僕と彼女のヒミツの時間
3週間後、バスケ部の活動の後に僕は一人でいつものように自主練をしていた。
少し時間が経ち、疲れてその場でしゃがみ込む。
真冬だというのに動いているせいか、体育館は蒸し暑い。
僕は少し疲れ果てていた。
そのとき、冷たいものが右の頬に触れる。
「…冷たっ」
思わず、大きな声でそう叫ぶ。
振り返ると、佐々木さんがいたずらげに笑いながら立っている。
佐々木さんを見て、僕は思わず心臓が飛び跳ねる。
そして、慌てて手で前髪を整えた。
「ごめん。驚かせちゃったよね。それにしても文哉君、ちょっと声大きすぎ」
突然、文哉君と彼女に呼ばれて僕の頬は熱を持ったのが自分でもわかった。
こんなことならさっきの冷たいものを頬に付けていたかったと思う。
僕が黙っていたせいか、彼女は付け加える。
「ごめん、勝手に文哉君って呼んじゃった。大野君呼びの方がよかったよね」
気のせいか、彼女も少し頬が赤い気がした。
「ううん、下の名前でいいよ」
「ほんと?じゃあ、文哉君って今日から呼ぶね」
「うん」
佐々木さんに文哉君と呼ばれると、嬉しいような恥ずかしいような気持ちになる。
「文哉君も私のこと、下の名前で呼んでいいよ。心愛って」
そう言われて、僕の心臓の音は大きくなる。
僕が佐々木さんを心愛って呼ぶ?
しかも呼び捨てで。
恥ずかしくて呼べる気がしない。
恥ずかしさを誤魔化しながら言う。
「わかった。今度から下の名前で呼ぶね」
「今度じゃなくて、今日からでいいよ」
佐々木さんにそう言われて僕は焦る。
それって今、佐々木さんのことを下の名前で呼ばないといけない感じなのか。
心の準備ができていない。
でも、ここで呼ばなかったら下の名前で女子を呼ぶのに変に緊張しているやつって思われるかな?
僕は勇気を振り絞り、呟く。
「心愛」
佐々木さんが三日月のような目で微笑む。
「あ、そうだ。文哉君に渡そうと思っていたんだ。自販機で買ったリンゴジュースかスポーツドリンクどっちかあげる」
先程、佐々木さんが僕の頬に当てたのは冷えたペットボトルだったらしい。
「え、いいの?ありがとう」
そう言うと、スポーツドリンクを受け取る。
僕はさっきの緊張のせいか、手が震えている。
佐々木さんにその姿を見られたくなくて、必死に手で抑える。
僕はスポーツドリンクを飲む。
「美味しい」
スポーツドリンクを飲むと、疲れが吹き飛んだ。
ペットボトルの蓋を締めると、佐々木さんが口を開く。
「前から思っていたんだけど、文哉君っていつも一人で残って練習しているよね。友達は先に帰っちゃうの?」
「ああ、啓介と渉?そうだね。二人は元々バスケが上手いからね」
僕は緊張を必死に誤魔化すように作り笑いをする。
「そうなんだ」
確かに啓介と渉が部活の後に残って練習をすることはなくなった。
高校一年生の途中くらいまではしていたけれど。
もうすぐ、最後のバスケの大会がある。
佐々木さんに見に来てもらいたい。
思い切って誘ってみようかな。
僕は再び勇気を振り絞った。
「…あのさ、来週の土曜日、最後のバスケの大会があって。よかったら見に来てくれないかな?」
緊張のせいか、少し早口になってしまった。
それでも、誘うことができて自分が少し誇らしく思える。
佐々木さんは少し目を丸くして僕を見つめる。
「うん、行きたいな」
佐々木さんの一言に僕は安心する。
「ありがとう」
僕は自然と頬が緩んだのが自分でもわかった。
「文哉君はもう少し自主練してから帰る?」
「いや、そろそろ帰ろうかな」
「ほんと?じゃあ、途中まで一緒に帰らない?」
「うん」
突然の佐々木さんからの誘いに心臓が飛び跳ねた。
僕と佐々木さんはカバンを持って体育館を出る。
外の空気は澄んでいて、僕の熱い身体を冷たい風が少し和らげてくれる。
「文哉君は将来何になりたいとかある?」
彼女は僕の顔を見つめながら聞く。
「中学校の先生になりたいかな」
そう言うと、彼女は目を丸くして僕をじっと見つめる。
「高校受験失敗しちゃったんだけど、その時に担任だった先生が励ましてくれて。第一志望の高校に行けなくて悔しいだろうけれど、第一志望の高校に合格したら幸せな未来が待っていて落ちたら不幸なんていうことはない。それよりも自分が高校でどんな三年間を過ごすかの方が重要だって。その先生の言葉を聞いたら元気が出たんだ。だから、僕もその先生みたいに落ち込んでいる生徒に励まして元気を与えられる先生になるのが夢で」
僕は第一志望であった公立高校に落ちてしまい、併願校であったこの白崎高校に入学した。
当時、僕がその先生に出会えていなかったら高校に入学してからも第一志望校での学校生活をずっと夢見ていたかもしれない。
でも、その先生に出会えたおかげで前を向けるようになった。
「文哉君ならきっとなれるよ。文哉君の生徒じゃないけれど、文哉君の頑張っている姿を見て部活を続けられた人がここにいるんだし」
佐々木さんはそう言いながら、自分のことを指差す。
「それに、努力家の文哉君だもん。だから絶対大丈夫」
彼女はにこやかに笑みを浮かべながらそう付け加えた。
僕は彼女の言葉を聞いて、安心すると同時にやっぱり佐々木さんのことが好きだと確信した。
彼女だけはどんな時でも、僕の味方でいてくれて努力を認めてくれる。
そして、彼女と話せば話すほどもっと彼女のことを知りたいと思うし、柔らかい笑顔に癒されて気持ちが軽くなる。
彼女が僕の夢を応援してくれると本当に将来、中学校の先生になれる気がした。
「教える教科はやっぱり数学?」
「そうだね。数学が好きだし得意だから」
「この間も朝から二人の生徒に数学の問題教えてって頼まれていましたもんね、文哉先生」
彼女はいたずらげに笑いながらそう言う。
突然の佐々木さんの口調の変化が面白くて僕は笑う。
佐々木さんはクラスではそんなに目立つタイプではない。
一人の女子とお弁当や移動教室で一緒に行動している姿を見るが、その人以外の人とはあまり話している姿を見かけない。
だから、こうやって佐々木さんが僕に話しかけてくれるのは嬉しいし時々、いつもと違う彼女が見えるともっと彼女のことを知りたいという思いで溢れそうになる。
「あ、私こっちだから。またね」
駅に着き、僕と路線が違う佐々木さんは自分が電車に乗るホームを指差して僕にそう言う。
「うん。また明日」
僕がそう言うと、彼女はにこやかに微笑み背を向けて歩き出す。
僕は彼女の姿が見えなくなるまでそっと後ろから見つめていた。




