あなたはきっと俺の運命の人
◇
日曜日の駅前。
俺は田舎の地方都市によく見られる一極化が進む賑わいの駅前で、人を待っていた。
「まさか、こんなうまく話が進むなんてな……」
俺は今日、ついに童貞を捨てる──かもしれない。
待ち人は、マッチングアプリでマッチした女性。数回のメッセージでのやり取りの後、会って話しませんか、とのこと。
これはつまり、気楽なお付き合いを始めましょうという隠語。会うというアクションにまで辿り着いた時点で、俺の目標は達成したと言っても過言ではなかった。
「き、緊張してきた……。口から心臓が飛び出そうだ」
お相手は同い年で、しかも近所に住んでいるというのだから驚きだ。このアプリ、あんまり同年代とかいないはずなのに。
本当は年上の女の人にリードしてもらう、というのが理想とする卒業式なのだが、相手の女性の方からのアプローチが激しいことに加えて首から上だけのプロフィール写真からでも分かる類稀なる美女感にビビッと、もとい美々ッ、と来た俺は二つ返事で今日のデートをセッティングした。
「美女とおっぱいの前では無力……。よく言ったもんだよなあ」
誰が言い出したのか、そんな言葉をポロリと零して空を見上げる。
吸い込まれそうなくらい澄んだ初夏の空には、ムクムクと膨らんだ入道雲が浮かんでいる。
マッチした彼女のプロフィール写真は首から上だけのもの。それも加工用のシールで顔の半分が隠れてしまっている写真から、俺は口に出した二つの要素を見抜いた。気分は名探偵である。
辛うじて判別可能な顔の一部からでも分かるきめ細やかな肌、大きな瞳。それらから分かるのは、やってくる女性はまず間違いなく美女だということ。そして、体はボンキュッボンに違いない。
肉体を判断する要素? そんなものは必要ない。在ると思えば在るし、無いと思えば無い。おっぱいとはつまり、哲学なんだ。
そして男を魅了するそれら二つの前では俺の思考力は一瞬にして蒸発し、誓いも覚悟も戒めも、何もかもが塵同然と化す。性欲の前では、男は獣になるしかない。
現に今の俺の知能は恐らく五歳児並、もしくは猿同然。
今ここに残されたのは単純な性欲と、それに結び付く性愛のみ。
男とは、そういう生き物なのだ。偉い人もそう言ってる。
メッセージで確認した通りの押しの強さからすれば、俺は今夜、間違いなく大人の階段を上ることができる。立派な大人の仲間入りを果たすという確信があった。
さらば我が一生の友。ようこそ新しい自分。
目の前に迫った大人への扉に手を掛けた夏の日。俺は今日という日を今後一生忘れないだろう。記念日に制定してもいいくらいだ。今日からこの日は国民の祝日である。ありがとう、俺。ありがとう、世界。
「あ、あの……」
「はいなんでしょう!」
期待が膨らみ過ぎて自己陶酔に浸っていた俺に声が掛かって振り向くと、そこには──、絶世の美女がいた。
「こ、こんにちは……」
「え、ええと……?」
なぜこんな美人な女性が俺に声を?
