サークル棟の怪談・ミナミ様
◇
今日一日の授業を終えた俺たちは、サークル棟の前にやってきた。
「こ、ここが、サークル棟……」
ごくり、と生唾を飲む音が隣から聞こえるが、目の前にそびえる建物は魔王の城のような大層なものではない。けれど、目の前のサークル棟を見て俺も初めてここに来たときに同じような反応をしたから何とも言えない。
本館と比べれば古ぼけた建物で、多種多様なサークルが混在しているお陰でサークル棟は入り口の時点から雑多に散らかった印象を与えてくる。
「先輩いると思うし、早く行くぞ」
「え、ホントにここに入るの? ちょっと覚悟が必要──」
ちょっと待って、と言ってなかなか踏み込もうとしない琉歌をいい加減待っていられなくなったので手を引いてサークル棟に踏み入る。
扉を開けた途端、最初に感じるのは埃とカビとインク、木材やら何やらの雑多なにおい。
「うぇー」
慣れるまでは眉をしかめたくなるようなキツイ匂いが俺たちを出迎え、琉歌は思わずといった様子で鼻を押さえる。
「ま、待ってよ天音。もっと、ゆっくり……!」
壁や扉にはホラー染みた痕跡があり、黄昏時である今が一番おどろおどろしさを増すと言うもの。何故か手を取った琉歌の手汗が滲んできているのが俺の手の平に伝わってくる。分かる。怖いよな、この場所。
足の踏み場が辛うじて残るサークル棟を一言で表すなら、混沌という二文字が相応しいだろう。
大学に歴史があるように、このサークル棟にも数々の歴史があり、数多の文明という名のサークルが生まれては消えてを繰り返してきたお陰で、今現在この大学にサークルがいくつ存在しているか知っている人は、大学職員ですらいないとか、なんとか。
そして何より、このサークル棟にまつわる怪談話がキモである。
琉歌が「やめてよ」と怯えた声を出すのを心が痛むのを無視して聞こえない振りで語り出す。
「ねえ、天音?!」
「──大学設立当初、この場所には小さな祠があったんだ。その祠は『ミナミ様』と呼ばれていたらしい。南方からの敵を追い払うためのものだとか。でもな、このサークル棟が建つ際にその祠を潰さなければならなかったんだ。だから大学側は神社に相談して地鎮祭を取り行ってから祠を潰したんだ。けど、その工事の最中、問題が起こった」
「あ、天音、もう、やめてよね」
「工事に取り掛かったとび職が次々と原因不明の体調不良を起こし、中には仕事に復帰できなくなる程の大怪我を追う者すら現れたんだ。そう言った人達がみんな、声を揃えて言ったんだ。『ミナミ様が見えた』、ってな」
「あ、天音……?」
「でも、全員が全員、ミナミ様が見えた訳じゃない。ミナミ様が見えた人には、共通したことが一つあったんだ。それが──南の方角からこの地に踏み入った者だと言うこと。その人たちには、全員、もれなくミナミ様が見えたんだと。……人の倍はある背丈。ひきずられるほどに長い、腕。そして、腹が裂けて笑う口。一度でも南の方角からこの地に踏み入った者を、ミナミ様は地の果てまで追い詰めるんだとか」
「ひ、ひぃっ!!!」
ガタン、と音を立てて倒れた額縁に、琉歌が俺の腕に抱き着いてくる。
そんな可愛い反応をしても俺の口は止まらない。山場はこの後すぐなのだから。
「安心しろよ琉歌。このサークル棟に南から入る道は、一つしかないから」
「そ、そうなんだ。それなら良かっ──」
「……俺たちが入って来た入り口だけが、南を向いているんだよ」
それを言うと同時。
俺の視線を追うようにして振り向いた琉歌の先に、西日に照らされた影が浮かび上がる。
それは正しく、人の倍はあるかという体躯。長い二つの腕が垂れていて、腹部と思わしき場所にはニタァ、と笑う口がついている影だった。
その姿は紛れもなく、たった今語った『ミナミ様』の姿そのもので。
「ヒぃッ?! ぎゃああああ!!! ば、バカバカバカバカバカ!!! 天音の馬鹿ぁああ!!!」
その光景を前にした琉歌は、悲鳴と共に俺の肩を掴んで頭を揺さぶる。
その余りの怖がりっぷりに、俺も流石にやり過ぎたか、と自省しつつ俺の脳味噌をシェイクする琉歌の手を止めさせる。
「おい、琉歌。琉歌、落ち着け。聞こえてるか、琉歌。そろそろ、限界が。おい、おい! 琉歌! マジで、脳味噌、飛び出そう、だから!!!」
「あ、ごめん……」
俺の悲痛な叫びにようやく琉歌の手が止まる。
どうして脅かした側の俺の方が怖い思いをしなければならないのか。因果応報ってやつか。
「いいから、良く見ろ……。あれはこの時間になると浮かび上がる影でな。数学研究会とオカルトサークルが作ったモニュメントらしい。ちょっとした悪ふざけだった、ってわけだ。すまんな」
