貴方の夢と私の夢は同人御殿
◇
「ハーッ、ハッハッハッハァッ! 私、完・全・復・活!」
目的の駅に辿り着いて早々。騒音と称するに相応しい笑い声を上げるのは、紛れもなくあの人だ。
そう。ダウンから復活した、甘楽亜里沙先輩。我らが漫研サークルの代表だ。
代表は高らかに笑いを携えて電車から飛び降りる。
幸いにも駅のホームには同じく漫研のサークルメンバーしかいなかったため、同行する僕たちに奇異の目線が集中することはなかった。
「代表……。自分の荷物くらい自分で──」
「嫌に決まってるだろう? 重いんだから。それに、荷物運びも含めて天音君は私のお世話係じゃないか。あ、液タブと周辺のガジェットが入ってるからあくまでも丁寧に運ぶことをオススメするよ。弁償するには、あまりにも高価だからね」
最後に電車から降りてきた天音は、自分の荷物の他に亜里沙先輩の分まで背負っているらしく、物凄い大荷物姿だ。
亜里沙先輩の言葉に表情を引き攣らせる天音を見て、僕の頭はさっきまでの怒りが嘘のように消えて天音に駆け寄っていた。
「クソぉ……」
「天音」
「る、琉歌。さっきは、その」
「いいよ、別に。僕もキャップ借りっぱだし。僕も荷物、少し持つよ」
ミカンを触った手で僕の頭をわしわしと撫でたことについて、あれから僕はめっきり口を利かなくなっていたのだけど、亜里沙先輩の件も相俟ってか少しだけ泣きそうになっている天音が余りにも可愛くて僕は手を差し伸べずにはいられなかった。
ほんの少しの善意はあれど、大多数が邪な感情が蔓延る動機の僕に対して、天音は救いを得た、とばかりに顔をほころばせる。
僕の腹を探る素振りすらない天音に対して、僕は良心の呵責に耐えられなくなって一番重そうな荷物に手を伸ばすのだけれど、
「ああいや、琉歌はこれを持ってくれ。それで十分だから」
「え、でも」
「手が空くだけで十分違うからな。ほら、早く行かないと置いてかれちまう」
天音は軽い荷物を僕に手渡してくるだけで、重い荷物は自分で担いでいってしまう。
そんな天音に駆け寄って、隣に並ぶ。
「待ってよ。僕にももう少し持たせて」
「いいって」
「天音の邪魔はしないから。ほら、これで少しは軽くなったでしょ」
「……少しだけ、な」
言って、天音は小さく微笑む。
僕に出来ることは、天音が肩から掛ける亜里沙先輩の荷物の持ち手を持つ、ただそれだけのこと。それだけのことだけれども、たったそれだけのことで天音の力になれていると言う実感に、僕の胸は喜んで小さく跳ねた。
如何せん、天音は昔から何でも出来た。だから一人で解決できないことでも一人で抱えようとしてしまう。再会してからと言うもの、そんな昔と変わっていない天音の姿に安堵したと同時に、そんな天音が不安で仕方なかった。
一人で抱え込むということは、人に頼れないということでもある。
人に、そして天音に助けてもらってきたばかりの人生である僕にとって、一人で生きていくことの難しさは深く理解しているつもりだ。だからせめて、僕だけでも天音の助けになればと思い彼の隣に居るようにしているのだけれど、天音の助けになれるのは勉強面くらいのもの。
僕はそんな誰にでも出来るようなことじゃなくて、僕だからこそ天音に出来る手助けをしたいと常日頃から強く思っている。この思いは少し、いやかなり欲張りなのかもしれないけれど、天音のかけがえのない人になりたいと密かに思っていた。
いつか。そう遠くない未来で、僕は君の隣を何の理由付けも必要なく並んで歩いていたい。
重たい鞄じゃなくて、互いの手の平で繋がりたいと思いながら、僕らは先輩たちが先行くバス停にまで歩いて向かうのだった。
「間に合ったみたいだね」
「丁度バス来たとこだよー。……うひひ、今年は何が起こるのかなー?」
「し、白々しい」
「えっと、毎年同じ場所なんですか?」
「少なくともあたしとタヌちゃんが入った時から同じ場所だねー」
「そんな場所で何が起こるかな、って……何が起こるんですか?」
「毎年、この夏合宿では……」
大荷物の天音を見て誰も手を貸さないのか、と思うかもしれないが、先輩たちも負けず劣らずの大荷物だった。
この中で荷物が手軽な順でいえば、天音に続いて僕が二位にランクインを果たすくらいに。
