いや、我慢はしてないよ。新鮮で楽しいし。ただずっとは無理かな、とは思うね」


 香代はそこまで無理とは思っていないが、やや大袈裟に元の世界の生活がいかに楽かをファアルに語った。

 香代が語る世界は、すなわち礼司と紗希の世界だ。ソレイユの王侯貴族がどれほど豊かな暮らしをしているかは知らないが、快適さと娯楽において地球に勝てるとは思わない。


 ソレイユの面々は滅多にお目にかかれない美形揃いだが、十代の青少年がSNSがない世界で生きられるだろうか。

 今時のオシャレ女子、紗希や遊んでそうな礼司には無理だと香代は思う。


「香代さまの世界は随分便利なんですねぇ」

「……しかし、魔術はないんでしょう?」

「ありませんが、魔術がなくて困る場面もありませんし」


 こちらの世界に魔術はあるが、あっても結局魔力のない香代たちには使えないのだ。

 使えなければ意味がない。


「……紗希様は俺たちといるのが楽しいと、ずっと一緒にいたいと言ってくれた」

「何か約束でもされたのですか?」

「それは……」


 ここで動揺すると負けるので睨む王子の護衛に余裕を持って問いかけた。


「まったく知らない土地ですからね。優しくしてくれる方に傍にいてほしいと思うのは当然ではありませんか?」

「……」

「一度よく話し合われたほうがよろしいかと思いますよ。では、失礼いたします」


 ふたりが黙り込んだのを機会にファアルを促し素早くその場を去る。

 手強いかと案じていたが、以外と簡単に言い負かせた。多分反論されるのに慣れていないのだ。

 彼らは他の国を引っ掻き回してここに来た。少しは自分たちも揉めてほしいものだ。




 護衛の青年の誘導に従い複雑に枝分かれする廊下を進んでいく。自分では帰り道すら覚えられない道順の先にある部屋に入る。


「遅かったな」

「おはようございます」


 待っていたのはアサドとターフィル、そしてアルエットだった。彼女は控えめに挨拶をして部屋の隅っこにいる。女性ひとりで肩身の狭い思いをさせてしまっようだ。


「ごめんなさい。ソレイユの連中に絡まれてたの」

「……なんだと?」

「あちらの王子さまに引き止められてしまって……」

「わたしは部屋の近くまで突撃されたわ」

「お迎えに行けばよかったですね……」


 申し訳無さそうに眉を下げるターフィルに対し、アサドは盛大に舌打ちした。

 ソレイユを警戒して、それぞれバラバラに行動していたのだ。行き先がアルエットを匿っている区画なので、慎重に行動したのが裏目に出た。


「ファアル、何もされなかったか?」

「はい! 香代さまが助けてくださいました」


 朗らかに笑うファアルを見て罪悪感を覚える。実はしばらく様子見をしていたことは内緒にしよう。


「……俺の元へも女がひとり来たぞ」

「私を探す女性がいたと教えていただきましたので、会わないようにこそこそ移動してきました」

「……ソレイユの者が迷惑かけてごめんなさい……」

「お前はもうバドル国民だ。謝る必要はない」

「は、はい! そうですよね!」


 立ち話を続けてもしょうがないので、香代の部屋にある作り付けの長椅子に座る。こちらの方が広くより豪華な作りになっている。

 タイミングよくアルナブがワゴンを押して現れる。宰相の元へ行ったその足で茶や菓子の支度を整えてくるあたり仕事ができる。

 テキパキといつもの花茶を配り、菓子皿とポットを置いてすぐに出て行く。


「さて、これからどうして行くべきか……」


 口火を切ったのはアサドだったが、その言葉は迷いに満ちていた。即断即決の彼には珍しいことだ。


「わたしとしては、このままソレイユの連中と関わり続けるのは百害あって一利なしだと思うよ」

「では……。いっそのこと魔王の討伐に出てしまいましょうか」


 香代の意見に応じてターフィルがそう提案した。

 ファアルが微かに震え、瞳に怯えが走る。

 このところ実戦に何度も出て、少しずつ自信をつけて来たが、魔王と対面するとなると不安なのだろう。


 しかし、不安だからと避けてはいられない。今動ける国はバドルとソレイユだけで、ソレイユはバドルを脱落させてからでないと動く気はない。

 そんな連中の思惑通りになる前に返り討ちになる覚悟で魔王に挑んだ方がましだ。


「そう、ですね……。魔王に挑みましょう」

「大丈夫か?」

「はい、アサドさま。大丈夫です」


 アサドは震えるファアルの手を優しく握っている。これで恋人未満とはどうなっているのか。

 さっさとくっついてほしいものだ。

 ふと見るとアルエットが羨むような、眩しいような、不思議な表情でふたりを見ていた。


「出発は早いほうがいいのだろうな」

「そうですね。私とファアル様の魔術を使えば砂漠越えはそれほど大変ではないので、大袈裟な準備は必要ないでしょう」


