取り立て屋と言う名の編集者
「あ、捕まったな」
「捕まった、って大丈夫なの?」
「いつものことだな。あの人のお世話をするのは俺だけど、原稿から逃げる代表を捕まえるのはまた別の人の役目だから」
「その、さっきから聞くお世話……とかって、なんなの?」
「お世話はお世話だよ。あの人とやり取りして分かったと思うけど、代表は生活能力皆無なわけで」
「ちょ、ちょっと待って? 分かるわけないんだけど?」
「まあそうか。紅茶入れるくらいしか家事というものを知らない人間なんだよ、あの人」
服に皺が寄ってたり、代表のポーチから溢れる大量の小物とポケットティッシュ。目を配ればあの人の座っていた周りだけゴミが散らかっていたりと、とにかくだらしない部分が分かると思う。代表が着替えに向かった別室。あそこに住んでいると言っても過言ではないのが代表なのだから。
好きな人からすればそれすらも魅力なのだろうが、俺は違う。
代表に一目ぼれしているような琉歌には黙っておいてやろう。
唯一出来るのが紅茶を入れることくらいなのだが、何故かそれだけは本格的に出来るというのだから不思議なことだ。
「逆にどうやったらそんな人が生まれ育つのか知りたいんだけど」
俺も知りたいよ。だが事実としてそんな人がいるわけで。
「リョナ吉しこ太郎先生としてあの人には漫画を描いてもらわなくちゃいけないんだけど、当然そんな自堕落な生活を送っている人がまともに原稿に向き合うわけが無いだろう?」
「い、言われてみれば……」
「だから俺がお世話係。他に漫画の進捗を逐一確かめる編集係もいるんだよ」
あんな美人さんとお近付きになれる、なんて妄想で喜んで二つ返事で受けたが、いざ実際にお世話係を始めた時には、その酷い有様に俺の理想も妄想も全て泡のように弾けて消えたというものだ。
「天音のお世話係……いいなあ」
「いらんいらん。最低限の人間性すら皆無になるわ」
「えっ」
「え?」
ぶつかり合う視線。見つめ合う目と目。
相変わらず琉歌の透き通ったガラス球のような目は何を考えているのかさっぱり分からない。
気まずい空気を打ち破るように、琉歌の口から可愛らしい咳払いが一つ。
「そ、それで。お世話係って、何したりするの?」
「特に何も。このサークルに出ている間は亜里沙先輩の無茶ぶり聞いたり、漫画のモデルをやったり、色々だな。あくまでも常識の範疇で言うことは聞いてる」
「待って。モデル? モデルって言った? あの漫画の?」
「あの漫画かはどうか知らないけど、最近は良くやってるな。リョナ吉しこ太郎先生が描いてる作品のどれかに出てるんじゃないか?」
「な、なんでそんなに平然としてるの?!」
「なんでって、ただのデッサンモデルだろ。何も変なことねえよ」
「だ、だだだ、だって! あの漫画のモデルって言ったら天音が……え、えっちな恰好を、したってことでしょ?!」
「ぶっ?!」
急に何を言いだすかと思えば、琉歌は頭のてっぺんまで真っ赤にして叫ぶ。
マジで何言ってんだこのむっつりスケベは。
潤んだ瞳の端にはきらりと光るものまで浮かべるくらい感情的に叫ぶ琉歌の姿に、俺はこいつの頭の中がスケベに染まっていることを理解する。
エロ漫画のデッサンモデルという言葉を聞いただけで陰部を曝け出す俺のあられもない姿を想像したのだとすると、こいつは俺を遥かに凌ぐドスケベだ。
「俺がやったのは男の背中とか、腕とか。明らかに女性とは違う部位だけだ。流石に代表の前でパンツ下ろしたりしてねえよ」
「で、で、でも! 脱いだんでしょ……。僕以外の前で、脱いだんでしょ!」
