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千崎琉歌はモヤモヤしている

 


 ◇


「──うあああああ……!」

「姉ちゃん、うるさい」

「琉歌、うるさいわよ」


 千崎邸のリビングにて上がるうめき声。

 初めはギョッとしていた家族も、これが五回目ともなれば、呆れた様子で「うるさい」と断ち切られる。傷心中なんだから、もう少し優しくしてくれてもいいじゃないか。

 帰ってきた格好そのままに倒れ込んでリビングのソファを独占するのは、この家の()()。千崎琉歌こと、僕だ。


「今日、天音兄ちゃんとデートなんじゃなかったの?」

「見てくれだけは立派に成長しても、心は小学生のままなのよ」

「あ、そういうこと」

「うーるーさーいー!」


 周りで弟とママが何か言ってるようだけど、僕の頭は今日のデートでいっぱいで反論の「は」の字も出せない。


「下着だって、可愛いの選んだのに……」


 お気に入りのクッションを抱いて、顔を埋める。


 あの時、天音が勝手に勘違いしたようだけど、僕は最初からそのつもりだった。

 はしたないけど、むしろそっちが本命だった……と言うべきか。これは心の裡に秘めたるべきだから誰にも言えないけれど。


 あんな風にトラブルが重なったとは言え、今日のデートが楽しかったことには変わりない。

 天音とのデートは、信じられないくらい楽しかったのだ。


「ていうか、まだ天音兄ちゃん、姉ちゃんのこと男だと思ってんの? それはそれで天音兄ちゃんもヤバいと思うけど」

「天音のこと悪く言わないでよ。天音は……純粋なんだよ」

「ヤリモクでマッチングアプリ使ってる男が純粋、ねぇ……。盲目すぎない?」

「元々は琉歌、天音君がああなったのもあなたがそう思い込ませたからじゃない。子供の頃にあれだけ釘を差したんだから、ああなるのもしょうがないんじゃないの?」

「ううっ……。だって、だってぇ……」


 僕と天音の出会いは、小学一年生まで遡る。


 ──両親から譲り受けた、整った顔立ち。それは僕にとって宝物であると同時に、他の人とは違うという点で物心ついた時からコンプレックス。小学校に上がってからも何かと目を引く存在として、遠巻きにされていた。

 子供の時は今と違って、顔の良し悪しや頭の出来なんかは人間関係を構築する上で何の価値もない。


 面白いかどうか。足が速いかどうか。それが全ての基準。

 気味が悪いと思われれば、排斥される。

 至極単純で分かりやすい、子供の行動原理である。


 無邪気だからこそ残酷である子供時代の特性が顕著に働いたお陰で、他人とは違う容姿を持つ僕は無事に小学校でも孤立を果たす。もっと明るく振る舞えたりしていれば、きっと違ったのかもしれないけれど、周囲に合わせることを覚えた今はまだしも、その当時は引っ越しで新しい学区にやってきたばかりの僕の胸中は不安ばかりで余裕もなく、声も小さければとにかく暗かった。だからクラスの誰からも遠巻きにされて、生まれて初めて味わう孤独感に苦しんでいた。


 何か一つでも違えばきっと、僕を取り囲う環境は大きく変わっていたかもしれない。けれど、僕は運動するよりも、本を読んだり絵を描いたりしている方が好きだった。そんな趣味はただでさえ孤立する環境を加速させるばかりで。


 入学して一か月も経たないうちに、僕は学校に行くのが嫌になった。

 今日も同じ目に逢ったら、ママとパパにもう行きたくないって言おう。そう思って最後に勇気を出して登校して、今では本当に良かったと思ってる。もしも人生に分岐点があるとするなら、あの日に違いない。そう言えるくらい、僕にとっての転機が訪れたのはあの日だった。

 僕に手を差し伸べてくれるヒーローが、僕の元を訪れた日。


『カッコいいな、お前!』


 それは、隣のクラスからの来訪者。

 八尋天音との出会いは、それが最初だった。


『きれいな目してるなあ! なあなあ、俺たちといっしょにあそぼうぜ!』


 彼の雄々しい瞳に、僕の姿が映る。

 天音は僕を、逃げたくなるくらい退屈な日常から連れ出してくれた張本人。


 僕の手を引いて外に連れ出してくれる彼の足は、とても速かった。

 天音についていくのに必死で、彼を拒む余地なんてないくらいに。


 僕が天音と遊ぶようになってから、周りの目は変わっていった。

 天真爛漫な天音の周りにはいつも人がたくさんいて、僕はいつしか自然とその中の一人になっていた。お陰でたくさんの友人に囲まれる天音の傍にいる間は、僕の心を蝕んでいた孤独感は忘れられて、天音と一緒に居る時間が楽しくしょうがなかった。

