女神の妹
香代の執念が届いたのか、気がつくと彼女は月が輝く銀の砂漠に立ち尽くしていた。
欠けない月を見上げて首を傾げる。前に来たときよりも暗く感じるのは気のせいだろうか。
周辺を見回そうとして自身の異変に気づく。ベージュのトレンチコートを着たこの姿は元の香代だ。
魂の姿は元のままなのだろうと納得はするが、美織の体に馴れつつあったので戸惑いが強い。
「あっ、香代ちゃーん! こっちこっち!」
そう思ったこともライラの声で打ち消される。
明るい声の出所を探すと、砂丘のひとつに絨毯が敷かれており、そこにライラが座っていた。
寛いでいるのか盆の上には茶器が置かれ、一本足のついたトレーの上には花が飾られていた。
そして、ライラの隣にもうひとり女性が座っていた。
長い銀髪に、黒真珠のような瞳。肉感的なライラに対して、三日月のような細身で、怜悧な印象だ。
ライラのドレスとよく似た形のドレスを着ていたが、色は銀である。赤や青の光沢があり、オーロラのように見るたびに色が変わっていく。
正反対のふたりだが、妖艶な顔立ちは瓜二つで同じように艶かしい褐色肌をしていた。
彼女もまた女神なのだろうか。
ちらちらと視線を送りながらライラの側に歩み寄り、促されるままに座った。
「呼びかけになかなか答えられなくてごめんねぇ。立て込んでて」
「忙しかったの?」
「うん、ちょっとね。ちょっとだけ。これからはすぐ応えられるから」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫!」
どうやら香代のやっていたことは間違ってはいなかった。ただ忙しくてライラは香代に応えられなかったようだ。
彼女は女神らしからぬ気安さで香代の前に茶を用意する。茶器はバドルのものと同じで小さなグラスを渡された。
注がれた液体は茶、以前に飲み物と言っていいのかわからない。黄昏時の空のように刻一刻とグラスの中で色を変える。
飲むには勇気がいる色だ。
「色々質問あると思うけど、まず紹介させてね。この子はミサ。私の妹なの」
「初めまして。姉がお世話になっております」
「こちらこそ……」
女神ミサはとても礼儀正しく一礼した。慌てて香代も頭を下げる。
日本的で親近感の沸く名前だ。
「妹さんがいたんだね」
「そうなの〜! かわいいでしょ〜!」
「かわいいのは姉様です」
「ミサのほうが百倍かわいいよ!」
「じゃあ姉様の方が一億倍かわいいです」
きゃっきゃっとした微笑ましい身内の褒め合いにどう反応したらいいのか困る。
姉妹仲はとても良好なようだ。
しかし、いつまでもふたりの会話に付き合ってはいられない。
「あの、訊きたいことがあるんだけど。いい?」
「あっ、そうだったね! 何でも訊いて……うぐっ!」
香代が切り出すと、それに応じたライラの首になんの予備動作もなくミサが手刀を落とした。
白目を剥いたライラは一瞬固まって、ゆっくりと横倒しになる。
(えっ、なんで?)
