積年の思いは両想いより重い
そうして来たる、月曜日。
僕にとっての決戦は、いつだって月曜なのだ。
天音と再会してからというもの、女だって気付かれていないことへの苛立ちゆえか、今まで化粧っ気のなかった僕は、週を跨いだ月曜日にだけ、少しだけでも女の子に見てもらえるように、少しずつ化粧をするようにしていた。
ほんのちょっとだけでもいいから、天音に意識してもらいたい。可愛いって言ってほしい、という一心で臨んでいたのだが、天音はついぞ僕が女の子であることに気付く気配はないまま時だけが流れている。
しかも、「今は男も化粧するもんな。良く似合ってると思うぞ」なんて言って僕のメイクの腕前を褒めてきちゃったりして。僕の些細な変化どころか、天音の多様性を受け入れる寛容な一面に更に心惹かれたのは言うまでもない。
「……はぁ。なるべく、昨日のメイクに寄せたつもりだけど」
手鏡を覗き込んで前髪を弄る僕の目に映るのは、昨日天音とデートをした『百瀬アルカ』にそっくりな顔の僕。そっくりというか、あれも僕だったんだけど。
講堂で、隣にやって来た天音を待ち受ける。
「お、おふぁ、おはよう。天音」
もおおおおおおお!
噛んだ! 変な挨拶になった! 決戦のはずなのに!
顔が赤くなるのを必死で押さえ込んで、僕は週の初めの授業にやって来た天音と相対する。
「……おう。おはよう、琉歌」
「あれっ。なんか元気ない? なんかあった? き、昨日とか?」
「おう、そうなんだよ。聞いてくれよ」
いつものことのように隣の席に並んで座る。
好きな人の隣にいられる。ただそれだけでも幸せなことが、当たり前のように行われることに、ついつい口元が緩むのを抑えられない。こんな小さなことでも嬉しくなっちゃう僕って、チョロいのかな?
なんてことを考えつつ、僕は本腰を据える。
気付いてくれ、とあからさまな念を送る僕の姿は、全てを知る人が見れば滑稽なまでに白々しく映るだろう。
けれども今この瞬間、この場所で全てを知っているのは、僕と天音だけだ。周りの皆には疎か、気付いてほしい天音には気付いた様子は無い。
それでもなんとか声が震えるのを我慢して、来て早々に机に突っ伏した天音に尋ねると、天音は寝不足だと一目見て分かるくらい濃い隈を湛えて「聞いてくれよ」と話し出す。
「昨日、俺はマッチングアプリでマッチした相手とデートをしたんだ。それがなんとな……物凄く、綺麗な人だった。これまでは性欲に駆られていたが、初めてその人を見て、ビビビっ、と来たんだ。あの人こそ、正真正銘、俺の初恋だ」
「そ、そんなにぃ?」
「あぁ。それはもう、絵画から飛び出して来たみたいな女性でなあ」
「ぅひっ?!」
「仕草も話し方も、どこを見ても可憐で、どれをとっても清純さの塊のような人だったんだよ」
「そ、そぉ……?」
天音が余りにも手放しで褒め称えるものだから、嬉しくなった僕はつい、目的も忘れて喜びを噛み占めてしまう。今、顔が赤くなるのも分かるくらいほっぺが熱い。
と言うか、好きな人にこれだけ褒められて、嬉しくなるなという方が無理な話だろう。
「なんでお前が照れてんだよ」
「い、いいから! つ、続きは?!」
「前にも言ったように、俺の好みはダイナマイトボディのセクシーなお姉さんなんだが、それとは違う女性だったんだ。まぁ、そもそも俺がマッチングアプリでマッチする対象として登録したのはヤリモクの体目当てでな。世間一般からすれば不純な動機なんだが、まさかそんな人がマッチするなんて思ってもみなくて」
「こ、好みじゃなかったんだ……」
「一目見たときから、あぁ間違えてマッチしたんだな、って思ってたんだよ。だから最初は適当に遊ぶだけかなって、むしろ遊ばれるくらいかなって思ってたんだけど……」
段々と天音の言葉尻に熱が込められていくのを感じる。
「いざ遊んでみたら、それはもうめちゃくちゃ楽しくてだな! 話も合うし、趣味も合う。なんて言うのかな、馬が合うってああいうことを言うのかもしれない、って思うと途端にその人のことがとんでもなく愛らしく思えてきて……」
「……っ!」
……なんだろう。
天音と昨日デートしたのは正真正銘僕であるはずなのに、天音が今話しているのは、あくまでも『百瀬アルカ』という女性のことだと思うと、胸が苦しくなる。
弟が言っていた、もしも天音に他の女ができたら、なんてことを考えて勝手に落ち込む僕は、思わず耳を塞ぎたくなる。
そこから先に天音がなんて言うのかも分かっているからこそ、聞きたいのに聞きたくないというジレンマに陥る。
自分で掘った落とし穴に自分でハマるような感覚に、僕は頭がおかしくなりそうだったけど、聞くのを止められない。
「その時思ったんだよ。あぁ、この人と一生一緒に居たいな、って。あれがきっと、運命の人なんだって思うといてもたってもいられなくて、つい告白しちゃったんだよ」
「へ、へぇー。そ、それで?」
「まぁ、やんわりと断られたよ。マッチングアプリも初めてだったっぽいしな」
「え、えぇ?! だって、と、友達から、って──」
なんでもないように、けれどもちょっぴり傷付いたように言った天音に、僕は思わず声を荒らげる。
けれど、自分が失言したことにも気付いて慌てて口を塞ぐも、どうやら遅かったらしい。
「え? なんでお前、そんなこと知って……って、もしかして──」
しまった。
いや、むしろこれで良かったのかもしれない。
僕が、昨日の『百瀬アルカ』なんだと分かってくれれば。
僕が、女の子なんだって分かってくれれば。
後はただ、普通の男女の関係のように、ずっと好きだった、って伝えればいいだけなんだから。
「……友達から、ってのはもしかして……脈あり、ってことか?」
「そう、そうだよ。僕が、実は──って、うん? 何の話?」
肩肘張った僕の身体は、こてん、と倒れてしまいそうな衝撃に合う。
起き上がり小坊士のように、もう一度起き上がる気力すら湧かないのは、天音の返答に逆境すら感じ得ない程に気を抜かれてしまったからだ。
そんな僕の、覚悟だったりに気付かないまま、天音は「なるほどな」なんて言いながら頷き繰り返す。
「は? お前こそ何だよ。実は、なんだよ」
「え? い、いや?! と言うか、天音こそ! な、なんで一人で納得してるの?」
「いや、お前がそう言うくらいだから、モテる男女ってのはそうやって駆け引きするもんなのかと納得しただけだが? モテる琉歌がそう言うんだから、友達からお願いします、てのは脈無しってわけじゃねえんだろ?」
「え? あ、いや、うーん、どうだろ」
随分と都合の良い解釈をするものだ。なんて思う反面、なんだか違う方向にハンドルを切った天音に対して、僕は曖昧な返事で誤魔化して引き攣った笑みを浮かべる。天音の鈍さに僕は項垂れるばかり。
と言うか、これは『百瀬アルカ』に塩を送ったことになるのでは?