「なんでお前の前なら脱ぐみたいに言ってんだよ。お前の前でも脱がねえよ」
「でも! 脱いだんでしょ!」
「まあ、上だけな。バイト代も貰えたし、リョナ吉しこ太郎先生の漫画がより良くなるなら全然かまわなかったからな」
「いいんだ……。えっちな漫画の為なら、天音は脱ぐんだ……!」
両手で顔を支えるように頬を押さえた琉歌は、一人でキャーキャー言いながら体をくねらせる。
こいつは一体何に興奮しているのか。わけも分からない俺は溜め息をつく。
確かにエロ漫画のモブかそれとも竿役かは分からないが、造形のモデルになれたことは、エロ漫画を愛する者として純粋に嬉しい。
そんな風に、今更になって自分の置かれた環境が恵まれていることを味わい深く感じていると、サークル室の扉が開かれ二つの人影が入ってくる。
いや、正確には直立二足歩行をする一人と、その一人に荷物のように担ぎ上げられる存在が一つ、というべきか。
「すまんな、遅くなった……。っと、まさか、本当に見学者が来ているとはな」
「龍丘さんまで……。本当に疑ってたんですか?」
「いやいや、そういうわけじゃないぞ。だが、あの八尋から『友達を連れて行きます』なんて連絡を受けて疑わないやつはこの漫研にはいないと思うぞ?」
「解せない……」
俺の上背を軽々と超える背丈の持ち主はさりげない俺へのディスを口にしながら担ぎ上げていた荷物を放り投げる。
「んぎゃあ?! 雅ったら、もっと私のことを尊敬の念を込めて割れ物のように扱ってほしいものだね!」
「ご要望通り、腫れ物のように扱っているが文句はあるか、下級生?」
代表の周りをウロチョロするのが俺の役目だとして、代表を大物同人作家として目を光らせる編集者こそこの大柄な男性であり、名を、龍丘雅という。
大学四年生になった龍丘さんは現在就活の追い込みで忙しいらしく、最近は滅多にサークルに顔を出すことはなかった。
自分を地の果てまで追いかけ回す編集者が居なくなったお陰で代表が調子に乗って好き勝手暴れ回っていたのだが、今日は琉歌を連れてくるということもあって忙しい時間を縫って顔を出してくれたらしい。
だからほら。琉歌の奴は俺の背に隠れていないで、いつもみたいにキラキラエフェクトが舞い散るみたいな笑顔で挨拶をしなさい。
「は、初めまして。いつも天音がお世話になっています」
龍丘さんは怖い人じゃないぞ、と促してやるとひょっこりと顔を出す琉歌。
どうしてお前まで俺の身内みたいな顔をするんだ。
なんだかこいつ。俺と一緒に居るときは昔に戻ったみたいに人見知りを発揮するのは何故なのだろうか。そのくせ、俺には色々と遠慮が無い。まあ、頼られているのなら俺も悪くは思わないが。
「おやおやおやぁ? 天音くぅん。千崎君の時には言わないのかい? お前は俺の何なんだってさ」
「事実、龍丘さんには確かにお世話になっていますから」
「ハハハッ、それじゃあまるで、君が私にお世話になっていないみたいじゃないか!」
「事実、そうですから」
「なァ……ッ?!」
どうしてそこで驚くのか。まさかこの人、本気で俺に迷惑かけていないとでも思っていたのか? つくづく実感させられる。この人の頭の中は、惚れ惚れするくらいハッピーな思考で詰まっているんだと。代表のことを外面だけでクールだと思い込んでいる人に知らしめてやりたい程だ。
悲劇的な顔で固まった代表は放って、琉歌と自己紹介を済ませた龍丘さんに向き直る。
「就活の方はもういいんですか?」
「ぼちぼちって感じだな。卒論もあるし、忙しいったらありゃしないぜ。俺も去年留年すればよかったって本気で思うくらいにな」
