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特訓と進展

「香代殿! 素晴らしい拳です!」

「うむ! 腰が入っていて実に素晴らしい! 当たりどころがよければ内臓破壊も可能ですぞ!」


 屈強な男ふたりの賞賛を浴びながら、香代はひたすらシャドーボクシングに励んでいた。

 トレーニングを始めたばかりの頃は予想通りのへなちょこ具合だったが、指導の元練習を続けた結果かなり様になって来た。

 内臓破壊は是非やってやりたいところだ。


 香代を指導してくれているよく似たマッチョふたりは親子で、ファアルの父親と兄だ。

 どちらもバドル人らしい濃い顔で、ファアルとはあまり似ていない。

 バドルは日本人がふたり帰化しているのでファアルはどちらかの血を引いた先祖返りなのだろう。


 そのファアルは今、アサドと一緒に剣の素振りをしている。

 香代にも言えることだが、実戦に出るためには彼女たちは何もかもが足りていない。

 ファアルもそれを自覚しているので隠れて自主練習に励んだり、努力している。


 しかし、そんなファアルの気持ちをよそに心配性の家族ふたりは五分毎に休憩を勧めて先程怒られて追い払われていた。

 空気がどんよりするほど落ち込んでいたので香代がトレーニングを頼んだ次第だ。

 この様子ならもう元気になったらしい。


「香代様、そろそろ休憩致しましょう」


 ひたすら拳を振るっていた香代を止めたのはターフィルだ。手には水に氷やスライスした果物、ハーブらしきものが入った水差しを持っている。

 離れた場所ではアサドが木陰でファアルを休ませている。


「それがよろしいですぞ、香代殿!」

「根のつめすぎはよろしくありませんな!」


 ふたりにも促され頷いた。今日も日差しが厳しいのでこまめな水分補給は大切だ。

 木陰の下に絨毯を敷いて座る。砂漠に囲まれた街なので、木はあっても草は生えておらず、地べたに座れる場所がない。


「しっかり水分をとってくださいね」

「ありがとう」


 冷たい水を注いだシンプルな大きめのグラスを渡される。

 香り付けされた水は染み入るように感じるほど美味しかった。惜しむらくは香代の口が夢の余韻で甘いということだ。

 目覚めて半日以上経っているのにまだ甘い。もう絶対ライラに出されたものには手をつけない。


「香代様」

「何?」

「ご無理をされてませんか?」

「してないけど……。なんで?」


 ターフィルは柔和な微笑を浮かべているが、観察するように香代を見ている。

 こちらの世界に来て初めて会ったのがターフィルだが、一番苦手なのも彼だ。

 物腰柔らかく、丁寧な対応で印象は悪くない。しかし、何を考えているかいまいち読めないのだ。


 他のバドルの人々が非常にわかりやすいので際だっているだけとも思えるが、探るように見られると緊張する。

 開けっ広げな彼らと違って香代には八百長に協力しているという隠し事があるので、後ろめたく感じるのだろう。


「香代様はものわかりがよすぎます。あなたの祖国と我が国はまったく違うのでしょう? 馴染めないことがあったらなんでも言ってください」

「それは……」


 確かに日本とバドルは何もかもが違う。

 気候から食文化、生活様式まで何もかもだ。

 でも、それはあちらでも外国に行けば当たり前にあることで、不満に思うことが傲慢な気がする。


「特に何もないから言わないだけだよ。心配しすぎ」

「本当に? 我々の都合に付き合って頂いているのですから遠慮なさらずにおっしゃってください」

「えぇー….」


 そう言われても特に不満はない。

 バドルの人々は裏表がなく付き合いやすいし、食べ物も癖があるが、おいしい。

 すぐ思いつくことと言ったら湯船に浸かれないぐらいだ。この環境であれば仕方のないことだと納得している。


 それに風呂がない訳ではない。

 バドルでは風呂と言えばサウナだ。それほど頻繁には入れないが、あれはあれで気持ちいいので特にストレスも感じていない。

 水に関しては日本が贅沢すぎるのだ。


 ターフィルはじぃっと真摯な眼差しで見てくる。

 彼なりに香代を心配してくれた結果、慇懃すぎて内心が読めない態度になってしまっていたのだろう。

 だが、彼が心配するほど香代は繊細ではない。


「わたしってそんなに無理してそうに見える?」

「いいえ。とても自然体で過ごしていらっしゃいます」

「その通りだよ。バドルの生活は楽しい」


 経験はないが、気分的には留学気分だ。一応帰れると保証されているし、戦うと言っても命懸けではない。

 香代自身がおかしなことになっていることと、ジュルネに対する怒りはあるが、そこにバドルは関係がない。

 日本ほど人間関係で悩むことはないし、むしろ日本よりも気楽に過ごしているくらいだ。


「あのね、ターフィル。わたしこの見た目だけど中身はあなたより年上なの。だから大丈夫よ」

「そうだったのですか?」

「あ、ごめん。言ってなかったね」


 まだ納得していなさそうなのでそう付け足すとターフィルは目を丸くする。

 ターフィルは二十五、アサドとファアルは十八の同じ年で、パーティの中では香代が一番年上だ。

 まだ若いとは言われるが、もう社会人で大人である。他人に甘える歳ではないのだ。