美人局ですか、と怪訝に思っていると、女性はおずおずとした様子で声を上げた。
「あ、えっと、その……。ぼ──わ、私です。百瀬、アルカ、です……」
「ふぁっ?! も、百瀬さん?」
百瀬アルカ。
そう名乗った彼女こそ、俺の待ち人である、マッチングアプリでマッチした女性。
丁寧に梳かれた天使の輪すら見えるボブカットの黒髪。想像した以上の美しく整った顔面。深窓の令嬢を思わせる涼し気な装い。それら全てが俺の想像通り、あるいは想像以上。出会う前から俺が勝手に上げたあらゆる希望的観測のハードルを優に越えてくる美女の出現に、俺は振り向いたまま言葉を失う。
二つの意味で。
「な、何か、変……ですか?」
そこにいたのは、確かに俺の想像を遥かに超越した絶世の美女。
こんな人がまさかヤリモク、つまりは体目当てで俺に声を掛けて来るなんてそれこそなんらかの罠なんじゃないかと疑ってしまうような美人。
それに加えて、一つだけ俺の想像とは違う点があって。
「ち、小さい……?」
「え? な、なにか言いましたか?」
「やっ、いや……! なんでもない、なんでもないです!」
小さい。そう、彼女は小さかったのだ。
身長も、胸囲も、何もかもが俺の勝手な想像よりも小さい。
俺よりも頭一つ分ほど小さな彼女、百瀬アルカさん。
分かりやすい目安で言えば琉歌と同じくらいの背丈で、初夏の装いから覗く手足も細く華奢である。琉歌もばっちり化粧をキメればこれくらいになりそう。あの野郎、男のくせに可愛い顔をしやがってからに。
見るからに清楚な彼女がまさか体の関係を希望しているなんて、とそのギャップに脳裏を焼かれた俺の脳は咄嗟に引き出しから清楚ビッチのエロ漫画を取り出し、再インストールを開始する。
うんうん、これもまたわびさびだね。
真面目な委員長とかが快楽堕ちするのも悪くないよね。あんまりかわいそうなのは苦手だけど、ほどほどならむしろウェルカム。それがスパイスとなって本番に続く展開はカタルシスを得ることに繋がるのだから。
俺は勝手に作り上げたアルカさん像を頭から消して、目の前のアルカさん本人へと向き直る。
「よ、よく俺だって分かりましたね」
「え?! ええと、プロフィール写真とか、送られてきた写真ですぐ分かったよ」
この人ごみの中でよく見つけられたな。
集合場所は駅の東口、としか言ってなかったのに。
普通は、「こんな格好してます」とか「早く着いちゃったのでカフェでお茶しています」とか、わいのわいのとやり取りを交わすものである。と言うか、交わしたかった。デートに向けての期待値と言うか、ワクワクと言うか、ムクムクと言うべきか。それを盛大に盛り上げてから臨みたかった。
何しろ俺は、女性に恥をかかさない男。予定の一時間前からここでスタンバってました。記念日へと変わるこのデートが楽しみ過ぎて。
「……?」
おっと、いかん。
うっすらと化粧が乗った顔に朱が差したアルカさんを見て、俺は早々に思考を切り上げる。
俺は女性に恥をかかさない男。女性とプライベートで相対して開く第一声は、容姿や服装を褒めると相場は決まっているのだ。
「に、似合ってますね。とっても綺麗で、美しいです」
「ほ、本当!? えへへ、嬉しいな。ありがとう。天音……君も、かっこいいね」
「そうですか? あはは……」
俺の褒めテクは童貞のそれ。しかしアルカさんは喜んでくれているようで、俺も嬉しい。
そして何よりも、彼女は途轍もなく、可愛い。俺の理想とは大きくかけ離れているが、そんなこと微塵も感じさせないくらいアルカさんは女の子として可愛すぎる。
俯いて上目遣いにチラチラとこちらを見てくるから、なんとなしに服を褒めたら予想以上に喜んでくれたし、なんか初々しいカップルみたいなやり取りを繰り広げてしまっている。
この余りに甘酸っぱい空気に、俺の心は童貞の頃にまで戻りそうである。いや、まだ現時点では童貞(暫定)ではあるのだが。
「えっと、それじゃあ、移動しますか?」
「うん! あ、あのね。ぼ……わ、私、行ってみたいところがあるんだ。あっ、もしかして……、予定とか、組んでた?」
「いえいえ! 予約してたわけじゃないですし、平気ですよ。どこっすか。まずはアルカさんの行きたいところに行きましょうか」
「ありがとう! 嬉しいな……。えへへ」
あ、アルカさん、かわえぇ~!