突然の凶行が理解できず、何度もライラとミサを見比べる。
彼女はちらりと香代を一瞥し、「しばしお待ちを」と言って、ライラに向き直った。
まだライラに何かするのかと身を乗り出すと、ミサは何処からか寝具一式を取り出し、そこにライラを寝かせる。
そしてふかふかの上質な寝具に包まれたライラの頭を自分の膝に据えた。
「ふぅ。失礼いたしました。こうでもしないと姉を休ませられないもので」
「え、え、えっと……。
いいえ、お気にならさず……」
随分荒っぽい手口だが、ライラを寝かせたかっただけらしい。
膝枕もしてあげているし、突然仲違いしたわけではなさそうだ。
なんと答えたらいいか迷って、香代は結局言葉を濁した。
ミサが変わっているのか、そうまでしないとライラは休まないのか、判断できなかったからだ。
「……あのー。やっぱり、ライラ忙しいの?」
姉にタメ口なので、妹に対してもそれに倣う。
ミサは特に気にした様子もなく頷いた。
「そうですね。とても。試練の時期であることに加えて姉ときたら魂の修復などしているものですから。
力の使い過ぎで月の光まで翳ってしまっています」
「なんだか前より暗いと思ったら、気のせいじゃなかったんだ」
「ええ。ここは姉の領域。この景色は姉の調子によって変化します。力が充実していれば緑豊かに。枯渇すると乾きます」
それだとライラは出会った当初から万全とは言い難い状態だったことになる。
むしろ砂漠と月しかないということは枯渇状態が続いているのではないか。
「香代さん。姉に代わり私が貴女の質問に答えましょう。私は現在、ジュルネ神の下で働いています。なので姉より適任かと愚考します」
その言葉に目を見開く。
まさかライラの妹がジュルネのところで働いているとは意外だった。
直属の部下にこんな質問してもいいのかと迷いながら、ライラにするはずだった質問をミサにぶつけた。
「試練に関して、先代の主神と、今のジュルネとだと変わってる部分があるよね。
そこがすごくバドルに不利になってる気がするんだけど」
「ええ。なっていますね」
「あとジュルネになってから聖女とか勇者の人選に恣意的なものを感じるのね」
「貴女の所感は正しいと思います。ジュルネ神は立場を利用し、バドルに不利益を与え、姉を追い詰めています」
ミサはきっぱりと香代の想像を肯定した。
あまりにあっさり認められて動揺する。
口籠り、何も言えない香代にミサは冷静に続けた。
「本来のこの試練は、人や生きものの成長を促すイベントでしかありません。魔王を倒すのは誰でもいいし、出現地点はその都度変えたほうが緊張感があります。
現状ではバドルにだけ負担がかかり、他の国では他人事、とは言い過ぎですが、どこかよそ事です。
試練に積極的ではなかったからとペナルティを課すのもおかしな話です」
「そう、だよね。でもバドルにはずっと魔物がいて、そのせいか砂漠化が進んでて……」
「はい。その通りです。魔物には少しですが、存在するだけで環境を悪化させる性質が備わっていますので、ずっといればどんどん生きものの住みにくい環境に変えていってしまいます。
姉はそれに対抗するために余計に力を使い、疲弊しています。このままでは消滅してしまうかもしれません」
「し、消滅?」
予想よりもずっと悪い方へ話が転がっていく。
神も死を迎えるとは思っていなかった香代は動揺した。思わずライラの寝顔を見てしまう。
「か、神様も死ぬの?」
「ええ。勿論です。寿命もありますし、今の姉のように限界ギリギリまで力を使い続ければ消えてなくなります」
「そんな……。ジュルネは消えてほしいと思うほどライラを嫌ってるの?」
「いえ、逆です。あの男はずっと姉に片想いをしています」
「は?」
思いがけないの答えに唖然とする。香代の常識からすると片想いしている男は立場を利用してパワハラはしない。
「あの男は姉に頼られたいあまりに姉を苦境に追いやっているのです。
主神になれるだけあって力だけはあるので、そこをアピールして姉に好かれたいようなのですが」
「ライラひとりで頑張っちゃってるみたいだけど」
「当然でしょう。お互い立場があるのですから。いち守護神が個人的に主神に頼れるはずがないのです。
