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美織2

「ありがとうございます」


 視界が上下する。頭を下げたのだ、

 顔を上げたとき、目の前にいたのはスーツを着た男だ。手に花束と千羽鶴を持っていた。

 中年の、眼鏡を掛けた優しい顔をしている。


「クラスのみんなからだよ。みんな、玲司くんに会えるのを楽しみに待っているんだ」

「玲司もみんなに会えるのを楽しみにしています」


 そんな会話をして、美織は花束と千羽鶴をうけとり、男性に椅子を勧める。

 ふたりがいるのは真っ白な病室だ。トイレのみならず、シャワーも付いている個室で、随分広い。

 今度は視界が横に動く。ベッドがあり、その上に少年が寝ていた。

 美織の面影のある彼はまだ十歳程度なのに、やつれ、疲れ切っているような寝顔をしていた。


「先生、ごめんなさい。玲司はさっき寝てしまったんです」


 そう言って視線を戻すと先生と呼ばれた男は首を横に振っていた。「気にしないで」と言っている。


「起こしても悪いしすぐ帰るよ。山口は毎日病院に通っているそうだが、無理をしないように」

「はい。ありがとうございます」

「玲司くん、また来るよ」


 男は玲司に小声で別れの挨拶をして病室を出て行った。

 山口は美織たちの苗字だ。玲司は「玲司くん」で美織は「山口」。玲司は名前で呼ばれているのに不思議と距離を感じる。

 美織はしばらく扉を見つめ続けた。足音が遠ざかっていく。


「行った?」

「行った。もう、寝たフリなんてやめて」

「だってあいつ話が長いんだもん。たまにしか来ないくせにすげー長居するじゃん」

「それはそうだけど」


 パチリと目を開いた玲司が悪戯っぽく笑う。先程の死にそうな寝顔が嘘のように生き生きとした表情だ。

 そんな玲司に美織は呆れたようにため息を吐いた。


 また、香代は美織の過去を夢見ている。

 美織のきょうだいの玲司が入院して、美織は側についているようだ。随分長い入院なのか、ベッドの周りには私物が溢れている。

 壁にも写真やメッセージカードが貼られていた。


 美織は椅子に千羽鶴を置くと花を生けに行くのか花瓶を持つ。

 それを見ていた玲司がボソリと呟く。


「そんなの、置いといていいよ」

「だめだよ。すぐ枯れちゃう」

「あいつ、その花が咲いてるうちには来ないんだ。だったらそんな手間かける必要ない」

「お花が可哀想よ」

「みおは僕より花のほうか好きなの?」

「そんなことありえないよ。わたしの一番はいつでもれいだもん」


 その言葉を聞くと、玲司は満足気に笑う。

 結局、花は花瓶に生けられた。千羽鶴も枕元に飾られたが、玲司は見向きもしない。

 それより美織と話したいらしい。玲司は寝転がって、美織は椅子に座り、上半身だけベッドに乗り上げ頬杖をついてたわいない会話を楽しんでいた。


「学校行きたい?」

「美織と一緒なら。あっ、でも給食がぶどうパンの日は行きたくないな」

「ぶどうパン嫌いだった?」

「ここの食事に出てから嫌いになった。あの食感が嫌だ」

「わたしは平気だけど」


 香代は玲司に全面同意したい。レーズンのあの食感が香代も苦手だ。


「給食って言えば、今日まずいスープだったの」

「そうなの? みおが好き嫌いなんて珍しいね」

「だってすごくクセがあって……。なんか、エビの入った酸っぱいスープなんだけど、上に乗ってる緑の葉っぱがまずくて……」


 エビの酸っぱいスープとはトムヤンクンだろうか。そんなものも出るなんて洒落た給食だ。

 上に乗っている緑の葉っぱはパクチーか、レモングラスか。どちらにしても美織は香草が苦手なのだ。


 香代は、どうだっただろう。

 そういえば、母がタイ料理にハマったときがあった。そのとき彼女は特に抵抗なく食べていた気がする。

 ひやりとしたものに心臓を撫でられる。


「みお、そろそろ帰らなきゃ」


 思考に沈む前に、玲司の声が目の前の光景に意識を戻す。窓の外は日が傾き始めていた。

 そろそろ帰らないと遅くなる。


「お母さんが来るまでいるよ」

「そんなことしなくていいよ。どうせあいつ遅くなるし、暗くてもみおを送ってかない。夜道をひとりで帰ったら危ないよ」

「お母さんをあいつなんて言ったらダメだよ」

「あんなやつ、産んだだけで母親じゃない」


 玲司は目を吊り上げて怒っている。

 あいかわらず、美織に対する無関心は続いているようだ。

 そして、贔屓されているはずの玲司はむしろ親を嫌悪している。


「あいつにとって僕は都合が良いだけだ。僕がもうすぐ死ぬ可哀想な子供で、そんな僕を大事にしている自分が好きなんだ。他人にちやほやされるから」

「れい……」

「みお。もしあいつが、いや、あいつらが僕が死んだあと擦り寄ってきても無視しなよ。まともな人間じゃないから、みおの人生が台無しにされる」

「心配してくれてありがとう。でも、死んだら、なんて言うのはやめて。れいとわたしは一緒に生まれたんだから、死ぬときも一緒よ」

「……うん。そうだね、みお」


 ふたりは手を取り合って、見つめ合う。

 玲司の目の奥にはどうしようもない諦観が横たわっていた。

 しばらく、言葉もなくそのままでいたが、夕焼けが濃くなって来たので美織は病室をあとにした。


 病院を出て見上げると窓辺に玲司がいで軽く手を振っていた。美織は大きく手を振って応える。名残り惜しそうに歩きだし、何度も振り返った。


 玲司はずっと、窓辺で見送っている。

 ひとりになっても美織はもう泣かなかったが、玲司は泣いているように見えた。

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