「それは…………。想像を絶しますね」
「だろ?」
「ええ」
「どうして二人して私を哀れんだ目で見つめるんだい? 何か言いたいことでもあるなら面と向かって直接だね──」
龍丘さんはこのサークルでも数少ない常識人にして、俺と同じ、代表に迷惑を被られた言わば被害者の会同盟の一員なのだ。気が合わないわけがない。
そして代表自ら御身の愚行を言えと仰るならば、俺は正直に打ち明けさせてもらおう。
編集者である龍丘さんに、琉歌を騙して入会させようとした旨を全て報告するのだった。
「……亜里沙ぁ、お前」
「なんだい、なんだい。雅まで私が悪いって言うのかい?」
「悪いに決まってんだろ!」
「あだだだだだだ! わ、私の! ピンク色の脳細胞が死滅する! い、いだああい!」
バスケットボ―ルすらも鷲掴みにできる龍丘さんの大きな手から放たれるアイアンクロー。亜里沙先輩のその小さな頭はがっちりと掴まれ、悲鳴を上げながらじたばたと足掻くが脱出は不可能。
代表が自らの悪事を認め、心からの反省を示すまでその拷問は続くのだった。
「……うぅ。ごめんよぉ、千崎君」
「い、いえ。もう、大丈夫ですから」
その間わずか二、三分のことだった。
「それで、なんでサークルに人数が必要なんですか? このサークルってそんなにお金ないんですか?」
「……」
しかし、俺の質問には代表は目を背けるだけで答えようとはしない。
俺の知る限り、漫研サークルは決して極小サークルというわけではない。
漫画研究サークルのくせに実際に漫画を描いている人は代表ともう一組しかいないという変なサークルだが、新入生歓迎会の時にはそれなりの人数が居たはずだ。このサークル室が埋まるくらいの人数が。
それでも尚、詐欺まがいのことをしてでも人数を集めるのには何らかの理由があるのかと思っていたが、代表に口を割る気配はない。
「話したくないなら無理には──」
「俺から話す。いいな」
反省しているというなら自分から話すべきだ、とも思わなくもないが、ここは龍丘さんに免じて許してやろう。
ふてぶてしい顔で改めて人数分の紅茶を入れ始めた代表は自分の口で言うのが億劫なのか、龍丘さんに丸投げした様子で頷く。
そんな大層な理由があるのか、と俺と琉歌が揃って唾を飲み込んで龍丘さんの言葉を待った。
「言ってなかったと思うが、俺と亜里沙は──幼馴染なんだ」
「ええっ?!!」
俺が驚かなかったのは偏に、龍丘さんの言葉に誰よりも反応した琉歌に驚いたからだ。
「そして俺たちには、もう一人幼馴染がいる」
「えええっ?!!」
だからどうしていちいち反応が大きいんだ。そんなに驚くことか?
そしてどうして俺の方を見る。俺と琉歌が幼馴染だというなら、その定義に引っ掛かる奴はそれなりの数がいると思うぞ。
「……神宮寺マリ。この名前を知ってるか?」
「神宮寺マリって……もしかして、あの?」
「ああ。多分、八尋が思い浮かべてるやつで正解だ」
「ええっ?! マジですか!」
今度は俺が驚く。まさか代表と龍丘さんの幼馴染が、あの『神宮寺マリ』だなんて。
「ちょ、ちょっと天音。誰なの、その、神宮寺マリさんって」
置いてけぼりを食らった琉歌が少しだけ不服そうに耳打ちして聞いてくる。耳元で囁かれるとこしょばゆくてゾワゾワする。あと良い匂いもする。
「神宮寺マリって言えば、あの『ブレイブ・クロニクル』の原作者。最近じゃ一千万部越えの超有名漫画家だぞ」
「あ、聞いたことある。ブレクロ……だっけ。弟が漫画持ってた気がするよ」