そんな風におねだりされたら、断れる男いませんって。
なんか普通にデートみたいになってるけど、これはこれでアリっていうか。アルカさんみたいな人と一緒にデートできるとかむしろ役得っていうか。
手とか繋ぎたいなぁ、なんて思いながら並んで歩くアルカさんを横目で眺める。
「ここです、ここ。か、カップル限定の、パフェがあるらしくって……」
小さい手で操作するスマホの画面を見せてくるアルカさん。
琉歌と同じスマホケースだ、なんて思い当たるも、良く悪くも普遍的なものだ。被ることくらいあるだろう。俺はアルカさんの希望を二つ返事で許諾する。
「もちろん。腹ごしらえは大事ですからね。っていうか、俺が彼氏でいいんですか?」
「う、うん。ぼ……私は、天音、君がいいな、って……」
「でへ、でへへ、そうっすか? ──っと、危ないですよ」
「ぅわっ?!」
日曜の駅前は人が多い。
会話に夢中になる体の小さなアルカさんと向こうからやって来る通行人がぶつかりそうになるのが見えて思わず自分の方にアルカさんの肩を抱いて引き寄せたのだが、その衝撃にアルカさんが驚くと同時に、俺は彼女の体の軽さと線の細さに驚きを隠せなかった。
「す、すみません。咄嗟に抱き寄せてしまって」
「い、いえ。僕の方こそ、ありがとう」
「僕……?」
「あ! わ、私の方こそ、ありがとう、ございます!」
力を加えれば簡単に壊れてしまいそうな程に、薄くて、細くて、小さい。それでいて、確かな女性的な丸みを帯びた柔らかな感触。
アルカさんが間違いなく女性であることを認識すると同時に、途端に背筋に電流が流れるみたいに緊張が走る。
その緊張の正体は、なんて真似をしてしまったのだろうかと言う、後悔。
会って間もない女性を力のままに引き寄せたのだ。いくら俺達がこの後に人に言えないくらい触れ合う予定が入っていたとしても、相手の許可なく乱暴に扱うような真似はご法度である。
「ご、ごめんなさい! 勝手に触ったり、して……?」
怖い思いをさせていないだろうか、と慌てて両手を離すが、アルカさんは俺の傍を離れようとはしなかった。
「……いつも優しいのに、強引なのも、いい……。筋肉質……厚い胸板……男の人の、体……」
「あ、アルカさん? 大丈夫ですか?」
「ハッ?! へ、平気だよ! う、うん。た、助けてくれて、ありがとう」
胸元でアルカさんがぶつぶつと呟いていたが、周囲の雑踏と蚊が鳴くような声量で上手く聞き取れなかった。
「顔、赤いですけど、大丈夫ですか? どこかぶつけたり、捻ったりは」
「あ、暑いからかなー? あ、歩きスマホは、危ないよね」
「……っ」
パタパタと手で扇いで誤魔化すように笑うアルカさん。
それだけで彼女が何か隠しているのが伝わってくるのだが、彼女の横顔の愛らしさの前では、そんなことも気にならなくなるくらい見蕩れてしまうのだった。
「着いたね~」
「ものの見事にカップルしかいませんね……?」
「早速、この、か、カップル限定の……パフェを」
「これですか。ラブラブカップル専用【恋のタイフーンはもう誰にも止められないスペシャルパフェ、~あなたの愛のベリーソースをかけて~】って……」
「う、うぅ……!」
言っちゃ悪いが、下ネタにしか思えないメニュー名だ。
なんだこれは、という名前に唖然とする。
だが周りのお客さんは恥ずかしがる様子もなく注文していることから、これは俺の心が汚れてしまっているせいでそう思ってしまうのだろう。
では果たして目の前でパフェの名前を見るだけであうあうと羞恥に悶えるアルカさんは……、
「まさか、むっつりスケベ、なのか……?」
マッチングアプリ利用可能年齢になってすぐに登録するくらいだ。しかも俺と同じで、ヤリモク。
ならばそれくらいスケベであってもおかしくはないのだが、未だに目の前にいる清純の上澄みのような深窓の令嬢すら見劣りするくらい清楚な出で立ちのアルカさんがヤリモクで登録して俺とマッチすること自体、何らかの間違いじゃないのかと勘繰ってしまう。
