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幼馴染みは負けないヒロイン

 


「ふぅ……。いいお湯だった~」


 ちょっとだけ長風呂をして火照った肌を、夜風に当たって冷ます。


 貸し切った作業部屋こと大広間にて、サークル揃って少し早めの夕飯を食べた後、漫画班は夜十時まで作業を続けていた。昼から休憩を挟んでいるとは言え、十時間ぶっ通しだ。僕も、すっかり着替え終わったコスプレ班と共に片付けやら身の回りの手伝いとかで駆り出され、掲げていた目標に到達した時点で解散したのであった。

 もしも目標に到達していなければ、今もまだ続いていたのかと思うと震え上がりそうになる。同人誌作成って、そう甘いものじゃないんだと。

 震え上がる僕に反して、目標を達成したお陰で無理して徹夜をする必要は無くなった、と亜里沙先輩が飛び跳ねて喜んでいたのは記憶に新しい。


 問題は、その後で起こった。


『風呂どうする? 先に入るか?』


 部屋に戻っての開口一番。僕の頭からすっかり抜け落ちていたお風呂問題に直面せざるを得なかったのだ。


 当然、同じ部屋に泊まるとなれば部屋のお風呂を使わなければならない。しかも温泉付きの高級宿である。使わない方がおかしいというもの。

 しかし、問題は天音と同じ部屋かつ、同じお風呂に入れるのかという問題だ。

 扉一枚挟んだ向こう側に好きな男性がいる状況でお風呂に入るだなんて、今の僕にまともな思考が出来る自信がなかった。


「貸切風呂、最高だったなぁ……」


 お陰で僕はお風呂で悶々とした気持ちを発散させて来なければならなかった。

 ピンク色に染まった頭で導き出したのは、宿のサービスにある予約制の貸切風呂。

 言うなれば家族風呂というやつなのだが、僕はそこに一人で飛び込んで来た。

 折角の温泉だから、とかなんとか言い訳をしたのを怪訝に思われていないといいんだけど。


「──」

「うん? この、声は……?」


 お風呂からの帰り道、部屋から漏れる声に僕は耳を澄ます。この声は、龍丘さんか。部屋の扉が半分開いているため、会話が筒抜けだ。

 知らない人なら素通りするのが常だけど、顔見知りなら注意くらいはしておきたいと思い扉に近寄ると、漏れ聞こえる会話の中身に吸い寄せられるようにして扉に耳を張り付けた。




「──俺の分だけでも受け取れ。それが道理ってもんだ」

「だからいらないって言ってるじゃないか。どうしてそうも雅は私と対等でいたがるのかな。お金の心配なら無用だと何度言ったら分かるんだい? 気持ち良く奢らせてくれよ」

「対等でいたい理由? そんなの、そんなの決まっている。……お前のことが、好(・)き(・)だ(・)か(・)ら(・)だ(・)」

「は…………? は、はぁああああああ?! ……ハッ! 急に何を言うかと思えば……。私と雅は、そういうんじゃないだろ。ただの幼馴染。そうだろう? そのはずだろ? だから部屋を一緒にした。一緒になっても問題無いと思った。それとも何か、朱理君の言っていたジンクス、とやらにあやかろうとでも言うのかい?」

「それも、そうかもしれない。ジンクスみたいな目に見えないものに頼っちまうくらい、俺は自分の気持ちをお前に伝えるのが怖かった。だけど、ジンクスに踊らされているわけじゃない。ここに来て初めてお前を好きになったんでもない。ずっと前から……。お前と初めて会った幼稚園の頃から、ずっと。亜里沙、お前のことが好きだった」

「っ……。どうして、今それを言うのかな。私たちは今、大事な原稿作業の真っ只中のはずだろ? この告白で私の調子が狂うとか、考えなかったのかい? 仮にも、編集者である雅が。私の気持ちを無視してくれるなんて、随分と勝手じゃないかい?」

「だから、答えは今じゃなくていい。いつでもいい。亜里沙の気が向いた時に、思い出してくれればいい。答えが出るまで俺は、お前のことを好きで居続けるから。それこそ、勝手にな」

