コスプレとは魂のあるべき姿
ふと頭に浮かんだ疑問はそのままに、僕と天音は用意された部屋に到着した。
いざその時になって天音と──、片思いの相手とこれから二日間も同じ部屋で寝泊まりするのかと思うと、ついつい意識してしまって天音の顔が直視できない。
こんな状況の中、意識しない方がどうかしてるって言うのに、僕がこんなにも緊張しているというにもかかわらず天音は、
『──先輩たちは彼氏彼女同士か~。男同士は俺たちだけだし、夜どっかの部屋に遊びに行くか?』
部屋の豪華さの感動もそこそこに、天音はそんな気の抜けたことを口にした。思わず修学旅行じゃないんだから、と突っ込んでしまったのは間違ってないはず。
先輩たちには先輩たちの夜の過ごし方があるんだから、それを邪魔するなんてもってのほかだ。それも、彼氏と彼女の関係なら尚更……。こんな非日常空間でしか過ごせない夜、っていうのがあるんだから。
……それこそ、僕と天音にもあってもおかしくないんだから。
「……とは言え、暇になっちゃったな」
僕は今、一人で宿を散策していた。
裏手にある山も全て宿の敷地内らしく、散策しやすいよう人の手が入った山林の中を、僕は一人で物思いにふけながら歩いていた。
この宿に泊まることになったそもそもの目的は、漫画研究サークルの夏合宿。
昼過ぎに宿に到着して早々、部屋の豪華さを満喫する間もなくサークルとしての活動が開始されたのだ。
天音を含むサークルメンバーたちは大広間に集合し、各々の作業に取り掛かった。
和気あいあいと始まった夏合宿。始まったばかりの頃は作業片手に会話も弾んでいて皆の顔に笑顔が浮かんでいたのだけれど、それもすぐに修羅場と化したのだった。
『──印刷所の締め切り、明日までだろ。この量、二日で終わらせられんのか?』
龍丘さんのその一言で、緩んでいた空気は引き締められると同時に、滝嶋さんと金井さんも自分の作業を放ってでも亜里沙先輩の作業に加わることになった。
横山さんと田貫さんのコスプレ班は、巻き込まれるのを察してか一足先にそそくさと抜け出していた。賢い人達だ。
もちろん僕は天音の力になればいいと思って手伝いを申し出たのだけれど、余りにも急拵えの人材であるがゆえに漫画班の足手纏いにしかならず、「宿を満喫しておいで」と優しい物言いでそれとなく戦力外通告を受けて作業部屋を追い出された始末。
「亜里沙先輩って、本当にすごい人なんだなあ」
計画的に植樹された等間隔の木々から発せられるマイナスイオンを浴びつつ、改めて不甲斐ない結果に終わった過去を振り返って溜め息をつく。
原稿作業の手伝い……もとい邪魔をしている最中に覗き見た亜里沙先輩の手元は、正に歴戦の戦士と言うに相応しい迷いの無い素早いタッチで絵が完成していく様はまるで魔法のようだった。
作業部屋に飛び交う聞き慣れない単語は、それこそ呪文のよう。
あのクオリティの中に僕の雑な作業が入ると考えると、邪魔でしかない。
亜里沙先輩の作品を読んだことがあるからこそ、天音みたいに言うのであれば、自分の手であの美しい作品にノイが入ることは許されざることだ。滝嶋さんに優しく諭されなくとも、僕はそう差が無い頃にきっと自分から「できません」と辞退していたかもしれない。
もちろん、一分一秒を競う段階では僕みたいな初心者に付きっきりになって教える余裕すらないのはひしひしと肌で感じられたし、あのまま何も出来ないままあそこに居座れるほど、僕の神経は図太くないのだ。
「いいよー! いいよ、タヌちゃん! もっと目線、流してみようか! そうそう、そんな感じ!」
「この声って……」
山奥の山林で聞こえる謎の掛け声。けれどもその声には聞き覚えがあって。
声がする方に自然と足を向けていくとそこには、
「チェックしよっか。めちゃくちゃイイ感じに撮れたと思うんだけど!」
「……う、うん。良い、感じ。つ、次は、しゅりちゃんの番、だね」
「横山さん、……と。その声は、田貫さん?」
「うわ、びっくりしたー。って、あら。千崎ちゃんじゃーん」
「ど、どうも」
全然驚いていない感じで僕の声に振り返ったのは、髪型も衣装もメイクも普段とはまるで違う横山さんの姿。眼鏡の奥に見える瞳の色も変わっていて、横山さんが自称する本体であるはずの象徴たるその眼鏡が無ければ気が付かなかったかもしれない。
そう、横山さんは今、コスプレ姿でいるのだった。
そして横山さんと一緒に居るからという理由だけで、消去法的に隣にいるスタイルの良い男性が田貫さんだと判断したのだけれど、二人の反応からして合っているみたいだ。