漫画だけじゃない。メディアミックス全般、アニメも、映画も大ヒット中だ。
それが事実なら、片や超有名漫画家。片や超人気同人作家。その二人を幼馴染に持つなんて、それなんてラノベ主人公? と口に出そうになるのを必死で堪えて押し留まる。
ただでさえ身長も顔もスペックも高水準を保つ龍丘さんだ。現在進行形で彼女がいないのが不思議なくらいであったが、まさかそこまでとは思いもよらなかった。
「その神宮寺マリ先生が、どうしたんですか? もしかしてここの卒業生、とか?」
「いや。マリ姉は高校卒業と同時に専業作家として働いてるよ。立派にね」
「雅もマリの味方するんだ……」
「味方とか、そう言うのじゃなくてだな。……はあ、まあいい。それでだな、亜里沙がサークルの人数を気にしてるのはそのマリ姉が大きく関係してて」
なんか最近、そういうエロ漫画を読んだ気がする。
派手な幼馴染。地味な幼馴染。相対する二人の間に挟まれる主人公がその二人の間で揺れ動いて二股しつつも最終的には3Pに発展していくやつ。
ラノベ主人公もエロ漫画の主人公も、ご都合主義という点では大差ないのだ。
そして主人公が揺れ動かされる原因となったものこそが、
「神宮寺マリ先生と代表の喧嘩、ですか?」
「よく分かったな。実はそうなんだよ。初めは売り言葉に買い言葉だったんだが、その頃にはもう二人ともそれなりに売れ始めててな。半端に育ったプライドが邪魔をしたんだろう。マリ姉の『私より売れてないくせに、人望無いくせに、一丁前に作家名乗ってんじゃない』って言葉に亜里沙の奴が切れちまってな」
要するに、俺も琉歌も大物作家同士の喧嘩に巻き込まれたというわけだ。
見学者台帳を見る限り、俺たち以外にも被害者はいそうだけどな。
「だとしても、それは、相手が悪すぎません?」
「そうだよ! 天音君は良く分かってるじゃないか! 悪いのは全部、マリの方だ!」
「いや、二つの意味で、ですけど」
「ぐぅっ……! 千崎君、君の天音君が私を虐めるんだが?!!」
「ええっ?! ぼ、僕の……!」
美形同士二人で固まる光景を横目に見ていると、龍丘さんが話の続きを口にする。
「八尋もやっぱり、分が悪いと思うか」
「そりゃあそうでしょう。あの亜里沙先輩に、人が付いてくると思います?」
「……幼馴染としての贔屓目があっても無理だと思ってる」
あはは。言われてますよ、代表。幼馴染からしても擁護できないくらい酷いものだってね!
そんな人望の欠片も有さない代表だが、俺は知っている。あの人の生み出す世界の奥深さを。リョナ吉しこ太郎先生の作品がどれだけ素晴らしいかを。
「でも、リョナ吉しこ太郎先生なら勝てます」
「ほう」
「先生の作品は、人気があります。これは嘘じゃない。先生の作り出す世界は唯一無二だ。それを、たかだか一千万部如きで叩いていい理由にはならない。先生なら、エロ漫画界の頂点に立てます。先生の作品を全て読んでいる一ファンでしかない俺ですらそう思えるんです。人望なんてものに騙されないでください。先生は人望なんて求めなくていいんです。俺みたいに、後から勝手に付いてきますから」
「天音……」
ドン、と胸を叩いて太鼓判を押す。俺の太鼓判に価値があるかどうかは不明だが。
リョナ吉しこ太郎先生は、紛れもなく俺の大好きな作家の一人だ。
例え一千万部売れてる少年漫画家だとしても、誰かの好きを貶していいはずがない。
その思いの丈を吐き出した俺は、代表の入れてくれた紅茶を口に含んで、渇いたのどを潤す。
「……だとさ」