「それなら、全て終わってからでも良かっただろう! 余計なことを吹き込まれて筆が鈍ったらどうしてくれるんだ!!?」

「余計なこと……、か」

「……そ、それは、あ、あくまでも言葉の綾として、だ。雅の気持ちは──。オホン、それはともかく、どうして今なんだい? 雅は、君はてっきり、茉莉(まり)のことが好きなんだと思っていたのだけれど……」

「マリ姉を? 流石に冗談でしょ。俺が、どれだけ亜里沙と一緒に居ると思ってんだ」

「これだけ一緒に居たからこそ分かるんだろう。これまで、君から私に対する好意を感じるような素振りなんて、何一つなかったじゃないか! それこそ、告白なんて今日が初めてだ! だから、だからずっと、私は……」

「ずっと一緒に居た! そうでもなきゃ、亜里沙のことなんてとっくに愛想尽かしてた! 好きじゃなきゃ、大学まで追いかけるわけ、無いだろう……。今まで好きだって言えなかったのは、俺がそれだけヘタレだった、ってだけだ」

「愛想尽かしてた、だって? それが告白する相手に言う言葉かい?」

「……俺は、もう今年で卒業だ。就活もあるし、卒論もある。これまでみたいに四六時中一緒に居られなくなる。これから、ずっとそうかもしれない。……もしかしたら、この夏合宿が亜里沙と過ごす最後のイベントかもしれない。俺はそこまで追い詰められた上に、ジンクスに背中を押されないと告白できないヘタレ野郎だ」

「……これまで、ずっと一緒に居たじゃないか。今更になって、もう会うことはない、だなんて──」

「本当に言い切れるか?」

「……」

「確かに、そんなことは無いかもしれない。でも、八尋と千崎が居るだろ。あいつらは、幼馴染だけど、空白期間がある。八年もだ。八年もの間、あいつらは離れていた。大学で再会できたのは奇跡と言ってもいい。……その奇跡が、同じ幼馴染でも俺たちに起こるとは限らない。日々の忙しさに忙殺されて、連絡の一つすら取れなくなるかもしれない。そのままふと思い返す時間さえ残らなければ、俺たちは今後一生、ただの幼馴染のままだ」

「私は、そんなこと……」

「普段でさえも二日後に連絡を返すお前が、こまめに出来るのか?」

「むむ……」

「だから、な。俺はこのままお前と幼馴染のままでいるのは、嫌だったんだ。幼馴染としての関係に甘えてるんじゃなくて、一歩踏み込んだところで、これからも亜里沙と一緒に居たいと、そう思ったんだ」

「……」

「八尋と千崎のことも、ジンクスのことも、結局は全部、後付けに過ぎない。俺の本心はただ一つ。亜里沙が好きだ。一人の女性として、俺はお前に本気で恋をしてるということ。ただ、それだけだ。それだけを、伝えたかったんだ」

「………………」




 ……僕は今、もしかしたら、とんでもない場面に出くわしているのではないだろうか。




「……」


 すっかり乾いた喉に、唾が張り付く。

 龍丘さんから亜里沙さんへの愛の告白。その一部始終を、僕は耳にしてしまった。


 途中からこうして聞き耳を立てていることに罪悪感を抱かずにはいられなかったのだけれど、それを上回るほどに強く惹かれる内容に、僕はその場から動けずにいた。


 本当なら聞かない方が二人のためだし、人として見て見ぬ振りをするべきだというのは理解していたけれども、僕の足は縫い留められたみたいに一歩も動こうとしなかった。


 僕の足を引き留めたのは、龍丘さんが思いの外臆病だったからというわけではなく、今のままずるずると幼馴染という関係を続けたいわけではないという龍丘さんが告白に至った想いが僕と同じに思えたからだ。


 幸運にもその間、誰もこの廊下を通らなかったことは救いだった。


「──なんて、急に言われても戸惑うばかりだろう。先にも言ったけど、答えはいつでも良い。こちとら初恋十年戦士だ。我慢強さには自信があるつもりだ。……ただ、卒業までには聞かせてくれよ。イエスでも、ノーでもいいから。亜里沙の気持ちってやつを」