「じゃ、じゃあ、『ミナミ様』は……?」
「ただの作り話だろ。多分」
「そ、そっかぁ、良かったぁ……」
ホッと胸を撫で下ろす琉歌。だけども、琉歌は俺の手を掴んだまま放そうとはせず、そのままサークル棟の内部を歩き進めていくと、間もなくして目的の扉の前に辿り着く。
「ほら、ここだ。ここが、漫研のサークル室」
「……ねえ天音。一つ聞いてもいい?」
「おう、なんだ?」
「あの扉は、何かな?」
琉歌が指差す先には、換気のために開け放たれた扉。
声のトーンが一つ下がったように聞こえるのは気のせいじゃない。琉歌の言いたいことは、俺もよーく分かる。
扉の向こうに見えるのはサークル棟の裏の景色。
そして漫研のサークル室は、裏口から入ればすぐのところにあった。
「ああ、裏口だな。漫研に来るときは裏口使った方がいいぜ」
「へえ、そうなんだ──じゃないよ?!」
「まあそう怒るな。せっかくの綺麗な顔が台無しだろ? お前の言いたいことも分かる。なんで裏口から通してくれなかったのか……だろ?」
「分かっているのなら、僕が納得できるような説明をお願いするよ」
抗議します、と目で語っている琉歌に対して、俺は自信をもって胸を張って答える。
わざわざこんな嫌がらせのような行動を取ったのには、明確な理由がある。それは──
「俺も先輩に騙されて同じ目に逢ったから、琉歌にも同じ目に逢ってもらおうかと思ってだな」
漫研サークルに伝わる通過儀礼だとかなんとか言われて、俺も同じ目に逢わされたからだ。
俺だけサークル棟に怖い思いを抱いていないなんて不公平だからな。親友であるお前にも同じ目に逢ってもらうためだ。悪く思うな。
「~~~っ、バカぁっ!」
「痛ぁっ!」
なんて考えていると、スコーン! と小気味良い音が鳴って俺の頭に琉歌の平手打ちが炸裂するのだった。
「もう少しまともな言い訳はなかったわけ?!」
「へへっ、サークルに入るときの通過儀礼みたいなもんだ」
「サークルに入るとか言ってないし! すっごい怖かったんだからね!!」
「え、入らないのか?」
「なんか怖いし! 入らないよ!」
「そう怒るなって。まあでも、冗談が過ぎたな。悪い、悪い。部屋に入れば漫研は綺麗な方だから」
「もう。後で、ジュース奢ってよね」
むくれ面でポカポカと肩口を叩いてくる琉歌に軽く謝り、漫研に分け与えられた部屋の扉を開く。
可愛い女子にしか許されない行為をしても琉歌なら問題無く画になる上、それを一瞬でも可愛いと思ってしまった自分が憎い。もし俺が琉歌と同じことをやった場合、非難轟々、クレーム殺到。あらゆる最悪のレッテルを貼られ、現実世界を追放される未来しか見えない。
「むうううう」
ついには頭の先をぐりぐりと押し付けてまで来る琉歌に、そんなに嫌だったのかと思いながら丁度いい高さの琉歌の頭に手を置くと、琉歌の抗議も収まりを見せる。
「さて、それじゃあ中に入るか。多分、代表が居るはずなんだけど──」
言いながら、琉歌の手を引いて中に立ち入る。
漫研のサークル室は、言った通り掃除の行き届いた一室で、壁の一面には漫研の名に恥じない背表紙が並ぶ本棚まである。
けれど、目的の人物はそこにはおらず。
「誰も、居ないよ?」
「いや、あの人は多分……」
あの人はこの場所以外に行く場所が無いのを、知っている。
だから間もなく帰ってくるはずだ、と口にしようとした、その時だった。
がしっ、と窓枠に外から手が掛かったのは。
「んひぃっ?!」
「おや、驚かしてしまったかな?」
「どこ行ってたんですか、そんな泥まみれで。それと、窓開けっ放しで出て行かないで下さい、って言ったでしょう」
琉歌が引っ付いてくるのを引き剥がしつつ、俺は見知った顔に苦言を呈する。
窓枠に足をかけ、「よっこらしょ」と言いながらサークル室に飛び込んでくるのは、ここが大学だという事を忘れてしまいそうになるような、探検家の重装備をした変人の女であった。
そんな奇人を目の当たりにした琉歌は、すっかり警戒した様子で俺の背に隠れる。俺も、初めてこの人を前にした時は不審者だと勘違いした。いや、まあ、窓から入って来る見慣れない格好をした奴なんて、十中八九不審者だ。庇う必要もないくらい不審者に違いないその変人と俺が言葉を交わすものだから、琉歌もどんな反応をしたらいいのか分からなくなっている。
混乱する琉歌を他所に、不審者の女は下ろした鞄から何かを取り出して怯えた琉歌の前に差し出した。
「これは失敬。驚かせて済まない。これは詫びの印だ。ほら、受け取ってくれたまえ」
差し出された石を、俺は真顔で叩き落した。