設定ミスだったりして。
メニュー表に顔を埋めて恥ずかしがるアルカさんを前に、俺は良心と性欲に挟まれながらも現時点では平家が優勢であった。
「や、やっぱり、別のにしない……?」
「ここまで来て何言ってるんですか。注文するときは声を揃えて、っていうのが条件みたいですから、一緒に言いましょう!」
「で、でもでも──」
「あ、すみません。注文いいですか」
「ぴぇっ」
小動物みたいに震える彼女を見ると、少しだけいたずらしたくなる。俺のサディスティックな一面を引き出させるアルカさんに、俺は口元が弛むのを止められなくなる。そんな俺の様子を見て、顔を赤くして抗議の目を向けてくるアルカさん。
ひとつひとつの反応がかわいらしくて、ぼそぼそと消え入りそうな声と共に注文したパフェが届く頃には、俺の心はとっくに彼女に惹かれ始めていた。
「美味しいですか?」
「うん! とっても!」
そんなにパフェが食べたかったのか、目の前で美味しそうに黙々とパフェを頬張るアルカさんは、残り僅かとなった今でも細長いスプーンで掬った小さな一口サイズのパフェを口に運ぶたびに嬉しそうに微笑む。俺も一口貰ったけど、甘くておいしかった。甘いの苦手だけど。
確か、大学終わりに琉歌と焼き肉に行ったときもあいつは最後まで美味しそうに食っていたなと、どうしてか琉歌の顔が頭に浮かぶ。
マッチングアプリを始めたばかりの頃も、琉歌には何度も止められた。
天音にそういうのは向いてないよ、って。
ホテルまで行ったお姉さんの言葉の意味も含めて、アルカさんとこうしてデートっぽいことをしていてやっと分かった。
俺は、すぐに人を好きになってしまう。
会ってまだ二時間も経っていないのに、俺はもうアルカさんのことが好きになってしまっている。それも、少しどころではなく、かなり。
彼女に触れたい、彼女に触れて欲しい。
そして何より、俺は彼女を知りたいし、彼女には俺を知って欲しい。
そう強く願う自分がいるのがよくわかる。
軽薄だと、浮気性だと言われてもいい。
俺は俺に優しくしてくれる人が好きだ。
こんな俺でも一緒に居たいと思ってくれる人が好きなんだ。
だって俺は、童貞だから!
初めてを捧げた相手に全てを捧げたい。
重いと言われたって、しょうがないじゃないか。好きだと言う気持ちが、溢れて止められないのだから。これが愛なんだとすれば、お姉さんも言っていたが、確かに愛とは厄介なものだ。
だからこそ俺は、その全てを捧げる相手こそがアルカさんだと疑う余地もなく信じ切って机に置かれた彼女の手を取る。
「……アルカさん」
「っ!」
「アルカさんは、俺の運命の人だ……!」
「っ?! あ、天音、君?」
俺の顔が、アルカさんの顔が、グラスに最後に残されたいちごみたいに赤く染まっていく。
アルカさん、好きな物は最後に食べる派なんだ。
そんな些細な気付きにさえも幸せを噛み締めて、俺は言葉を繋げる。
「俺、アルカさんになら……。アルカさんとなら──!」
「あ、ああああ、天音!?!? こ、ここは、ホラ、人目があるから! ね、ね? い、移動しよ! お願いだから! これ以上は恥ずかしくて、死んじゃうよ……」
アルカさんは俺の表情から何を読み取ったのか、残っていたパフェをかき込んだ後に俺の手を引いて外へと飛び出して行く。
連れ出された俺は、たった今、自分でも何を口走ろうとしていたのか分からなくなって店の外で立ち尽くす。
蒸発した理性と蓄えられた思考力は一体、俺の体に何をさせようとしていたのか。
会計を終えて出てきたアルカさんに、俺は執拗なまでに頭を下げた。
「アルカさんに迷惑をかけた上に、お会計まで任せてしまって……! 幾らでしたか?! は、払います!」
「いや、いいよ。それにパフェは私がほとんど一人で食べちゃったし」
「それでも──」
「それでもって言うなら……ま、また、一緒に遊んでくれる?」
「も、もちろんです! 俺の方からお願いしたいくらいでした……って、次も?」
アルカさんは俺が食い下がるのを見越したかのように次回の約束をとりつける。
