真実の夢と嘘みたいな現実と
◇
「……うぅん」
目を擦って起き上がると、夢から覚めたような気分がどっしりと両肩に圧し掛かる。
どんな夢だったかはっきりとは覚えていないけれど、なんだかドキドキする夢だったような気がする。
ジャンルで言えば、淫夢だ。この前天音から渡された漫画が、服とは思えないコスチュームの女性が夢に入り込む漫画だったからそれに強く影響されたのだろうか。
けど、なんで今更。
なんてことを考えながらぼんやりしていると、後頭部にズキズキと感じた。
頭を擦ると後頭部が少し腫れているのが分かるけど、気にする程じゃなかった。
「ええと、確か……」
「起きたか」
「天音?」
「まずは、服着ろよな」
「え? ……うぇッ?!」
夢現の状態で記憶を浚っていると、ソファの向こうから声が聞こえてきた。
こちらに背を向けて一瞥もしない天音に対して、おはようのキスを催促しているわけじゃないんだからこっちを見てくれてもいいじゃんか、と自分本位な不満を抱いたのも束の間。続く天音の言葉に僕はベッドの上で寛いでいた自分の姿を見下ろして慌てふためいた。
シーツ一枚めくった下には、一糸纏わぬ生まれたままの姿があって。
隣のベッドには天音が居るということもあって僕は慌てて頭まですっぽりとシーツを被る。
これはあれか。情事の後。天音の腕枕で寛ぐという僕の夢だった瞬間が念願叶ったのだろうか。
そう舞い上がったのも、束の間。
記憶に残る夢だと思い込んでいた光景が全て夢ではなかったことを思い出す。
むしろ、天音が寝間着姿で隣のベッドに居る時点で僕の夢は夢のままだという事実に涙を禁じ得ない。
そして、酔っていたとは言え、自分があんなにも酒乱だったなんて、と自覚するやいなや、たちまち肩に力が入り、鏡を見ずとも自分の顔が真っ赤に染まっていくのが分かる。
「……見た?」
「お前が見ろって言ったんだろ……。いや、悪い。そういう意味じゃなくて、だな……」
完全に思い出した今、天音の言っていることはすべて正しい。
僕は、天音に見せたくて見せた。他でもない天音に見て欲しかったから、見せたんだ。
……思い返すと、やっていることはまんま痴女じゃないか。
背を向けたまま顔を合わせようともしてくれない天音を見て、もしかしたら嫌われたかもしれないと恐怖に包まれながらベッドから這い出て、荷物から着替えを引っ張り出す。
着替え、盗み見てもいいんだよ。なんて悪戯心が囁くけれど、痴女行為をした僕の心中は自己嫌悪に染まるばかりで、口にする余裕なんてなかった。
さっさと着替え終えて、ようやく天音と目が合うようになる──なんて考えるお気楽な自分の頭を叩いてやりたい。
お互いにベッドの縁に腰掛ける。
互いの膝が触れてしまいそうな距離なのに、その数センチが途方もなく遠く感じてしまう。
なぜなら、天音と、目が合わないから。
──天音に嫌われた。
その事実にひたすらに打ちひしがれる僕を慰めてくれる人は、ここにはいないようだった。
重苦しい空気の中、先に口を開いたのは天音の方で。
「……琉歌。お前、女、だったんだな」
「うん……そうだよ、そうなんだよ。……ずっと騙してて、ごめんなさい」
幼少の頃からずっと、僕は天音と一緒にいたいがために嘘をつき続けてきた。
だから、誠心誠意心を込めて謝罪する。
天音が僕に対して全幅の信頼を寄せてくれていることを知っているからこそ、その気持ちを裏切り続けてきたことを、何よりもまず謝るべきだから。
けれども、僕の謝罪に対して天音が次に何を言うのか分かってしまう僕には、僕自身の謝罪が意味を成すとは到底思えない。何せ、天音が次にいう言葉は──
「いや、琉歌は悪くない」
僕を守る言葉だから。
それが却って僕の胸を締め付ける。二つの意味で。
「……俺が、琉歌に嘘をつかせていたんだろ。そんなこと、考えれば何となく想像がつく。だからむしろ、琉歌の尊厳を傷つけるような真似をしてしまった……させていた俺の方こそ、琉歌に謝るべきなんだ。今まで、本当にごめん」
「あ、頭を上げてよ、天音。僕はそんなつもりじゃなくて……。ただ、自分のために、やったことだから……」
「言わなくていい。深く詮索するつもりはないから。それで、俺たちのことなんだが」
やっぱり、天音は優しい。
僕の代わりに頭を下げているような天音の姿を見て、叶うのなら、これから先もその優しさを僕だけに向けて欲しいという小さな独占欲が顔を出す。
それに見て見ぬ振りをしながら僕は、天音の紡ぐ言葉を遮る。
「待って。もう一つ、天音に隠してることがあるの」
「この際だ。なんでも聞くよ。いや、聞かせてくれ」
もう一つの隠し事。
それは天音の優しさに甘えてこのまま黙っていることも出来たけど、こんなにも真摯な天音に、僕はこれ以上の隠し事はしたくなかった。だからこそ、天音が傷付くと分かっていながら、最後の隠し事を打ち明ける。
「……この前、天音とデートした人、いるでしょ」
「あぁ、俺の運命の人だな。百瀬アルカさん」
「あれ、僕なんだ」
「……」
僕の暴露に、天音の動きが一瞬止まる。完全に脳がオーバーフローした顔だ。
嘘つけ、と冗談に留まらせようとしないのは、天音も頭のどこかで『百瀬アルカ』に僕を重ねていたからだろうか。それを確かめる勇気はないけれど。
そんな「冗談でした」では済まされないような雰囲気に飲まれ、僕の手が思わず止まりそうになるが、打ち明けると覚悟を決めた僕は心を鬼にして決定的証拠を天音に提示した。
「ほら。これが、証拠のプロフィール」
「──ッ?!」
瞬間、天音は猫みたいな反応速度で自分のスマホを取り出し、何やら操作を始める。何をしているんだろう、と覗き込む間もなく、次の瞬間に僕のスマホが震えた。
液晶に映るのは、『本当に琉歌なのか?』と書かれた文字列。
僕はそれに返信する訳でもなく、ただ、そのメッセージの画面を天音に突き付ける。
「偽物じゃないよ。本物。あの日君が取ってくれたぬいぐるみは家にあるもん」
「う、うぁ、あああ……ッ!!」
やっと言えた。ずっと喉につかえていた小骨が取れたみたいな感覚。
百瀬アルカは僕にとって天敵だったからね。これで思う存分、天音は僕を見てくれるはず。
……だからってそんなに、驚いて取り乱さなくてもいいのに。なんて思いながら、スマホの画面を消してから慌てふためく天音を眺める。
これで今度こそ、真正面から天音のことを落としにかかれる。そう意気込んで立ち上がろうとして、
「お、俺は、俺はまさか……琉歌に、告白してたのか!?」
「え?」
「え」
「……えっ?」
僕は動きを止める。止めざるを得なかった。
突如として天音の口から吐かれた言葉に、戸惑いを隠せなかったから。
天音が。いつ。僕に。告白をした?