「答えに悩むまでもないさ。私の答えはイエスでもノーでも無いからね。……今の告白は聞かなかったことにするから、このまま、今までのように幼馴染を続けて──」

「亜里沙ならそう言うと思ったよ。でもな、俺が聞きたいのはそんな答えじゃない。亜里沙が今のままでいたいのは、俺だって分かってる。心地いいもんな、今の環境は。だけど、今のままでいられるのは長くてもあと半年が限度だ。そこから先は、否が応でも変わらなくちゃいけない。俺も、お前も。そうして変わってでも俺は、これから先も、お前と一緒にいたいと思ったんだ。そんな俺の想いを、無かったことにはしないでくれ。考えるのを止めるんじゃなくて、考えて欲しい。俺との、幼馴染みの弟みたいな俺との未来を、さ。……その上で駄目なら、俺も納得して次に行ける」

「……この告白の答えは、イエスか、ノーか。その二つしか、ないのか。だから雅は、私と対等でいたいと常日頃から言っていたんだね。そんなことにも、私は気が付かないで……」

「気付かれてたまるか。俺が死ぬ気でひた隠して来た想いだぞ。……でも今は、一人で考えて気持ちに整理つけたいだろ。……小一時間外で時間潰してくる」

「──ッ?!」


 立ち上がって動き始めた龍丘さんの足音に、僕は全身を硬直させる。


 人間、本当にパニックに陥った時には身動きの一つも取れなくなるのが分かったところで、僕に取れる選択肢は何一つ無くて。


 開けた廊下には人一人を隠すような物陰など存在しておらず、近付いてくる足音にパニックになりながら慌てふためく僕が取った行動は、愚かにも扉の横で背を向けて小さくなることだった。


「……」


 中途半端に開いていた扉が開く音が聞こえた。一拍遅れて、扉が閉まる音。オートロックがかかる音。


 流れるような動作の中に空いた一拍にさえ疑問を生じさせる余裕のない僕は、次の瞬間。背中に掛かる声に肩を跳ねさせる。

 せめて叫び声を上げなかったのは自分で自分をほめてあげたいくらいだ。


「……おい」

「は、はひぃ……」

「盗み聞きとは、良い趣味してるな」


 しかし、猛り狂う龍の瞳からは、逃れられるはずもなくて。

 だけども恐ろしいばかりのそれは、深い溜め息と共に閉ざされた瞼が再度開かれた時には既に落ち着き払った眼差しに戻っていて。

 僕は咄嗟に謝罪の言葉を口にする。


「ご、ごめんなさい。たまたま通り掛かったら聞こえてきて……」

「お前ならまだ言い触らす心配は無いから、いいか。いや、良くないが」


 少しだけ悩む素振りを見せた後にそれだけ言うと、龍丘さんは去って行く。

 その背になんて声を掛けるべきか見つからないまま、呼び止めようと声を掛けてしまう。


「あ、あの──」

「お前も、後悔しないようにな」


 後ろ手に手を振って去り行く龍丘さんは、僕の気遣いは不要だとばかりにそれだけ言って、角を曲がっていった。


「後悔……」


 龍丘さんと仲の良い天音なら、なんて声を掛けただろう。なんて声を掛けられただろう。そんなことが頭の中で絶えずグルグルしている。

 すっかり体の火照りが冷めた僕は、部屋に帰る途中で龍丘さんの告白の一部を思い返す。


「幼馴染としての関係に甘えてる、か……」


 実際に僕は、僕を認めてくれている天音に甘えているだけかもしれない。果たして僕は、天音を甘えさせてあげられているだろうか。天音は、こんな僕に甘えてくれているのだろうか。


 即答出来ない時点で、僕は天音のことを本当の意味で理解できていないのかもしれない。

 現状を顧みるに、それは逆も然りであるのは一目瞭然。


 ……もしだ。もしも弟が言っていたように、天音の欲求を全て叶えてくれる女性が目の前に現れたら、天音はきっと、その女性に靡いてしまうかもしれない。いや、断言できる。天音は確実に、靡く。


 彼を僕の元に留めておく楔は、存在しない。僕では、それを止めらないし止める権利もない。

 何故なら僕は、天音に男だと思われているから。そう、思わせているから。


 事ここに至ってようやく、自分はまだ恋愛のスタートラインにすら立てていないことに思い至った。今までで天音に最も迫ることができたのは、『百瀬アルカ』としての自分。つまりは、偽物である。

 千崎琉歌としての僕は、天音に意識させるどころか、天音の意識に入り込めてすらいない。恋愛と言うスコープの内側にすら、入っていなかったのだ。そう思うと、僕の行動はただただ空回りをしていただけになる。いや、空回りならまだしも、ただの虚しい一人芝居だったかもしれない。


