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第94話 伝説の夕夜


「鏡夜、午後も暇だよね?」


「まあ場所が変わってもやることはねーよな」


 兄は縁側で、座布団を枕に寝転んでスマホを見てる。


 大伴家に来て三日目。

 掃除もお昼ごはんも終わり、時間を持て余した私は動くことにした。


「じゃあ、ちょっと付き合ってよ」


「どこに?」


帯瀬川(おびせがわ)


「この前、無貌が出たとこ?」


「うん」


「なんで?」


 私は答える代わりに、兄の前で古い本を開いた。

 セピアともモノクロとも言えない色をした古ぼけた一枚の風景写真。


 兄は寝転んだまま横向きになり、肘をついて覗き込む。


「なにこれ?」


「藤原君が図書館から盗んだ本でね、この地域の怪談とか伝承が載ってるの。で、これが“帯瀬川の龍”と呼ばれる怪奇写真」


「待て待て待て。情報量多すぎ」


 私は帯瀬川の写真に映る、空に伸びた黒い影を指さす。


「ほら、ここの奥の森っぽいところからなんか伸びてるでしょ?」


「まあ、なんか見えるような見えないような」


 兄はやる気なく写真を見る。


「これ無貌じゃないかなって」


「なんで?」


「帯瀬川に出た無貌って水の無貌だったんでしょ?」


「うん」


「水の無貌って水柱出してたじゃん?」


「俺見つけた瞬間倒したから知らね」


「そ、そう⋯⋯」


 この最強伝説が!

 私は、霊園で戦った水の無貌を一生懸命説明した。

 その間も聞いてるのか聞いてないのか、兄は仰向けに寝転んだまま薄い反応を返す。


「しかもね、これ満月の夜に現れる龍なんだって」


「⋯⋯ふうん」


「ふうんじゃなくて!」


「で何? コーキ警察に突き出せばいいの?」


「そ、それはおいおい⋯⋯じゃなくて、行ってみようよ」


 兄は少し考えてから、面倒くさそうに大きなため息を吐く。


「⋯⋯ユーヤと約束した手前、一人で行けって言えないのがムカつくな」


「じゃあ準備しよう!」


「はいはい」



 ***



 帯瀬川は山から海まで流れる清流で、更木市の街中を縫うように流れる、市民には馴染み深い川だった。


 帯瀬川の中流あたり。

 市街地を抜けた先に広がる農村地区でバスを降りる。


 街中では広く感じなかった川も、この辺りまで来ると川幅がぐっと広くなる。

 向こう岸が遠い。

 橋の欄干から山へと続く川を眺める。


「あの辺り?」


「だな」


「え、鏡夜ここ降りていったの?」


 結構な土手と生い茂った背丈ほどの草むら。


「降りるわけねーよ。産霊琵(むすび)飛ばしたわ」


「そんなフリスビーみたいに⋯⋯」


 でもそれじゃあ⋯⋯


「移動の方が時間かかった感じだね」


「マジそれ」


 兄が苦笑いを浮かべ橋の欄干に寄りかかる。

 川を眺めている兄のそばに立ち、欄干に飾られた龍のオブジェを見上げる。


 身体をくねらせて天に向かう龍の姿、なのかな。

 少し腐食していて時代を感じる。


「あんまり聞いたことないけど、龍に馴染みのある土地なのかな」


「時代と共に消えたんじゃねぇ?」


「でも無貌を飾ってると思うと、ちょっと滑稽だよね」


「⋯⋯まあな」


 鏡夜は少し呆れたようにため息を吐いた。


 そのとき、私たちの後ろに一台の車が止まった。

 見覚えのある車からさっと一人、降りてくる。


「藤原君?!」


 斎藤さんは申し訳なさそうに頭を下げると、そのまま車を発進させた。


「や、偶然だな」


「な、何でここに?!」


 えっ⋯⋯本当に偶然?

 薄い笑いを浮かべる藤原君を睨む。


 ?!


 まさかと思って、慌てて鞄の中をまさぐる。


「やだなぁ、GPSなんて仕込んでないよ」


 藤原君がわざとらしく笑う。


「いや怖いから、いや怖いから」


「二回も言う?」


「な、なんで分かったの?!」


「普通に俺が言ったんだよ。来るとは思わなかったけどな。どんなフットワークだよ」


「え、鏡夜が?!」


「名竹君と遊ぼうと思ったらさ、なんかすでに楽しそうなことしてんだもんな」


 あ、遊ぶ? 鏡夜と藤原君が? 何して?

 治安悪すぎでしょ⋯⋯


「で、名竹さんはやっとそれに気づいたんだ」


 藤原君の視線が、私が見ていた龍のオブジェに向く。


「さすがに “帯瀬川” のワードが出ればね」


 それまでは流してたけど⋯⋯。


「それだけじゃないんだけどな。音田山の妖怪、第二中裏にある竹林の天女あたりも恐らく無貌が元だろうな」


「た、竹林も⋯⋯そんな昔からあの場所に⋯⋯」


「ここまで伝承として根付くには、元ネタがないと無理だからな」


 藤原君が龍のオブジェを見上げる。


「共通した見た目の情報、複数の目撃証言。こいつにいたっては満月という演出じみた限定条件まである。伝承になるには十分だ」


「でもやっぱり無貌が飾られてるのもなぁ」


「は?」


 藤原君が眉を寄せる。

 そこからかよ、という顔。


 そのまま心配そうに兄に視線を向ける。

 兄は小さく首を振った。


「え、何?」


 なんとも言えない雰囲気⋯⋯。

 藤原君が親指で後ろのオブジェを指さす。


「⋯⋯これは大伴家の ”幾許群(そこばく)” だろ」


「えぇ! 夕夜の?!」


()()()の」


「夕夜、伝説になってんの?!」


「うざ⋯⋯」


「え、なんか鳥肌!」


「勝手に立ってろよ。そもそも無貌は写真に映らないって学んだばかりだろ」


 !!


 二度目のショック!

 確かに“帯瀬川の龍”以外は絵巻物みたいなイラストだけだった!


「名竹さん、やっぱ調査から外していい?」


「いや、頑張りますから!!」


 もう一度、龍を見上げる。

 言われて見ると、龍のうねりは水流そのもの。


 なんだか大伴家がこの地を守ってきた神様になったような。

 そんな壮大さに、不思議な気持ちになる。


「感動してるところ悪いけどさ、俺が知りたいのはそこじゃない」


 鋭い視線が兄を射抜く。


「名竹君。無貌って何なんだ?」


 橋の上を風が吹き抜ける。



 ――その問いに鏡夜が小さく笑った。



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