だって、ただの二泊三日だって聞いて来たからね。それぞれ作業があるらしい先輩たちとは違って、僕と天音は必要最低限で事足りるんだ。
何をそんな荷物があるのかというのは聞かずとも分かる。
そもそもこの旅行は、漫研夏合宿。ただの旅行じゃない。
とは言え、僕も同人誌、とやらに解像度があるわけではないため、何をするつもりなのかと聞かれたら僕は答えに詰まる。
そしてそんな夏合宿で一体何が起こるのかと、初参加の僕と天音はバスに揺られながら横山さんの続く言葉に耳を傾けた。
「この夏合宿では……?」
眼鏡をクイっと持ち上げてきらりとレンズを光らせる横山さんの様子に、天音がゴクリと唾を飲む。
サークル、夏合宿、大学生。
それらが揃えば導き出される答えは自然と絞られる。
恐らく僕の脳裏に浮かんだものと天音が思い浮かべたものは同じだろう。
それは恐らく──お化けだ。
B級、もしくはC級の映画に該当するジャンルだが、その節は濃厚だろう。それだけの条件が揃いながら何も起きないはずはないんだから。
もしそうなら、サークル棟に連れて来られた初日に受けた通過儀礼とやらの借りを返すチャンスだ。
お化けは怖いけれど、僕だってやる時はやるんだ、と奮起しながら、溜めに溜めた横山さんの次の一句に全神経を集中させた。
「──必ずカップルが生まれるんだよー!」
「カップル……?」
「か、カップルですか?」
聞き耳を立てていた天音は分かりやすく落胆し、僕は少しだけ高揚した声で聞き返す。
「そう! 夏の魔物ってやつのせいかなー。開放的になった雰囲気も相俟って、男女が惹かれ合うんだよー。言ってなかったけど、あたしとタヌちゃんも二年前の合宿を機に付き合い始めましたー」
「しゅ、しゅりちゃん。は、恥ずかしいってば」
「ええっ?! 君たち、付き合ってたのかい?! そんなに前からぁ?!」
サークル内の関係性に疎い亜里沙先輩が前の席から身を乗り出してくるけど、ちょうど天音の真後ろということで天音に押し戻される。
「ということは、滝嶋さんと金井さんは……去年に?」
「そーそー! それは代表とあたし達が一肌脱いだんだよ」
「その話、詳しく聞かせてもらっても?」
「聞くな聞くな! 恥ずいんだよ!」
「えー、いいじゃん。修司の告白、アレは良かったよ~」
「掘り返すようなことじゃねえっての!」
そんな風に和気あいあいと会話が弾みながらバスに揺られること、約三十分。
ようやく止まったバスから降りて先輩たちに先導されて宿に辿り着いた先で、僕たちは驚きを隠せなかった。
否、驚いているのは今年初参加の僕と天音だけ。
他の面々は圧倒されつつも、僕たち新入会員のように今の状況を飲み込めないほどではなかった。僕らは「本当にここに泊まるのか」と開いた口が塞がらないし、足が動かせないでいる一方で、先輩たちは「相変わらずすげー」と言いながら歩を進めていく。これが経験者とそうではない者の差というわけだ。
「ここが今日泊まる宿だよ。部屋は二人部屋でスイートしかないけど、四つ借りてあるから安心してね。それから、作業部屋は別で借りることになってるから、使うときは女将さんに言えば貸してもらえるよ。って言っても、私たちが滞在する間は借りっぱなしになるだろうけどね」
あっけらかんと、まるで何もおかしなことを言っていないとばかりに当たり前であるかのように説明する亜里沙先輩と、驚かずに受け取る先輩たちの姿。
「ここって、いわゆる高級宿、だよね……?」
それも、格安サイトとかには載らない、芸能人がお忍びで来るようなところだ。
天音もその事実は知らなくとも雰囲気でハイグレードだと分かっているようで、僕の言葉にコクコクと頷き返すばかり。天音は驚きの余り、言葉すら失ってしまったようだ。
「ハハッ、良く知ってるね。朝夕ご飯付きだし、部屋に温泉も付いてる。缶詰作業には最適なんだよ! それに何より……、安心と信頼の光回線が通っているのさ!!」
僕や天音が言いたいのはそういうことじゃない。
高級宿の名に相応しい宿泊費全てを、亜里沙先輩はサークル活動費には一切手を付けず、自身のポケットマネーから出したというのだから僕と天音の驚きは正当なもののはず。
それなのに亜里沙先輩は僕たちの驚きの理由に思い違いをしているわけで。