大学で琉歌と再会してからというもの、あいつともこんなやり取りを何度もしてきた。払える方が払って、じゃあ次はこっちが払うね、と言って次の約束を結ぶのだ。
お互いの信頼関係があるからこそ取りはぐれることのない約束。信じているからこそ、互いにもたれかかることのない距離感。
離れていた時間がどれだけ長くとも、幼い頃に結んだ信頼関係はいまだ健在というわけだった。
琉歌とそんな関係を築いているからといって、断じて俺がこの流れを作りたかったわけではない。
もちろんアルカさんとはまた遊びたいと思っているし、これから先長い付き合いにしたいとも思っていた。それでも、いつも琉歌と交わし慣れているから平然と流しかけた流れを、俺は慌てて手繰り寄せる。
「つ、次も、会っていただけるんですか?」
「天音、君が嫌じゃ無ければ……と思ったんだけど」
「嫌じゃないです、全然嫌じゃないです! むしろこっちからお願いしたいくらいで! 最高です。お願いします」
信頼関係なんて、これから築けばいい。
アルカさんに一声呼ばれれば、俺は例え地の果てだろうと、火の中水の中土の中スだろうと、スカートの中なら尚のこと駆け付ける自信がある。
パフェを食べ終えて腹ごしらえを終えた二人の間に漂う、一瞬の静寂。
俺はこの機会を逃すべからずと、満を持して声を絞りだす。
「それで、その……。こ、この後……ど、どうします?」
極度の緊張のせいで声が震える。
この大一番で緊張してしまうのは童貞の証だろう。それでも、言葉を振り絞った。
今日の最大の目的にして俺の一世一代の夢である脱童貞へと繋がる鍵となる言葉を、俺は遥かなる期待を込めて口に出す。
ホテルへの誘い。
がっつき過ぎず、けれども下手に出過ぎず。年齢イコール彼女無し歴の俺にとって、この瞬間は最も緊張すべきもので。
勇気を引き千切れんばかりに振り絞った俺に対して、アルカさんは平然と、そして期待に膨らんだ声で答えを口にするのだった。
「この後? うーん、そうだね。ゲームセンターでも行く?」
返って来たのは、まだまだ二人の時間を楽しもうと提案するアルカさんの無邪気な声。
そんな彼女の期待を無碍に出来るはずもなく、俺は自分の激しい衝動なんかよりもアルカさんの要望を叶えるべく、行動に移る。
我が情欲の一切を投げ捨て、気持ちを切り替える。すまない全国の諸君。記念日制定はまた次の機会になりそうだ。
「──ゲーセンですね! よし行きましょう。さあ行きましょう! 俺、ゲーム上手いんですよ?」
一世一代の夢への懸け橋となるはずだった俺の勇気を振り絞った言葉は、可愛らしく悩む素振りを見せて首を傾げた純粋なアルカさんの返答によって可能性は潰えた。
その時点で俺は自分の欲望を押さえ込むことを決めて切り替え──いや、吹っ切っれたように俺はスマホで近くのゲーセンを検索しながらアルカさんの前を歩いていく。
これで、これで良かったんだ。
泣いてなんかいない。ただちょっと、目の前の景色が潤んで見えるだけだ。
「アルカさんはどのゲームが気になり……ます?」
音ゲー、格ゲー、メダルにシューティング。ゲームセンターにあるものなら大抵なんでもござれな俺は自信をもってアルカさんに尋ねようと振り向いた、その瞬間だった。
「……えっ?! あ、いや……その。……い、今のって、そういうこと、だよね……?」
俺の目に映ったのは、遅れて俺の言葉の真意に気付いた様子で顔を真っ赤にさせながら手をわたわたさせるアルカさんの姿。
最終的には顔全体を両手で覆い、指の間からガラス球のような大きな瞳を覗かせることで落ち着いたようだが、真っ赤になった耳や首元までは隠せていない。
「ぼく、わ、私……その、こういうの、初めて、だから……。ええと」
彼女の忙しなく動かす視線が、前を歩く俺の全身を這っているのがよく分かる。
瞬間、俺は悟った。
──俺は、この人と添い遂げるために生まれてきたんだ、と。