「は、ハハッ! やっぱり君は面白いね、天音君。それに、君に言われなくても私は私が書く漫画こそが一番面白くて、一番えっちで、一番感動させられて、一番興奮させられる作品をこの世に生み出しているということを自覚しているさ! もちろん、神宮寺マリなんかよりもね!」
「ぼ、僕も、先生の漫画読みましたよ! すっごく良かったです!」
「ふふふ……そうだろう、そうだろう。何せ私は、天才だからな!」
ハーッハッハッハ! と高笑いをする代表は、さっきまで神宮寺マリ先生の名前が出て不貞腐れていた人と同一人物とは思えないくらいはしゃぐ姿を見せる。この人、本当に俺たちより年上なのか。
そんな姿も束の間、高笑いのために一息入れるべく落ち着きを取り戻した代表は、しずしずと口を開く。
「でも、その……。褒めてくれて……う、嬉しかった。だから、ありがとう、天音君」
「お、あ……。い、いえ。どういたしまして」
突如として現れたおしとやかな美少女に瞠目してしまう。
反射的に返事することが出来たのはほぼ奇跡と言ってもいいくらいに俺は亜里沙先輩に見蕩れていたのだが、それもほんの僅かな間のみで、すぐに馬鹿みたいに高笑いをする代表の姿に戻ってしまう。
「……亜里沙は褒められ慣れていないからな。普段はアンチが怖いからってエゴサも感想も身内以外から受けたりしないよう自己防衛に徹してるから、第三者である八尋からの感想は珍しく、素直に嬉しかったんだろうな」
おっと龍丘さん、それは後方腕組み彼氏面ですか? 羨ましいなこんちくしょう。
黙って佇んでいれば間違いなく美少女の亜里沙先輩を幼馴染に持つ龍丘さんを羨んだところで、俺の自称幼馴染はむくれた顔をして身を寄せてくる。
「……亜里沙先輩に、見蕩れてた」
「そりゃあな。黙ってれば美人だし」
「むう」
分かりやすく不機嫌になる琉歌に、俺はどうしろと言うのか。
彼女がいるならまだしも、あんな美人の先輩に微笑みかけられて見蕩れるな、という方が酷な話だ。
琉歌は代表に一目ぼれしてたからその反応なのかと疑ったが、代表と龍丘さんの二人の姿を見ればその淡い恋心など無駄だとすぐに分かるだろうに。
「ムフフ。私、後輩から褒められたよ。すごいだろう?」
「ああ。すごい、すごい。でも、俺はずっと前から亜里沙が凄いって言ってただろ?」
「おっと。後輩に嫉妬かい? 大人な雅にしては子供っぽい所もあるじゃないか。でも安心していいよ。雅の感想は毎回楽しみにしているし、ちゃんと記憶もしてる。言わばこれは別腹という奴だよ。たまにはこういうのも、悪くないね」
どちらかと言えば、龍丘さんの片思いのように思えるけど、代表は見て見ぬ振りをしているようにも取れる。
安心してください、龍丘さん。俺が好きなのはあくまでもしこ太郎先生です。だからそんな、牽制するような目を向けないで。普通に怖いです。
「……幸あれ」
「何してんの?」
ハンドサインとアイコンタクトで必死に弁明を重ねる俺を琉歌が不審な目で見つめてくる。
そんなやり取りが行われているとも知らない代表は、サークル室の空気が落ち着いた頃を見計らってようやく本題へと移る。
「さて、大いに脱線した話だが、ようやく本題を話せるよ。まったく、誰がこんなに話をこんがら絡ませたのやら」
「代表ですよ」
「亜里沙だな」
「……」
琉歌よ、無言は肯定と捉えられるぞ。
「全会一致かい?! 私の味方はいないのかっ! 天音君!」
「それとこれとは、話が別です」
「ムキーッ! そもそも雅が来るのが遅いから私が天音君と千崎君で遊んでしまったんだ! だから元を辿れば雅が全部──」
