第93話 一人、夕夜の部屋
「日中暇だったら俺の部屋にある本とか映画とか持ってっていいよ」
今日から夕夜のバイトが本格的に始まる。
そして私は、なぜか夕夜不在の大伴家に居候することに。
「部屋入っちゃっていいの?」
「こっちには困るようなもの置いてないし」
「アパートの方にはあるってこと?」
「……別に?」
……なんか、ありそう。
「何もないよ」
じっと見つめる私に、夕夜が呆れた眼差しを向けてくる。
⋯⋯まあ、信じてやるか。
「じゃあ行ってくるから」
「うん、頑張ってね。行ってらっしゃい」
「なんか新婚さんみたいね」
「きょ、鏡夜!」
ちょ、ちょっと私も思っちゃったけど!
本人目の前に言う事ないじゃん。
でも夕夜は表情を変えず。
「⋯⋯鏡夜、ちゃんと華のこと見ててよ?」
「俺がいつ放置したよ」
「⋯⋯華、何かあったら連絡して」
「仕事中の人にしないよ! 大丈夫だから! おじさん待ってるよ」
夕夜の背中を押し出すように見送ると、兄は苦笑いを浮かべた。
「先が思いやられるな」
「夕夜は仕事出来ると思うよ」
「そっちじゃねーよ」
「夕夜の何が心配なのよ」
どちらかと言えば兄の方が心配だ。
今日も朝からゴロゴロしている。
そもそも兄がおじさんに勝手に話を取り付けたから、こんなことに……。
不安は的中して、やっぱりみんなを巻き込んでる……。夕夜もおじさんも忙しいのに、本当にいいのかな。
ただ……毎日夕夜に会えるのは嬉しい。
ほっとしてる自分もいる。
「ハナ、俺コンビニ行くけどどうする?」
「あ、アパートに荷物取りに行きたい。コンビニで待っててよ」
「それくらい一緒行くよ」
「じゃあアイス奢ろう!」
「微妙にケチだな」
「来週玲香とコミケに行くから節約してるの」
「ハナは買うもんないだろ……」
午前中にアパートから着替えや化粧水やら……一応、勉強道具も持ってきた。えらい。
午後は半年ぶりの自分の部屋を掃除して、気づけば十五時過ぎ。
小説でも借りようと、夕夜の部屋に入る。
懐かしい中学生の夕夜の部屋。
前は入り浸ってたのに、いつの間にか入らなくなった部屋。
本棚にはミステリーやサスペンスの小説、漫画、DVDが並ぶ。
記憶のままの景色に、思わず息が漏れた。
懐かしい空間に何かが溢れてくる。
「あ、これ……」
私には難しかった夕夜のお気に入りのハッカー小説。
今なら藤原君に置き換えて楽しめるかもしれない。
ベッドに腰掛けて、パラパラとめくり読む。
うん、藤原君の方が変人だ。
「小説より面白いんだもんな」
思わず笑ってしまう。
高校に入ってからの出来事を思い出す。
信じられないようなことばかりで。
そのどれもに夕夜がそばにいる。
最初は夕夜の距離感に振り回されっぱなしだったのに、いつの間にか毎日夕夜にドキドキしてる。
いつも隣にいてくれる。
できればこれからも……。
……ちゃんと、伝えたいな。
頬にかかった髪が、そっと払われた。
瞼を開ける。
窓の外の薄明の空。
……分かる、寝すぎた。
がばっと身体を起こして、時計を探す。
隣に人影。
「うわぁ!」
身体が飛び上がる。
「ゆ、夕夜?!」
「……おはよう」
「え、あ、おかえり?」
「ただいま」
ベッドに腰掛けてる夕夜の、少し呆れた視線が向けられる。
「俺、部屋で寝てもいいとまでは言ってないんだけど」
「ご、ごめん、本読んでたらつい」
夕夜がふっと笑う。
「部屋で読んでもいいとも言ってないけど」
「ご、ごもっとも」
夕夜が私の脇に落ちていた本を拾ってパラパラめくる。
そう言えば夕夜はなぜここに座ってた?
「え、いつから?」
「……さっき」
「……さっきって?」
「さっきはさっき」
「私のさっきと夕夜のさっきは同じくらい?」
「どうだろうね」
夕夜は顔を背けたまま。
ぜ、絶対寝顔見られた!
しかも仰向けの!
生きてけないっ!!
夕夜のベッドに平伏す。
「なにやってんの?」
「……今ので気持ち引っ込んだ」
顔を埋めたまま答える。
……もう告白どころじゃない。
「なんのこと?」
「もう全てに自信無くした」
「……大丈夫だよ、可愛いから」
「っ!!」
顔を上げると夕夜が薄く笑った。
「やっぱ見たんだ!」
「人の布団で暴れないで」
「この布団がふかふかだから悪いんだ」
「八つ当たりでしょ」
夕夜が笑いながら、仰向けに倒れこんだ。
うつ伏せで寝る私のすぐ横に、夕夜の顔が並ぶ。
ち、近い。
夕夜が目を閉じる。
「疲れた?」
「多少ね」
柔らかそうな前髪がふわふわと揺れている。誘われるように手を伸ばす。
指先が触れた瞬間、はっと目を開いた。
「子守唄でも歌う?」
子犬みたい。
柔らかい髪を、そっと梳かす。
戸惑いながら見上げる夕夜を見て、思わず頬が緩んだ。
夕夜が私の手を押さえる。
「危ないよ」
「え、なにが?」
「言ったでしょ。そういうの、分からないうちはやめてって」
そんなことを言いながら手を離すわけでもなく、握った手をそのまま自分の胸元に下ろした。
そしてそのまま目を閉じる。
夕夜の鼓動が微かに伝わる。
「でも! ゆ、夕夜だって触ってたよね? さっき」
夕夜がゆっくりと瞼を上げる。
私の方に顔を向けると、わずかに笑みを浮かべた。
「バレてたか」
「あ、危ないよ?」
「ふっ、確かにね」
「……え、危ないの?」
「危なかったね」
「変な夕夜」
「……そうかもね」
夕夜は自分に呆れるように小さく笑ってる。
まどろんだ瞳は、今にも眠ってしまいそうだった。
「夕夜、寝ないで」
「うん……」
「もうすぐごはんだから」
「うん……」
「先にお風呂入っちゃえば?」
「……やだ、華がいい」
「なぁっ?!」
思わず握られてた手を離して、身体を起こす。夕夜と視線を合わせる。
「いま何言った、俺……」
夕夜も身体を起こすと、額に手を当てて少しだけ恥ずかしそうに俯く。
気まずそうに私を見て、困ったように笑った。
「顔赤すぎでしょ」
夕夜の笑顔が苦しい。
こんなの、耐えられない……。