一瞬、そんなものかと噛み砕いて飲み下してしまいそうになるけれど、宿のロビーに足を踏み入れた瞬間、それが僕の勝手な思い違いであると思い知らされる。
「あ、天音……。僕は今、夢でも見てるんじゃないかと感じているんだけど」
「る、琉歌もそう思うか……! お前もそれなりに金銭感覚が狂ってると思っていたが、ここは意見が合ってホッとしたぜ。俺たちが味わわされているのは、一般庶民と富豪の間にある隔絶された感覚違いだぜ、こいつはよお……」
なんだか失礼なことを言われたような気がするけど、気にしない。
豪華なのは間違いないが、ホテルの内装は豪華と言うよりかは詫び寂びの感じられる、落ち着いた雰囲気の古きよき日本家屋と言った印象が強い。
だけれどもその感覚はきっと、本当の日本家屋というものを知らない現代人である僕だからそう感じるだけであって、きっと今に即した言い方をするならば和モダン建築というべき和風と洋風をミックスしたスタイルの宿であった。
モダンと言う要素で日常と数珠繋ぎではありながら、スパイスと言うにはパンチの強い、けれども僕たち日本人の血に組み込まれた和風が非日常へと導いてくれる。
立ち入った一歩目のロビーですら一種の感動を叩き込んでくる絶景を前に冷や汗を覚えたのも束の間、僕たちの肩にポンと手が置かれる。
「俺たちも去年はそうだったぜ。驚くよな、あの人の金銭感覚。と言うか、去年の方が人数多かったんだぜ?」
「奢ってくれるみたいだしとりあえず受け取っておこー、的な感じでいる方が楽だからね。変に身構えて考え過ぎちゃうと、余計に疲れちゃうから。亜里沙ちゃんには別のことで返していけばいいって」
肩を叩いたのは、去年の被害者たち。
僕らが今味わっている驚嘆を乗り越えた顔をしている。
「ハハハッ、そーだよ。それくらいの気持ちでいてくれた方が、奢る側としては嬉しいものさ。はい、これ部屋の鍵ね」
「あ、ありがとうございます。……でも、本当に良いんですか?」
「いーのいーの。どうせ経費で落としちゃうからね。私のわがままに付き合ってもらってるお礼、って言えば受け取ってもらえるかな?」
チェックインを果たした亜里沙先輩が僕らの部屋の鍵を持ってやってくる。
ウィンク一つで賄われるには余りに価値が大きすぎる部屋の鍵に、僕と天音は恭しくそれを受け取った。
コンビニで買ってきたお菓子を分け与える、みたいな感覚で高級宿の鍵を渡されても反応に困る。
既に鍵を受け取って我先にと部屋に向かって行った先輩たちみたいに受け取れるわけがないのだ。
どう言い訳すれば受け取ってもらえるかを考える亜里沙先輩に対して、僕と天音が微妙な顔で見つめ合っていると、亜里沙先輩の後ろから助け舟がやって来る。
「ろくな説明してねぇお前が悪い」
「ぁだあ~ッ?!」
ゴッ、と頭を削るような音を立てて龍丘さんが現れる。
痛みに喘ぐ亜里沙先輩を放置して、龍丘さんは言葉を紡ぐ。
「常識的に考えて、こんな高価な贈り物されても相手が困るだけだろうが。……だがまあ、もうここまで来ちまったんだ。何も言わず受け取ってくれ」
「お金は、必ず──」
どちらかと言えば亜里沙先輩の助け舟としての出現だったけど、漫研サークルに所属して日の浅い僕や、コミケとやらに何の目標もない僕らは言わば、役割としては引け目の強い立ち位置だ。高級宿の部屋の鍵を前に葛藤せざるを得ない僕たちに、龍丘先輩は中間管理職のような立場で鍵を握らせてくる。
それでも尚、天音が困った顔をして「せめても」と一歩踏み出そうとすると、龍丘さんは僕を含めて耳打ちをする。
「……二人部屋、二泊三日で朝夕食事付き。合わせて約十五万だ。お前たちが無理する必要は無い」
「「じゅっ……?!」」
大学生の身分でなくとも、一般人からしてもその金額は十分大金であり、ついさっき電車の中で来週には東京に行くためにお金が入用だと判明した手前、その金額を決して安いものだとは思えない。もちろん、それに満足できるだけのサービスが付いて来るとは言え、大学生が遊びに来る場所としては明らかに背伸びした金額であった。
その現実を思い知った僕らは、それ以上の言葉を失って二人で頷き合う。
「……琉歌」
「……うん、天音」
少し前までお化けが出るとかなんとか言っていた自分が恥ずかしく思えてくる。