「全部……なんだ? 言いたいことがあるならはっきりと言えよ」
怖ッ! 怖すぎる。龍丘さんのあの目、人一人くらい殺しててもおかしくないだろ。
こんなの相手に横恋慕したら最後、土に埋められるぞ。
「ひえぇ、何でもないですぅ」
そしてまろび出る小物感マシマシの代表の姿。
いつもの高笑いする姿とは正反対だが妙にしっくりくるのはなんでだろう。
「……ごほん。また誰かさんのせいで話が逸れたので本題に戻そう」
誰のせいだ、とツッコむのは余計話がこじれそうなので止しておこう。
今この瞬間だけはこの場にいる三人が同じことを考えてるのが手に取るように分かる。
代表を除いた三人が謎の一体感を醸し出しつつ、雰囲気の変わった代表の話に耳を傾ける。
そもそも今日このサークルに顔を出したのは琉歌を連れて来るためともう一つ、大事な話があるからと呼び出されたからだ。
「今日みんなに集まってもらった理由、それはね……」
一体どんな話が待っているのかと、ごくりと唾を飲む。
しこ太郎先生のことだし、新作の構想が完成したとかだったら喜び飛び跳ねまわる覚悟を決めて代表の口がその言葉を奏でるのを今か今かと心待つ。
「──ずばり! サークル夏合宿が、近いからだよッ!」
ダンッ、とテーブルを叩いて立ち上がって声高に叫んで口にしたのは、聞き慣れない単語。
いや、意味は分かるのだが、漫研に夏合宿? と考えるように、聞き慣れない琉歌と二人揃って頭の上に疑問符を浮かべていると横から解説が入る。
「コミケ前の原稿追い込みだな。サークル夏合宿とは名ばかりで、原稿の終わらない奴にはただの缶詰作業だ。中にはとっくに脱稿してただ遊びに来る奴もいたな」
「へえ、それは面白そうですね」
俺、コミケで本出さないし遊びに行けるじゃん。
「……天音君。今、遊べるかもって思ったね?」
「え? 違うんですか?」
「駄目だよ、ダメダメ。エロ漫画で導入に時間をかけすぎているくらい駄目だよ、今の君は。君と雅は、私の原稿が終わるまで一緒に頑張ってもらうんだから」
何を言ってるんだこいつは。
聞き間違いかと思い、巻き込まれた被害者の会の龍丘さんに視線を向けると、彼は先程の眼光が嘘のように力のない眼差しをこちらに向け、小さくうなずくのであった。
「ど──、どういうことなんですか、それ?!」
「どうもこうもないさ。私が死に物狂いで原稿をしている間に二人が遊んでいるのが気に食わないからに決まってるだろう。ま、精々私のやる気を削がないよう君達も死に物狂いで務めを果たすことだな」
俺のショックを受ける顔を目の当たりにして上機嫌になったのか、代表は「ハーッハーッハッハッハ!」と意味の分からない高笑いを見せる。
人の不幸で笑うなんて、この人はどれだけ性根が腐っているんだ。龍丘さんもこんな人、止しておけばいいのに。
「……悪いな八尋。亜里沙の奴、拗ねると面倒なんだ。必ず時間は作るから、適当に話を合わせてくれると助かる」
俺の不服を察してか、龍丘さんはそう言ってくれる。だが、それでは龍丘さんの時間がないではないか。
浮かんだ疑問を尋ねると、龍丘さんはにこやかに答える。
「亜里沙が早く原稿を終わらせてくれれば、俺の時間も取れるさ。そうだよな、亜里沙。ところで、どこまで終わってるんだ? 夏合宿は追い込みだけ……そうだよな?」
何故か龍丘さんの目に再び鋭さが取り戻されていくのを感じるが、まさかそのまさかなのだろうか。
そんな訳がない。だって相手はあの超人気同人作家のリョナ吉しこ太郎先生だぞ。しこ太郎先生は作品の更新ペースが早いことで有名なんだ!