 天音以外の子とも仲良くなることが出来た。

 それでも、僕の中での一番の親友は天音であり、天音も僕のことを親友だって言ってくれた。


 初めて天音を家に遊びに連れてきた時には、パパもママも大騒ぎしていた。

 僕が初めてパパとママに友達を紹介したんだ。それはもう、思い出すのも恥ずかしいくらい大変な騒ぎだった。

 礼儀正しくてしっかりした天音はすぐに家族とも仲良くなったのだけれど、それが少しだけつまらなかったことも覚えている。生まれて初めての嫉妬だった。

 これからも彼とずっと一緒に仲良くしていたいと思っていた僕の身に驚きの事実が降り注いだのは、小学校三年生の時のこと。


『お前、女と遊んでんの? だっせーの!』


 お調子者のクラスメイトが、僕と天音が頻繁に一緒に居るのを見て指差して笑ったのだ。

 子供の頃にそんな風潮が蔓延するのは全国的によくあることらしくて、ここが男女の境目に当たるらしい。女友達と関わっているときにも「男子って子供だよね~」と同調して男子を避けるようになり、明確に男女で別れ始めたことが僕には不快に思えてならなかった。


 男だとか女だとか、そんなの関係なく僕は天音と一緒に居るのが楽しいし、好きだったから。周りの皆が何を言っているのか分からなかった。

 だから、その日も同じように周りから揶揄われて、あんなことを口走ってしまった。


『ぼ、僕、男の子だから!』

『急になんだよ。そんなこと知ってるに決まってるだろ。いいからほら、今日は何して遊ぶ?』


 小さい頃からずっと、人の目に触れるのを怖がって、キャップを被って髪は短くして、スカートも嫌がって履こうとしなかった僕のことを、天音はあろうことか、男だと認識していたようだった。

 周りからは「何言ってんだこいつ」みたいな視線を受けたが、天音は僕の言葉を否定せずに受け取ってくれて、男子と女子の壁なんて知らないとばかりに、世代の風潮に流されることなくいつも一緒に居ることができた。


 今思えば、変な意地なんて張らずに、ここできちんと訂正しておくべきだったんだ。

 男でも女でも関係ない。天音ならそう言ってくれるって分かっていたはずなのに。


 あの時に訂正しておけば今頃は……。


 一度は離れ離れになった幼馴染が大きくなってから再会したら綺麗になっていて今まで意識したことなんてなかったはずなのに急に目が放せなくなってこれまで自覚していなかった恋心が目覚めてからはどうしようもないくらいの恋の衝動に駆られて勢いの赴くままに幼馴染に愛を囁く──、なんてことがあり得たかもしれないのに! いや、有り得た。少なくとも、僕は現状には我慢できていないのだから。


 あーあ! 天音に耳元で「好きだ」なんて囁かれてみたいなあ! あの低い声で「琉歌」って呼ばれるだけでもいいから! 贅沢は言ってないつもりなんだけどなぁ。


 それからすぐに四年生になってパパのお仕事の都合で転校しなくちゃいけなくなって、僕と天音は離れ離れになってしまう。

 天音とのお別れの挨拶は学校で行われたお別れ会が最後で、僕が女の子であることを打ち明ける暇どころか二人きりで話す時間もないまま別れてしまい、僕はしばらく落ち込んだ日々を過ごしていた。


『次に天音君に会った時、そんなんじゃ笑われちゃうよ』


 天音はこんなことで笑ったりしない。

 底抜けに優しいから、きっと励ましてくれるに違いないとは思ったものの、ママとパパが励ましでそう言ってくれるのが分かっていたから、考え方を変えた。


 今度は僕が天音の手を引っ張ってあげられるくらい成長した姿を見せてやるんだ、と。

 それに、体も成長すれば天音は否応なしに僕のことを女だと認めざるを得ないはずだ、と。


 天音への強い想いを胸に、僕は新しい環境に一歩踏み出すことが出来た。離れていても天音は、僕に力をくれたんだ。


 その結果、子供の頃とそう大して変わらぬ体躯の大人が出来上がったのは悲しき運命と言えよう。


 新しい環境に踏み出してから、僕の天音への強い執着とも言えるような想いが『恋』だと気付くのに、そう時間はかからなかった。


 幼い頃より抱き続けた恋心は、自覚を経てからも長い年月が経過しても尚、欠片も変化することなく、むしろ天音と再会してからというもの。日に日に大きくなっている恋心がいい加減彼の前でも誤魔化しきれなくなってきていた。