 そんな姿は、全てを知る弟から見ればそれこそ、馬鹿げているとしか言えないだろう。

 弟よ、言ってることは正しかったよ。あと、こんなになるまで気付かない愚かな姉に、もうちょっとはっきりと教えて欲しかったな。


「ただいまー」

「おう、おかえり。随分長い風呂だったな」


 そうと決まれば、と意気込んで部屋に戻ると、聞こえてくる天音の声。

 意気込んだのも束の間、部屋から聞こえてくる「おかえり」の四文字だけで幸せになって頬が緩んでしまう。気が早いけど、結婚すればこんな感じなのかな、なんて想像しちゃったりして! むしろ、僕が迎え入れる側かな。ご飯にする、お風呂にする、それとも僕? の新婚三択は絶対にやるんだ。


 ──なんて妄想を天音から見えない玄関で済ませてから部屋に入ると、ベッドでくつろぐ天音が目に入る。


「家族風呂の方はどうだったよ? 部屋風呂は凄かったぞ。露天、って言うのか? 外にでっかい風呂があってな、目の前の自然が一望できるんだ。あ、外の目は気にしなくて良いみたいだぞ。完全に敷地内みたいで──」

「せ、せめて何か羽織ってよ!」


 天音は、上裸だった。


 思わずそのセクシーな腹筋や脇腹に目が行くが、何よりも目を引いたのは、一度抱かれたことのある胸板。そこに燦然と輝く二つの星。言うなれば金星と木星は僕の視線を釘付けにするものの、備わった倫理観というヤツのお陰で目を背けざるを得ない。その二つの星を真正面から見ることが出来ないというのは全く以て遺憾であるが、最低限のマナーだ。


 出している方が悪い、というのは今の世の中通用しないのだから。


「なんだよ。俺たちしかいないんだからいいだろ。それに俺、基本家だと脱いでるし」

「そ、それは……」


 なら見てもいいってこと?! と思わず口を衝きそうになる衝動を必死で抑えてアメニティのガウンに袖を通させることに成功したものの、惜しいことをした強く思う。


 しかし、そんな天音の普段となんら変わらない態度を見て、却って僕はこれっぽっちも意識されていないどころかほんの僅かにも女性だと思われていない事実を突き付けられて頭を抱える。


 高級宿。男女が部屋に二人きり。

 それも、朝までなんてケチな条件ではなく、二泊もの間である。


 何も起こらないはずが無いというのに、今のままでは本当に何も起こらないで終わる。

 だからこそ、僕はここでどんな手を使ってでも天音を意識させなければならない。

 僕の、本当の性別と言うものを。


「……怖かったら、コスプレするんだ。本当の自分と言う名の、コスプレを……!」


 そうしてようやく、僕は勝負の土俵に立てる。恋愛のスタートラインに立てるのだ。

 幼馴染という関係に甘え続けるんじゃなくて、僕と天音の関係をはっきりさせるために。

 それこそ、龍丘さんみたくこの夏合宿のジンクスを借りる勢いで──


「……いや、流石にそこまでは望み過ぎかな。天音がちょっとでも意識してくれれば、それで……」

「さっきから何独り言喋ってんだ?」

「な、なんでもない! なんでもないから!」

「そうかぁ? なんでもいいけど、早く寝ろよ」


 変なやつ、と僕の顔を覗き込んでから自分のベッドに戻る天音。

 僕ばっかり意識させられて、大変なんだから。天音も少しは僕の気持ちを味わえばいいんだ。

 固く決意を結ぶ僕は、隣のベッドから間もなくして聞こえてくる寝息にそそくさと己のベッドから這い出て、彼の寝顔を覗き込む。こんな貴重な機会を逃してなるものか。


「……見てろよ天音。この夏合宿で必ず、君に意識させてみせるんだから」


 今日一日で疲れていたのだろう。ぐっすりと眠る天音の耳元でそれだけ呟いてから、僕も床につく。


 ──そのためにも、一肌脱ぐんだから!


 力強く誓いを立てた僕はその晩、直前に見た天音の逞しい体を思い出して捗る妄想の中、悶々とした気持ちのまま、なかなか眠りにはつけないのであった。








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