そんなとびきりのイベントを僕が見逃すはずが……とまで考えて、はたと思い当たる記憶が一つ。それは、僕が百瀬アルカとして天音とデートした日のことだ。
天音のあの告白は、百瀬アルカへのもの。
男だと思っていた僕だとは考えるはずもなく、僕も百瀬アルカという存在に嫉妬していた。だからこそ今まで気付かなかったんだ。
あの告白は、女としての僕に天音が惚れてくれたから起こったものなんだ、ということに。
それを自覚した途端、体中に血が巡る感覚と共に全身の汗腺が開くような感覚に襲われ、僕はたまらずぐるぐると目を回す。言葉を紡ごうにも、余りにも興奮した頭じゃ呂律がうまく回らなくて。
「……あ、あ、あ」
「お、おおお、おちおち、落ち着け、落ち着くんだ、琉歌」
「あ、あああ、天音の方こそ、おちおち、落ち着いた方がいいんじゃない、かな?」
「ここはそうだな……もう、寝よう。寝た方がいい」
「う、うん。そうだね、そうしよう。今日はもう、このことは考えないようにしよ」
「そうだな。寝て起きて、冷静になってからまた話そう。それじゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
二人してバタバタと慌てる様は、きっと傍から見たら滑稽に映ったことだろう。
けれど、いつまでも慌てていたって問題の解決にはならない。
お互いに今のこの状況でこの件には触れてはいけないと理解したからか、問題の先送りを了承して揃ってベッドに入った。
かと言って、ギンギンに冴えた目がすぐに睡眠に向かってくれるはずもなく、僕は頭まで布団を被ってむむむ、と唸るばかり。
「……天音に、好きって言われたなら」
考えないようにしよう、との決まりも破って頭に浮かべるのは、真摯な態度で告白された、あの日の光景。
今までは百瀬アルカという存在しない女性に嫉妬を繰り返していたから、言わば黒歴史のようなものだった。
けれども、女としての僕に天音が惚れてくれたんだと考えてみれば、これほど幸せなことはない。
なにせあの時の告白は、僕が僕のままでいれば、天音に好きになってもらえるということの証なのだから。
……となると、これから先。というか明日以降。僕と天音の関係はどんどん進んでいくんじゃないかな。
「告白されて、デートもして、その次は……」
これだけお膳立てされれば妄想も捗るというもの。
とは言え、あの時の告白をカウントするのは味気ないというか、卑怯というか。
できることなら、もう一度。
そう思うのは、欲張りだろうか。だけど僕は、欲張りなんだ。
天音の全部が欲しい。
今夜の出来事を経て、より強くそう思えるようになったと言うか。
今度は百瀬アルカとしてではなく、千崎琉歌として、告白してほしい。
いや、そこまで贅沢は言わないまでも、好きだ、と言ってもらいたいし、これまでの分も含めて、好きだ、と言いたい。
僕と天音の間に引かれていた一線を越えたせいか、これまで秘めていた想いが溢れ返って仕方がない。妄想が、止まらない。
何せ、僕の記憶には天音の……、天音のアレもばっちり記録されているんだから。
「…………こ、これくらい、あったよね?」
天音が僕の裸を見たのと同じで、僕も天音の裸を見た。如何に痴女行為として非難されるべきでも、その事実は消えない。
僕の記憶からも、消えない。
天音の逞しい腕。厚い胸板。艶めかしい腹筋。そして、入りきらないようなスケールの男根。思い返すだけで鼻血が噴き出そうになるけど、興奮し切った頭は、記憶を呼び起こすのをやめてくれない。
こんな僕のことを、天音ははしたない、と嫌いになるだろうか。
そんなリスクを抱えているとしても、僕はこの妄想を止められなかった。
止めたく、なかった。
「んふふ。天音ぇ……」
結局その日、ベッドでモゾモゾするのを繰り返していた僕が眠りについたのは、昨日に続いて空が明るくなってきてからのことだった。