「その、恰好……」
「そう! 今度コミケでやるコス! ソシャゲの『黎明戦記』、通称レメセンっていう過去の偉人たちを戦わせるゲームのキャラなんだけど、これがキャラデザ良くってね~。レメセン、知ってる? 去年の冬コミ終わってから、夏は絶対これやるって決めて半年かけて作ったの! めっちゃ良くないコレ?! コレ良くない?? 良すぎない??!!」
「しゅ、しゅりちゃん、千崎さん、引いてるから」
「い、いえ! 引いたりしてません。少し圧倒されちゃっただけで」
「それなら良かった~。あたし、ついつい熱くなっちゃうからさー」
「それで、お二人はどんなキャラのコスプレをしてるんですか?」
「え~、見て分からな~い?」
「み、未プレイ勢に初見でコスを見抜けは、か、かなり厳しい」
「それもそっか。あたしが上杉謙信で、タヌちゃんが武田信玄。デザインとか小物で、ちゃんと説得力出してんだよ。ほら、風林火山の他に、天台座主沙門信玄、とか。謙信の方も、ちゃんと毘沙門天の他に大天狗とかモチーフにしてて──」
ゲームの方はかなり歴史考察に注力しているようで、横山さんの熱の入った説明に浮かされるように普段とは打って変わって饒舌になった田貫さんもそれに加わり、僕はたったの数十分で川中島の戦いに詳しくなってしまった。
それに、最近のゲームでは過去の偉人たちの性別を逆転させたり年齢を操作したりは当たり前らしく、鎧兜を身に付けていなくとも二人は武田信玄で、上杉謙信なのだそう。
そんな二人を目の当たりにして、僕は一つの感想を口にする。
「横山さんたちはコスプレが大好きなんですね」
「そうだねー。自分じゃない誰かになれるってだけで解放感半端ないし、それが自分の思う理想の相手とか、大好きなキャラとかなら尚更、って感じ」
「こ、コスプレは、一つの自己表現。そ、創作活動といっても過言じゃない。むしろ、同じであるべき」
漫画を描いてる亜里沙先輩も、滝嶋さんも金井さんも、作業部屋で苦しい顔をしながらも楽しそうだった。怒っていた龍丘さんも、呆れていた天音も。それから、横山さんと田貫さんも、みんな楽しそうに話す。
漫研メンバーみんなが楽しそうに何かに取り組んでいる横で、僕だけが何もない。
何もない僕は、天音とその感情を共有できないことがもどかしくなって俯いてしまう。
「……」
「千崎ちゃんは、天音君のことが大好きだよね」
「ふぇっ?! と、突然、何を……!」
「いや、なんとなくね。でも、その大好きな気持ちとか、言いたいことが言えない気持ちは、よ~く分かるよ。あたしもタヌちゃんも、コスプレする前はそうだったから。だからさ、千崎ちゃん。いっそのこと、コスプレしてみない?」
「え、え……?」
「ずばり。女の子のコスプレをしてみる、ってのはどう?」
「せ、千崎氏は、もともと女性。い、今が男子のコスプレをしていると言うべきでは」
「あー、なるほどね。つまりは千崎ちゃんには生来のコスの才能があるって訳だ!」
「え、えっと……言っている意味が、よく……」
二人の間で何か勝手に話が進められていき置いてけぼりを食らう。
唖然とする僕に、横山さんが向き直る。
「つまり、千崎ちゃんは八尋君の前で男の子っていう嘘のコスを脱ぐのが怖いんでしょ? そうなるに至った経緯は大体想像つくし。だからさ、男の子のコスを脱ぐんじゃなくて、いっそその上から女の子のコスを着てみる、ってのはどう?」
「脱ぐんじゃなくて……、着る?」
「そ! あ、コスって言ってるけど、これ実際の話じゃなくて概念の話だからね」
「し、視覚的に攻めるのはぶっちゃけ、アリ。や、八尋氏は、そういうの、大好物」
なんだか良く分からないけど、腑に落ちた実感はある。
納得出来た感情を言葉に出来れば、きっと行動に移すことが出来る。そんな気がする。
そのためにはまず、コスプレと言うものを知らなければならない。
「ありがとうございます。それで、その。良ければ、お二人の撮影を見せてもらってもいいですか?」
「もちのろんだよ! むしろツーショ撮ってくれるとありがたいって言うか」
「こ、こっちからお願い、したいところだった」
カメラの扱い方からキャラの解説やポーズを含め、僕は夏合宿初日をフルに使って先輩たちのコスプレ撮影会に従事して、外が暗くなるまで撮影に没頭するのだった。
林道は夜になるとライトアップされるとあって、写真の出来栄えは想像を超えるものだった。