例えアルカさんが間違えてマッチングアプリに登録したのだとしても、体の繋がりが目的じゃなくたっていい。俺は、アルカさんと幸せになります。ありがとう、みんな。
俺の童貞だとか、そんなのはもう関係無い。アルカさんとは適切な距離で、適切な手順を踏み、適切な時間を経るべきだ。
俺の初めてが記念日であるように、アルカさんにとっても良い体験であってほしい。
そうだと言うのに、こんなにも可愛い人に、俺は何を言わせるのか。何を言わせようとしているのか。
これより紡がれるであろう彼女の言葉をひったくるようにして、俺は言葉を継いだ。
「分かっています。……アルカさんがそれを望まないということを」
「うん、行こ……う? ふぇ? え?」
「マッチングアプリ、初めてだったんですよね? 分かります。分かっています。だから体の関係を求めているような俺のような人とマッチしてしまった……。そうなんですよね?」
「え、えっと、その……」
「皆まで言わなくても大丈夫です。俺はアルカさんには絶対に手を出しません。信じて欲しい」
「え? あ、えぇ……?」
「俺は、あなたと出会って、恋に落ちた……。真実の愛に目覚めた。出会って間もないような俺に言われても意味が分からないと思います。でも俺は、あなたと会ってからの数時間で、あなたにどうしようもなく心惹かれているんです。……百瀬アルカさん。どうか俺と、正式にお付き合いしてもらえませんか」
上半身が地面と平行になるくらいまで頭を下げる。
初めから薄々というか、はっきりと。彼女を一目見た時点で有り得ないだろうとは思っていた。良くない思考、美人局の可能性だって危惧した。
だって、そうだろう。アルカさんのような夏の小川の清流が如き清純さの塊のような人がヤリモクでマッチするなんてこと、普通に考えてあるはずがない。人に話したところで、童貞の妄想乙、と言われるのがオチだろう。
つまりは、俺とマッチしたのはただの間違い。
間違いだったとしても、いいや、逆に間違いだからこそ、こうして俺とアルカさんが会えたことは奇跡に他ならない。間違いであったとしても、俺は自分の逸る気持ちを抑えきれずに一縷の望みに賭けていたのだが、こうして振り向いた先で見えた彼女の反応一つで、全ては俺の考えが確信に至った。
その上で俺は彼女との関係をこれから先も続けたいと心の底から思えたからこそ、お付き合いの申し出を口にした。否、そうするべきだと、判断したのであった。
「ほ、ほて、ホテル……行く?」
「いえっ! アルカさんに無理はさせません! アルカさんの気持ちが整うまで、俺は待ちます。いつまでも待てますし、アルカさんのどんな要求にでも応えます。重いと感じるようでしたら、他の方法も考えます! だからどうか、俺とお付き合いをしてくれませんか!」
「か、かかか、顔っ! 顔、上げて!?」
いつの間にか、俺は道の往来で土下座する形にまで発展していた。
これは俺の意図した行動ではなく、心の奥底から溢れ出る彼女への本能がそうさせたと言わざる得ないほどに本能的な行動であった。
もちろん、すぐに立ち上がる。彼女を困らせたいわけではないから。
「その、気持ちは嬉しいけど……、あ、天音、君には、他に好きな人とか居ないの?」
「居ません! たった今から、アルカさん一筋です!!」
「ええと、ほら、例えば、身近な女子、とか……?」
「浮気の心配なら無用です! 俺には女友達が居ませんから!」
「いや、ほら、その、幼馴染とか……」
「あれ? 幼馴染が居るって、言いましたっけ?」
「い、いや、居そうだな、って思って……。もしかしたら、ね? ほ、ほら、どうなの?」
「幼馴染は居ますけど……」
「居るんだ! ね、ほら、その子とは、どう?」
「どう、とは?」
「えっと、どう思ってるか、とか……?」
「あぁ、あいつは、無いですね」
「無いのッ?!?!」
「はい」
「ど、どうして? 何が嫌なの? どこが駄目なの? 天音、君の好みじゃないの? 折角会えた幼馴染なのに?」
思ったよりも幼馴染の話題に食いつくな。そんなに気になるだろうか?