希望を抱いて代表に目線を向けると、そこには大量の汗をかいて必死に目を逸らす情けない大人の姿があった。
「……テーマも決まってない」
「は?」
「だから! まだ何書くか決まってないの! しょうがないじゃないか!」
その上逆ギレときた。
「お、俺の夏合宿が……! 数少ない夏休みが……! 印刷所に、また、迷惑が……!」
「た、龍丘さん……!」
こんな人を置いて俺一人で遊びに行けるか、ってんだ。
「あ、安心してくれたまへ。全員の宿代は私持ちだから気兼ねなく参加してくれていいんだよ。だから、ね……? た、頼むから、私を置いて行かないでくれよぉ~!」
どうやら説得する材料は持っているようだが、それだけなら俺はまだしも龍丘さんが余りにも可哀そうだ。
ただでさえ就活に卒論と忙しい時期に時間を縫って来てくれるのだから、もう少し色を付けて、と口を挟もうとした瞬間、龍丘さんが承諾の意を示してしまう。
「分かった。それでいい」
「ぃよっしゃあ! 頑張るから、見捨てないでくれよ?」
「いいんですか、龍丘さん──」
最終確認をすべく身を乗り出した先で俺が見たのは、微笑ましいものでも見るかのような龍丘さんの横顔。当然、その視線の先にあるのはガッツポーズを決める代表の姿。
……これはあれか。二人のイチャつきに俺は体よく駆り出されたということか?
でもまあ、そのお零れで大部屋ではなく個人部屋が与えられるなら儲けものか。
「……ねえ、これって、どういう?」
と、ここですっかり忘れ去られていた琉歌が気まずい空気を纏って聞いてくる。
そう言えば琉歌の奴、漫研のメンバーじゃないからこの話は完全に関係無かったよな。
「悪い、つまらなかったよな。今度漫研で夏合宿に行くみたいでさ」
「いや、それは聞いてたから分かるんだけど……」
「まあでも、琉歌は漫研じゃないから関係ないか」
「は、入るよっ! 漫研! それなら、一緒に行ってもいいんでしょ!」
「えーッ?! 良いのかい、千崎君! 入ってくれるのかい?! それじゃあこの入会届にサインしてもらって──」
どうしてかムキになる琉歌は、俺に張り合うように声を上げてしまう。
そんな事をすれば、耳聡く琉歌の発言を聞き届けた代表がやってきてしまうじゃないか。
懐から入会届を取り出したノリノリの代表は琉歌の気が変わらない内にあれやこれやとサークルの説明を始めてしまう。
「年会費は入会時に貰うことになってるのさ。でも今日は急だったから明日でもいいさ。安心してくれたまえ。その他もろもろのイベント事は実費での出張になるけど、特にノルマとか無いから! 突発的な飲み会とかも自由開催自由参加だし、好きに過ごしてね!」
「はい! これからよろしくお願いします!」
あれよという間に琉歌は漫研の一員と化す。
絶対入らない、と息巻いていたあの時の琉歌はどこに行ってしまったのか。
どういう心変わりが……と、もしかして琉歌の奴、合宿先の宿代が代表持ちだと聞いて入る気になったのか?
以外と現金な奴なんだな。
「よろしくね? 天音」
「お、おう」
何とも言えない笑みで返事をすることしかできない俺を、誰が責められようか。
「ハッハァ! 新入会員ゲットだよ雅ぃ! 確かに天音君の言った通り、人望なんて後からついてくるみたいだ!」
「その思考はまずいですよ、代表」
「亜里沙についてきたんじゃなさそうだが?」
「どっちでもいいのさ! 結果を見ればひとり増えた! それで十分じゃないか!」
サークルのメンバーが増えたことに喜ぶ姿を見せる代表に、俺と龍丘さんは揃って渋い笑みを返す。
まるでお金に釣られたみたいな琉歌が何を考えているのか分からないまま、その日は解散になるのだった。
「明日は他のメンバーも来るから、ぜひ来てほしい」
「だってさ、天音。明日も一緒に行こうよ」
「あ、悪い。明日、俺バイトあるから」
「ええっ?!」
それに俺はもう四月の時点で全員と顔合わせ済みだ。
明日のバイトは先輩と一緒のシフトなのだ。コミケ前は忙しくなるからと代表に脅されてシフト入れない分、先輩ニウムを限界まで摂取しておかねばならない。ただでさえ、合宿で拘束されるのが約束されているなら尚更だ。
ちなみに、琉歌はその日駅で別れる最後まで駄々を捏ねていた。
そして今日も、アルカさんからの連絡は来なかった。