「は~ぁ……。うぅん、天音ぇ……」

「でも姉ちゃん、今日はちゃんと天音兄ちゃんとデート出来たんでしょ?」

「そうなの! 天音ってば、僕のこの格好を見て似合ってるって、綺麗だって、可愛いって言ってくれたんだよ!」

「あら良かったじゃない。早起きして頑張ってたものね」

「うん! ママも、色々教えてくれてありがと!」

「……でも天音兄ちゃんに気付かれてないんだから意味無いじゃん」

「うぅっ!」


 弟からの鋭い一声が僕の胸を差す。致命傷だぞ、このヤロー。


 天音とは僕が彼を家に呼んだときにしか付き合いがなかったはずなのに、弟は姉である僕よりも、天音のことを慕っている節がある。

 僕に威厳がないのは仕方がないとして、出来ればもう少し優しくしてほしい。それから知恵も貸してほしい。お前には彼女いるんだから、恋愛のいろはくらい教えてよ。僕はお姉ちゃんだぞ。


「あ、明日、言うもん……」

「本当に言えんの? 大学に入ってようやく天音兄ちゃんに会ってから、もう三か月が過ぎてるよ。天音兄ちゃんが姉ちゃんのことをまだ男だって勘違いしてることが発覚して家族会議を開いたのもその時だし。それなのに、まだ言えてないじゃん。それで、今日のことがあったってだけで、今更言えるもんなの?」

「そ、それはぁ……」


 大学で天音に再会したことを伝えると、僕に続いて目を輝かせたのは弟だ。

 成長した天音の写真までせがんできて、天音にまた会えるかもという期待が最高潮になったところに僕の過去の清算である性別の問題が浮上した訳だ。

 呆れて物も言えないとは正にこのこと、と自覚があるくらい自分の情けなさに溜め息が出る。

 だって僕は、改めて天音の傍にいられて幸せを噛み締めている反面、小学生の頃と同じように男女の壁で念願かなって再び手にした親友のポジションが壊れてしまうことを酷く怖れているのだから。


 好きなはずなのにはっきりと好きだと言えない僕は、自分で自分に嫌気が差す。

 それでも、時を経て多少は髪も伸ばして女らしくなった僕を見て天音が気付いてくれるのを待ちたいと思うのは、なけなしの女心だろうか。


 ジレンマに挟まれているうちに前進も後退もできなくなった僕を弟が憐れんでいるのが良く分かる。


「気付いて、もらいたいんだもん……」

「もん、じゃないって。そんなちんたらして、別の女に天音兄ちゃん取られても慰めてやんないからな」

「やだよ、そんなの! 天音は、僕の……」

「はぁ、めんどくさ。この駄目な姉のこと、天音兄ちゃんさっさともらってくんないかなぁ。母さんなら天音兄ちゃんのお母さんの連絡先とか知ってるんじゃないの? 教えちゃえばいいのに」

「それはもちろん知ってるわよ。天音君にそれとなく琉歌と同じ大学を勧めたのは他でもない私達だもの」


 なにそれ、初耳なんだけど。


「でも、それはズルでしょう? もちろん私も天音君が琉歌と付き合ってくれるのは嬉しいけど、一番大事なのは天音君の気持ち。それが明かされるかどうかは琉歌の努力次第じゃない。軽く背中を押してあげるくらいならいいけど、きちんと琉歌の口から言うのが正しいお付き合いなんじゃないかしら? もちろん、付き合った後ならいくらでも余計なお世話を焼いちゃうんだけどね~?」


 ママの話に弟は肩を竦めて夕飯を食べ進める。

 確かにママの言う通り、大切なのは天音の気持ち。

 今まで男の子だと思っていた相手が女の子だったから好きになるなんて、そんな僕にとって都合の良いようなこと……いや、天音のことだから、都合が良ければ気に入ってくれそう。それこそ、天音から聞いても無いのに教え込まれた彼の性的嗜好はそーゆーのが多かった気がするし。


 それに、今日のデートの感じからして天音が『百瀬アルカ』に恋をしているのは一目瞭然。と言うか、告白までされちゃったし。きゃー!


 ……いや、冷静になって考えると、あんまり嬉しくないと言うか、複雑な気持ちが上回って来る。


 アルカが僕だとしても、なんだか気分が良くないのは気のせいじゃない。

 天音には僕以外を見たりしないでほしい。そんな分かりやすい独占欲を抱いてしまうくらい、僕の頭も胸も、天音でいっぱいだ。


 そもそも、なんでこんなにも分かりやすい偽名を疑いもせずに信じるものか。

 純粋で可愛いところは天音の良い所だけど、そのせいで鈍ちんになっているのはなんだかモヤモヤする。


「アルカは、僕でしたー。……よし、それを言うだけ、それを言うだけなんだ。それだけで、天音は僕を見てくれるようになるはず……。明日、絶対に言うんだ。言ったら、後は、後は……す、すすす、好きだ、って──」


 ソファに置かれたクッションに天音の顔を映像として脳が補完してくれると、予行練習でさえも緊張してしまう。

 ここまできたらもう言うしかない。あとはそれを伝えて、天音に意識させるだけなんだ。

 そうすれば、きっと……。


「早くご飯食べちゃいなさーい」


 悶々としたまま、僕はその日の夜を過ごした。






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