「そういうことに年齢は関係ないのではありませんか?」

「へ?」

「年上であっても香代様は馴れない環境でおひとりなのですから、我慢されることはないと思いますよ」

「いや、別に我慢は……」

「それとも、年下では頼りないでしょうか?」

「そ、そんなことないよ!」


 眉を下げるターフィルに慌てて否定する。

 実際のところ、香代が一番頼っているのもターフィルなのだ。

 今のように香代から言い出さずとも細やかに気を使ってくれるし、香代の異能(スキル)の練習に付き合ってくれている。


 ターフィルは水の魔術が得意なので、強化(バフ)のありなしでどれほど威力が変わるのかを測ったり、強化(バフ)の上昇率は調整できるのか、様々なことを試させて貰っている。

 比較するとき、他の属性に比べると目に見えて変化がわかりやすい水が一番適しているのだ。

 それに、水を作ればみんなが助かるし一石二鳥だ。


 ターフィルは香代の細かな要求に文句を言わずに付き合ってくれるし、むしろ自分から実験の提案をしてくれる。

 土下座に戸惑う香代のため、会ったときに土下座をしないように周知してくれた。

 体調の変化にも敏感で、疲れているときにはアルナブに疲労回復効果のある薬草茶を渡してくれる。

 あと、声がいい。


 そのようなことをつらつら話していると、だんだんターフィルの顔が赤くなってくる。

 相変わらずほんのりと微笑を浮かべて大人しく聞いているが、何かをこらえるようにぷるぷるしていた。


「……その、ありがとうございます。過分な評価をして頂いて、嬉しいです」

「いや、本当のことしか言ってないし」

「香代様の、よく人を見ていらっしゃるところがとても素晴らしいと思います」

「そ、そう?」


 人を見ているという点ではターフィルのほうが優っていると思う。


「ファアル様が隠れて鍛練していることを黙っている義理堅いところも素晴らしいと思います」

「知ってたの……」

「はい。毎朝アサド様が大将軍閣下の家に出かけて行きますので。

 閣下と兄君も一緒に見守っておりますから万が一にもお怪我をなさることはないと思います」

「か、過保護……」


 思わず絶句してしまう。ファアルに男三人に見守られていると教えるべきか悩んだ。

 彼女なりにひとり立ちしようと頑張っているが、危なっかしいことも確かなので、告げ口はやめておく。

 それにしてもアサドはちょっとストーカーが入っている。今後が少し心配だ。


「アルナブが休めるように用がなくても部屋を出られたり」

「いや、あれはね、気分転換に散歩してるだけ」

「もしよかったら私に声をかけてください。いくらでもお付き合いしますから」

「お仕事あるでしょ?」

「香代様のことが最優先です」


 さらりと断言されて戸惑う。

 勉強とトレーニングしかやることのない香代と違ってターフィルはこの国の筆頭魔術師なのだ。

 仕事をしないとあとで苦しむのは彼自身である。


「鍛練中に兵士を観察して負傷している者を癒していらっしゃいましたね」

「それも気づいて……。いや、あれは練習だから。ちょっと離れたところからでも治せるのかどうか試してたの」

「みな、感謝していますよ」

「全員にバレてる!」


 治癒(ヒール)は怪我がないと練習のしようがないのだが、薬が不足しているせいか兵士たちは負傷を隠す。

 香代が治せるのに恐れ多いと申し出ないし、気になるので勝手に治している。

 それだけで、感謝されるいわれはないのだ。


 突然始まった誉め殺しに香代は赤面する。

 大人になってから手放しに褒められるという経験が減った。そのためどうしても照れて恥ずかしくなってしまう。


「それから……」

「も、もういいから」

「ふふふ……。お顔が真っ赤ですね」

「誰のせいだと……」

「さっきの仕返しです」


 そう言ってターフィルは満足気に笑った。

 いつもと違う、子供っぽい笑顔に見惚れてしまう。

 今やっと慇懃な態度に隠されたターフィルの素顔が見えた気がした。


 優しくて気遣い上手。そして、ほんの少しいじわるな彼はもう得体の知れない雰囲気は微塵もなかった。

 さっきまで感じていた苦手意識が消えていく。

 今の彼とならうまくやっていけると確信が持てた。


「……あの、ターフィル」

「はい、なんでしょう?」

「よく、スープとかに葉っぱがのってるじゃない?」

「ああ、香り付けと見栄えをよくするためのハーブですね」

「……あれ、すごく苦手」

「わかりました。料理長に伝えておきますね」


 三つ葉のように料理に添えらる緑の葉はパクチーに似た風味でクセがある。ほんの少しなので残すのも悪いと食べているが、どうしようもなく苦手だ。

 好き嫌いなど大人になって恥ずかしいけれど、正直に告白すると、ターフィルはとても嬉しそうに笑った。


「あと、あの聖女専用衣装、恥ずかしいからわたしも普通の服がいい」

「王宮の衣装係が泣くので我慢してください」

「そんな……」


 勇気を出して告白したのに、こちらはあっさり却下された。ショックである。あの葉っぱより服の方をなんとかしてほしかった。

 そして、ふと思う。


(わたし、パクチー嫌いだったかな……?)

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