「そんで、昨日は帰ってからメッセ送ります、って言ってたんだがなかなか来なくてな。深夜まで待ってたんだが来ないもんで、お陰で寝不足だぜ。だけどこれもまた、恋の駆け引きってやつなんだろ?」
「あー、えーと」
あ、そうだった。
言われて思い出した。
昨日はすっかりメッセージのことを忘れてしまい、今日のことだけを考えてベッドに入ったのだった。
いやしかし、これ以上天音と『百瀬アルカ』を近付けさせるわけにはいかない。
さっさと彼女は僕だったんだよ、と打ち明けなければ。
「そう言えば琉歌。お前今日のメイクいつもと感じ違うな。そっちも似合ってるぞ」
「え、そう? えへへ。ありがと」
天音に褒めてもらえるのなら、早起きした甲斐があるというものだ──って違う!
天音に本当のことを打ち明けて、僕の想いを伝えるんだ。
男の子だと思ってた幼馴染が成長して女の子らしくなって意識し始めちゃう漫画、君に紹介されて喜んだんだから、きっと天音も嬉しいはず──
「いやでも、運命の人ってやつと会って分かったわ。運命の人に必ずしも好みが当て嵌まるわけじゃないんだな」
「え……」
続く天音の言葉に、僕はハッとする。
昨日のママの声が頭の中でリフレインする。
──1番大事なのは、天音君の気持ちでしょ?
きっと天音は、漫画という世界の中で好みなだけで、現実に同じシチュエーションが現れたときに彼がどんな反応をするのか、分からない。
分からないからこそ、怖い。
もし天音に拒絶されたら、僕はきっと一生立ち直れないかもしれない。
それくらい、僕の中で天音の存在は大きくて。
「むしろ、逆ってゆーか? 全然好みじゃ無かったから運命の人足り得た……って、琉歌。どうかしたか?」
「……え? い、いや、なんでもないよ。何か、言ってた?」
「いや琉歌の方こそ、何か言おうとしてたんじゃないのか?」
弟も僕も揃って鈍ちんって言うけど、天音は決して、鈍感なわけじゃない。
僕の化粧の違いもばっちり見抜いて来るし、前髪を切れば気付いてくれる。全方位にそうやってレーダーを張り巡らせているからこそ、細かいことを気にしないのだ。
人の感情の機微には敏い方なのだけど、僕の正体には気付かない。
でもそれはきっと、どうでもいいからではなくて、天音が僕という個人に全幅の信頼を寄せてくれているから。
僕が昔言った出まかせの嘘でさえも疑う余地がないくらい信じ込んでしまっているのだ。
これは、一種の呪いだ。
僕が天音に……。いや、僕が僕自身にかけた、呪い。
それを解くためには、天音に気付いてもらう他無い。どんなに強引な手段でもいいから、天音に僕が女の子であると気付かせる必要がある。
そして、僕が女だと天音が認識してから、この想いを伝えるんだ。そうじゃなきゃ、フェアとは言えない。天音の信頼を裏切らずに、気付かせるんだ。
となれば、僕がまずやるべきことは、僕を女だと思わせること。
思い立ったが吉日、それ以外は凶日。
考える間もなく、僕は行動に移る。
「……ね、天音。授業終わってから、暇?」
「いつも通り、空きコマは暇だな。駄弁るか?」
「ううん、違う。天音と一緒に居たいな、って思って」
「なんだその言い方。ま、別にいいけど」
「約束だよ?」
とりあえず、僕に取れる行動は、女性らしく振る舞うことだ。
これまで再会してからというもの、小学生の頃を思い出して天音の親友として振る舞っていた。
いかんせん、天音が昔と変わらずに接してくるし、僕もそれが居心地良かったから男の子として振る舞っていたが、それを止める。
天音が言っていたみたいに大学でも周りの人達が僕を持て囃すけど、僕はそんなの望んじゃいない。だから今後、僕は僕のまま、僕らしく振舞おう。
ただでさえ異性に飢えている天音なら、それだけで十分効果があると思うのだけど、果たして。
どうにかして僕は天音を振り向かせなきゃいけない。
もう絶対、天音と離れたくなんてないから。
そして振り向いてくれた暁には、僕のこの長年蓄積された想いを打ち明けるんだ。
──絶対、僕のことを女の子だって意識させてみせるんだから!