結果、龍丘さんが差し出す部屋の鍵を受け取らざるを得ないのであった。
しずしずと鍵を受け取った後、僕は素朴な疑問を口にする。
「……亜里沙先輩って、お金持ちなんですね」
「同人でも稼いでるし、実家も資産家なんだよ」
「え。あんな形でお嬢様なんですか……? エロ漫画書いてるのに……?」
「八尋。言わんとしてることは分かるが、あまり言ってやるな。あいつもああ見えて色々と苦労を……いや、どうだかな」
「雅ぃ! そこは幼馴染として『あいつはああ見えて苦労に苦労を重ねていて──』くらい言い切ってくれないかなぁ!」
「あ、復活した」
しかし、宿泊費を教えてもらった前と後では、手に持つ部屋の鍵の重さが違う。
こんなこと天音に言えば「オートロックの磁気カードに重さもクソも無いと思うが」とか言われそうなので言わないけど。
改めて思う。二人分の宿泊費から数えれば全員分の宿泊費が割り出せるがゆえに、亜里沙先輩の驚くべきお財布事情に。
下衆の勘繰りだと分かっているけれど、僕だって興味はある。
「本当に、平気なんですか?」
「千崎君は心配性だね。普段から自分にお金を使わない私はお金が余って余って仕方がないのさ。将来のためのお金はこれから稼げばいいし。貴重な後輩たちとの時間の方が私にとっては有意義なのさ。だからみんなが楽しんでくれれば私はそれで十分なのさ。それに、だ。全員分払っても私の平均月収の半分も行かないからね」
「ひ、ひえぇ……」
今日だけで何度目かも分からない驚愕に包まれた僕は、亜里沙先輩の耳打つ言葉を受けて咄嗟に天音に顔を向ける。
けれども、感情の共有を目的とした僕とは反するように、天音は納得いったと言わんばかりに頷き繰り返していた。
「驚かないの?」
「驚くさ、めちゃくちゃに驚いてる。でも逆に、リョナ吉しこ太郎先生ならおかしくないって言うか」
「そうなの?」
「これがエロ同人ドリームかと思うと、俺は今この瞬間の感動を殊更に享受したくなってきた」
「え、えっちな本って、そんなに稼げるんだ……」
「やめておけ。お前、自分の画力知ってんだろ」
天音から色々と教わった結果、僕が書くならどんなのだろう。なんて夢想したことだってある。それがもし現実となって天音の手に渡ったことを考えると眠れない日もあったりなかったり。
「確かに昔は酷かったけど、今はどうか分かんないでしょ!」
「再会してからどれだけ一緒にいると思ってんだ。琉歌のことならなんだってお見通しだ」
どうしてこうも天音は僕が言われて嬉しいことを平然と言ってのけるのか。
僕のこと女だって気付かないくせに。
デートした相手が僕だって気付いてないくせに。
そんな風に言い合ってると、天音曰く夢を掴んだ人が悪い笑顔を浮かべて近付いてくる。
「おやおやぁ……? 千崎君ってば、同人活動に興味がおありの様子じゃあないか。エロは人間の三大欲求の一つ。どれだけ時代が移り変わろうとも姿形を変え、後世へと継承され続けるいわば歴史そのものさ。人の欲望に終わりはないのだから、どんなに世界が終末を迎えたとしても残り続ける。決して廃れることのないビジネスの世界に、ようこそ──」
「琉歌を誘うなら、せめて写真集くらいにしてくださいよ」
「それはつまり、天音君は千崎君の美貌を認めているということかな」
「美貌も何も……こいつが綺麗なことは十分理解してますよ。だからこそ、あんまり変なこと吹き込まないで下さいよ。純粋なんですから」
両手をワキワキさせながら迫る怪しさ満載の亜里沙先輩に対し、僕を背に庇うように間に入って来た天音。
天音はそれだけ言って僕の手からカードキーを取ると、さっさと部屋の方へと向かって行く。あくまでも僕の興味を示した姿勢を否定するのではなく、僕に合った道を模索しようとしてくれている姿を見て、僕は嬉しくなって小さく微笑んだ。
器用なのか不器用なのか分からないのが天音らしい、と。
つまり、ここから先に進むかどうかは僕の興味次第、というわけだ。
「ハハハッ。これはまた随分と……君も愛されてるね」
「えへへ……」
そのまま僕は亜里沙先輩にぺこりと頭を下げて、角を曲がっていく天音の背を追いかけていく。
僕のことを思って行動してくれた、可愛らしい彼の元へ。
「……ん? 君『も』、って──?」