 ターフィルが穏やかにそう保証する。魔王の城までの道中はほとんど目の前に見えるが、二日はかかる。

 砂漠で歩きづらいのと、街中よりも気温の寒暖差が激しいせいだ。

 それも、ターフィルの水の結界できつい日差しや冷え込む夜の空気を遮断して、ファアルが魔術で足元を固めれば楽に進めるらしい。

 香代の異能(スキル)より絶対魔術の方が応用が効く。


「あ、ライラが魔王を倒せばバドルまで送ってくれるって言ってたよ」

「では片道分の荷物でよろしいですね」

「随分と性急だな?」

「ええ。此度のソレイユのやり方ははっきり言って不愉快です。早急に魔王を倒し、バドルから出て行って貰います」


 穏やかなターフィルが珍しく怒っている。口の端を上げるだけの不敵な笑みを浮かべる姿に何故だかときめいてしまった。

 ときめいている場合ではない。


「でも、わたくしたちが旅に出たと知ればソレイユの方々も追ってきますよね……」

「それ、あたしに協力させてください」


 ファアルが眉を下げて呟くと、それにずっと黙っていたアルエットが反応した。


「あいつらがみなさんの不在に気がつかないように、あたしの幻術で惑わせます」

「そ、それは危険ですよ!」

「ファアルの言う通りだ。お前はもう守られるべきバドル国民なのだから自ら危険に近寄るな」

「お願いです。どうしてもやりたいんです。あいつらに一回やり返したい!」


 真剣に頭を下げるアルエットの様子に反対していたアサドも黙る。

 ずっと鬱屈させられてきたアルエットのことを思うとやらせてあげたい気持ちになる。


 しかし、相手は十一人もいる。今まで各国を巡り、ハニートラップで人間関係を崩壊させてきたプロ集団だ。

 元仲間だからと手心を加えることもなさそうだし、むしろ裏切り者だと過剰に攻撃してきそうだ。


「……行動する際に三人は護衛をつけろ。それから幻術が看破された場合、交戦せずに即時撤退を約束するなら許す」

「‼︎ ありがとうございます! 必ず約束します!」


 アルエットは五体投地せんばかりに頭を下げた。

 不安要素は多々あるが、案ずるより産むが易しと言う言葉もあるし、今は行動あるのみだ。


 その日は全員出陣準備に忙しく動いた。

 香代は準備を終えて、部屋に戻るところだ。日はとっぷりと沈み、冷たい風がどこからか吹いてくる。

 ソレイユのパーティーはもう滞在先の離宮に戻っているそうなので、護衛の代わりにターフィルが一緒だ。


 今朝王子たち絡まれた中庭を通りすがり、なんとなく眺める。風で擦り合わされる葉の音に耳を傾けた。

 あちらの世界ではこんな細やかなことに気を止めることもなく、夜の闇の深さに気づくこともなかった。


「……香代様は魔王を倒したらお帰りになるのですよね」

「まぁ、うん。そうだよ」


 唐突な質問にターフィルの顔を見上げた。

 ライラの世界と違ってこちらの月は欠ける。今日は猫の爪のように細い月なので、あたりは暗い。明かりは灯っていても昼間のようには明るくならない。

 だから、ターフィルの表情は闇に紛れてよく見えなかった。


「我慢をしようかな、と思ったのです」

「何を?」

「あなたに、この世界に留まってほしいと言うことを、です」

「……えっ」


 ターフィルが朝の王子のようなことを言い出して、戸惑う。


「遠くにいてもあなたが幸せなら私も幸せだと思い込もうとしました。あなたの霊廟を守る墓守になって、それだけで満足できると、思っていました。

 でも、駄目ですね」

「ターフィル……」

「どうか、帰らないでください。私は、生きたあなたが傍にいてほしい。

 全部、私のせいにして、恨んでくださっても構いません。どうか」


 背の高い彼が身をかがめ、香代の瞳を覗きこむ。

 美しい水苔の色をした瞳には見たことのない感情が揺れていた。


「あなたを愛しています」


 香代は頭が真っ白でどう答えたらいいかわからなかった。今日のこのときまでまったくそんな片鱗も感じ取れなかった。

 ただ、ターフィルが香代を誑かそうとしているとは欠けらも思わなかった。


「ほんの少しでも、私のことがあなたの心に引っかかるなら、どうか、私の隣にいてください」


 それだけ言うと、ターフィルは香代から離れ、いつものように柔和な微笑みで就寝の挨拶をし、去っていく。

 香代は何も言えないまま、その背を見送る。


 部屋に戻るのが遅いと探しに来たアルナブに声をかけられるまで、香代はそこを動けなかった。





 翌朝、珍しい朝霧に紛れて、香代たちは魔王城を目指して出発した。

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