ふたりはそこそこ親しいだけで別に特別な関係ではないのですから」
ミサの言葉に深く納得する。
香代も仕事が忙しいときに、多少親しいだけの社長には絶対頼らない。
ジュルネは頼ってほしいなら素直に告白しておけと思う。
「あの男ときたらしきりにワタシを呼び出し、姉のことを訊くのです。『何か困っていないか?』とね。困っているに決まっているでしょう。あなたのせいで姉は常に死にかけだと怒鳴ってやりたかった」
「怒鳴ればよかったのに」
「それでは姉を助ける口実を与えるようなものですよ、香代さん。真正面からぶつかって砕け散る覚悟もないのに姉に愛されようなんてちゃんちゃらおかしいです。
昔からあの男は姑息で、妹が生まれたことを理由に姉の元に押しかけては接し方や好みそうなものを質問するふりをして姉の好きなものを聞き出していました」
「ジュルネにも妹がいるんだね」
「ええ。でもあの男は姉にしか興味がありませんから、口実に使っただけですよ。可哀想に。
そんなに姉が好きならちゃんと好意を伝えればまだ許せるのですが、あれは姉に言わせたいようで遠回しなことばかりするのです。それから……」
ミサの愚痴が止まらない。そうとうジュルネに対する不満が溜まっているようだ。
神同士のドロドロした陰謀ではなく、ただの空回る恋が理由というのがなんともクレイ・ターロらしいが、その結果は笑えない。
ジュルネは別の方法でライラにアプローチしてほしかった。
そして、頭を抱える。つまりはこの片想いが続くかぎりバドルは不利益を受け続けるということだ。
ジュルネがライラを諦めるか、ライラが彼を受け入れるか。
正直、こんな嫌がらせをしてくる男はおすすめできないが、拒絶した場合、逆恨みされる可能性がある。
逆恨みからの報復などされたら目も当てられない。
「ふぅ。申し訳ありません。鬱憤が溜まっていたようです。
あの男に関してはご心配なく。私に考えがありますので」
「えっ、本当に?」
「はい。これ以上現状が続くと本当に姉が持ちません。なんとしてでもやめさせなければ」
ミサは力強く約束し、視線を月に転じた。
吸い込まれそうな満月は前と同じ大きさのはずなのに、光量がいまいち足りない。早く元に戻ってほしいものだ。
しばらく月を見つめていたミサはこちらを振り返る。そして、それは麗しく笑った。
「何より、姉を一番理解し、姉から一番に頼られているのは私だと思い知らせてやります」
そう高らかに宣言する。
一番大事なのはそこなのかと脱力した。
笑顔がもうドヤ顔にしか見えない。
知り合って間もないが、この女神は間違いなくシスコンである。
ジュルネに対する信頼は底値を割ったし、株主総会で社長解任を訴えたい気持ちだが、ミサに考えがあるなら任せた方がいいだろう。
神相手に香代ができることはないのだ。
せめて、これから毎日底値を更新し続けるその気持ちを拳に込めてジュルネを殴ろうと思う。
妹の膝の上で安らかに眠るライラの顔を眺める。
変な男に片想いされて不憫極まりない。あんな男のために消滅するのも馬鹿らしいので、少しでも回復するといい。
なかなか応えてくれなくてイラっとしたこともあったが、実に申し訳なかった。
心の中でライラに謝っていると、ミサがトレーに載った花を摘み、花びらを千切って食べているのが目に入った。
「そ、それ、食べられるの?」
「ええ。おいしいですよ。香代さんもおひとつどうぞ」
勧められて、手にとってみる。くしゅくしゅとしためしべが覗く、黄色の花だ。形は椿に似ていて、花びらは薄く、すべらかで柔らかい。
まるっきり普通の花にしか見えない。神の菓子は不思議だ。
しかし、少なくとも美しくても飲食可能には見えない色の茶よりは体に安全そうだ。椿は昔から食べられているし、大丈夫だろう。それにどんな味がするのか気になった。
好奇心ぷちりと一枚花びらを千切り、口に入れた。
それはオブラートのように舌の上で溶ける。
(何これ。まるで風邪薬のシロップにはちみつとオリゴ糖と麦芽糖を混ぜたような……。とにかく)
「あっまっっっ!!!!!!」
あまりの衝撃に香代は現実に戻っていた。