だが安心してくれていいですよ。俺、好きになったら一途なんで。
不安そうなアルカさんに、俺は頬をかきながら答える。
「いや、なんて言うか」
「な、なんて言うか……?!」
「俺の幼馴染、男ですし」
「……はぁ?」
何度でも言おう。琉歌は、男だ。
あんなに可愛い顔をしていたとしても、近付くとなんか良い匂いがしても、線が細くて声が可愛くても。手が小っちゃくて笑顔が綺麗だとしても──
琉歌は、あいつは、男なのだ。
大学が始まって間もないとは言え、たまに男色家に告白されているのを見る。うちの大学、同性愛者が多くて驚いたが、最近はそう言うものなんだろうと受け入れている。だが、あいつはすべて断っているし、あいつもノンケなのだろう。
だからまかり間違っても、俺が琉歌相手に可能性を感じることは一生無い。
「う、うううう……!」
「アルカさん? どうかしましたか?」
「な、なんでもない。なんでもない、けどぉ……!!」
頭を抱えた猫みたいに悶絶する様子のアルカさん。まるで脳が破壊されたみたいな反応だ。寝取られ本を呼んだ時の俺と同じ反応である。アレは辛かった。
それ程までに琉歌の話は聞きたくなかったのか。
どちらかと言うと、アルカさんの方から聞いて来たような気もするが、細かいことは気にしない。
「……とりあえず、ゲーセン行きます?」
「……うん。行く」
お付き合いの話も琉歌の話も一旦流してから、俺たちは近くのゲームセンターで財布と時間が許す限り遊ぶのだった。
◇
「──いやあ、楽しかったね!」
「白熱しましたねー」
中高生のカップルよろしく、日が落ちれば解散の流れになった俺たちは戻って来た駅前で向かい合う。
どちらからともなく交差した視線が赤みを帯びているように思えるのは、きっと夕焼けのせいだろう。
「その……お付き合いする、って話、なんだけど」
「はい!」
その中で最初に口火を切ったのは、アルカさん。
ゲームセンターのユーフォ―キャッチャーにて大量に獲得した景品を両手に抱えたアルカさんは、照れて恥ずかしがる様子で口ごもる。
ゲーセンに行くまではそれこそ微妙な空気だったものの、建物いっぱいに電子音が広がる空間では半ば強制的にテンションを上げざるを得ず、俺たちはまるで長年連れ添った幼馴染みたいに遊び散らかした。
アルカさんのゲームの腕前は、それこそ琉歌と同じくらいで白熱は必至であり、お互いに高スコアを出し続けるバトルは楽しかったの一言に尽きる。
お互いに笑顔を湛えた後の別れの時。
色好い返事であることを期待して、俺は背筋を伸ばして彼女の前に立って答えを待った。
「ぼ──わ、私、まだ恋するとか、分かんなくて。だから、お、おち、お友達から……お願い、します……?」
「俺の初恋はアルカさんです、はい! よろしくお願いします!」
何故に疑問形なのかと思わなくもないが、俺はインコのように首を縦に振る。
アルカさんのような美人を前に首を横に振る男がいるなら、それこそ馬鹿で愚かで不能ちんぽ野郎だろう。
「良ければ連絡先、交換しませんか?」
「ええと……LINE、は、やってなくって」
「ッ! そ、そうですか……」
──LINEやってないんですよ~。
これはマッチングアプリをやる上で、というより男女の関係においては脈無しどころか拒絶の意を表す言葉であることを知っている俺は、あからさまに肩を落とす。
アルカさんに限ってそうとは思えないが、困ったような眉の形が俺に最悪のパターンを想起させる。
何が悪かったのか、何を間違えたのか。俺は即座に頭の中で反省会を開く。
格ゲーの接待プレイが嫌だと言ったアルカさんを徹底的に投げハメを食らわせたことくらいしか思いつかない。
反省会の時間はわずか一秒にも満たない間に、俺はこれまでの楽しい時間が全て水で流されていくような、全身から熱が引いていくような感覚を味わっていると、アルカさんは咄嗟に俺の受け取った意味を否定するように腕を激しく振って答えた。
「あ、あの! ち、違くて!」
「違う……?」
「そう言う、意味じゃなくて……。ほ、本当に、LINEをやってないんです! だ、だから! 次までに、アカウント、作っておきます。だ、だから、その……次に会えるの、楽しみにして、ます……」
女神はここにいた──。
脈が無かった訳でも、嫌われていた訳でもなかったらしい。
俺は天を仰いでアルカさんの女神っぷりに感激の涙を滂沱の如く垂れ流す。
そうだ、水で流されようとも強風に吹かれようとも、アルカさんへの恋心は決して消えることなく俺の胸に宿り続けている。彼女の一言で、俺の恋心はたちまちバーニングである。
慌てて涙を拭い満面の笑みで別れを告げる。
「お、俺も! またアルカさんに会えるの楽しみにしてます!」
「またアプリの方で連絡します、ね」
控えめに笑うアルカさんの一挙手一投足に見蕩れながら、彼女と別れる。
彼女とまた会う日を心待ちにしながら。
「はい! また、会いましょう!」




