第91話 香島宮潜入④
「はっ?」
夕夜が驚いて気の抜けた声をあげる。
藤原君は表情一つ変えない。
「 “空蝉未” であいつの中が見たい」
「でも倒れたら!」
今回は石上先輩も鏡夜もいない。
遠く離れた場所。
「俺だって学んでる。調整はする」
「それでも!」
例え調整できたとしてても危険すぎる。
“代償” が、しかも相手は無貌。
何が起きるか分からない。
「だから何かあっても、俺のことは捨て置いていい」
「そういうわけには」
「……今度は何が気になってるの」
夕夜が訊ねると、藤原君は一度だけ無貌の方へ視線を向けた。
「無貌に “僻覚絵” が効いた」
「え」
「“上書き” が出来る記憶があるってことだ」
「それって……」
藤原君が小さく息を吐く。
「しかもそこに、“知性” があるっぽい無貌まで出てきたんだ。逃したくない」
「でも……」
「藤原の能力が相手にバレるんじゃないか」
「一秒で引くつもりだけど、そこは賭けだな」
藤原君が自分の言葉に、一瞬止まる。
「俺が、賭けって」
額に手を当てて、喉で笑う。
「まあバレるってことは相応の情報が手に入るってことだ。それくらいは払っとくか」
「絶対無理はしないでね!」
「もちろん戦況で判断する。勝算が見えたときだけ動く」
「……分かったよ」
夕夜が少し諦めたようにため息を吐くと、藤原君は小さく笑った。
「あとは勝ち筋だけど……」
藤原君から今回の作戦を聞く。
私はやっぱり囮で、要は夕夜で。
前回と少し似たような作戦。
三人で繋いで勝つ。
私も、ちゃんと役目を果たさなきゃ。
「ねぇ、早く漕ぎなよ」
「藤原君がやれば早くない?!」
「一つしかオールないし」
ほとりに繋がれていた小舟に乗り込み、池の中を進む。
くっ、重いっ。
でも、これくらいやらなきゃ。
「来たな」
私たちが入ってきた道から無貌が現れる。
仮面は池にいる私に向けられている。
池の淵で立ち止まる。
「池に入ってくるかな?」
「どっちにしても落とすけどな」
藤原君が挑発的な笑みを向け、無貌の様子を伺う。
無貌が池へ一歩踏み出した。
「入ってきた……!」
「池があったのはラッキーだな」
藤原君は夕夜が潜む茂みの方へ視線を向け合図を送る。
水飛沫をあげて、無貌の身体の半分が池に沈む。
水に沈んだ関節音はくぐもって聞こえた。
次の瞬間――。
どこからともなく現れた巨大なサメが無貌の身体に喰らいつく。
硬く乾いた音が響き、琥珀色の破片が飛び散った。
サメはそのまま無貌を押し倒し、水中へと消えていく。
大きな波紋が小舟を揺らす。
「まず開けた穴から真水を浸透させる」
「修復が止まる?」
無貌の身体からどろりとした琥珀色の液体が漏れ出る。
サメに砕かれた部分の修復が始まる。
「いや、ここまではあくまで仕込み」
無貌の身体が元に戻ると同時に、大きな水流が無貌を飲み込む。
「幾許群……」
無貌に注ぎ込むように、とめどなく続く幾許群。
ピキッ……
ピキッ……
ミシッ……!
何かが割れるような細かい音に続く、大きな亀裂音。
「始まったな」
「あれ、縮んでる?」
「収縮したね」
水流の中に見える無貌の影が少しずつ小さくなっていく。
「浸透圧。大伴君には限界まで海水をぶつけてもらってる」
「え?」
「あいつの硬度、粘度、透明度……恐らく樹脂に近い」
パキパキと細かい破裂音が鳴り響き、無貌の身体が割れていく。
「だから真水と海水の浸透圧で割れる。体内の真水が一気に引きずり出される」
「あ、でも修復が!」
琥珀色の液体が割れた身体を繋ぎ止めるように伸びていく。
けれど、水流に触れた瞬間、溶けるようにさらさらと消えた。
「当たり」
藤原君が口角を上げた。
無貌の身体は修復されない。
傷口から崩れるように一つの塊になっていく。
「もういいか」
藤原君が夕夜に合図を送ると、水流が止まった。
「気を抜くなよ、まだ生きてる」
「う、うん」
藤原君がオールを手に取ると、無貌の脇を通り小舟を岸へと寄せる。
「名竹さん。大伴君のところに」
「分かった」
藤原君は沈黙した無貌をじっと見つめ、機会を窺っている。
「夕夜、大丈夫?!」
木の影でしゃがみ込んでる夕夜に駆け寄る。
肩で息をしていて少し辛そうだ。
「大丈夫、あとサメ2匹くらいは出せるよ」
力なく投げ出されてる夕夜の手を握る。
夕夜が目を細める。
「藤原のところに行こう」
「歩ける?」
「肩貸してくれるの?」
夕夜が小さく笑う。
「え、あ、それは! ぶ、物理的にも無理だと思います……」
「ふっ、物理的にも」
「手なら、貸せます!」
「じゃあ借ります」
「……はい」
夕夜は重そうに身体を起こす。
いつもより重さを感じる手。
夕夜も限界が近い。
池のそばに戻ると藤原君はスマホを見てる。
「結界内ってケータイ通じないんだな」
「そうなんだ……」
「で、大伴君まだいける?」
「うん」
え?
無理してるんじゃないかと心配になる。
「ほんと?」
「大丈夫だから」
「じゃあ俺、“見て” いい?」
藤原君の視線が、池に沈む無貌の塊に向けられる。
「二人はこのまま離れてて」
ゆっくりと近づいて池の淵から無貌を見下ろす。
仮面と向かい合った藤原君は小さく頷く。
藤原君の瞳が無貌を捉える。
「玉輪――空蝉未」
藤原君が小さく唱えると、無貌の動きが硬直する。
1秒――。
夕夜が構えた。
「水鏡――鱗珠」
無貌が動き出すと同時に、カジキが中心を射抜いた。
藤原君の呼吸が荒い。
無貌は沈黙したまま。
でも――消えない。
「っ! 走れっ」
藤原君が叫ぶ。
同時に無貌の背後から五本の腕が伸びてきた。
「水鏡――鱗珠っ!」
大きなエイが盾になるように、腕を薙ぎ払う。
その隙に私たちは一斉に走り出した。
でももう私たちに向かって腕を伸ばしている。
動きがさっきよりも速い!
「名竹さん」
藤原君が隣に来る。
「綻毘」
「えっ?」
「俺を信じてくれるんだろ?」
藤原君が不敵に笑う。
「……うん!」
「大伴君、サポート」
夕夜が頷き構えると、私を守るようにエイが飛び出る。
エイの尾が大きくしなると、五本の腕をまとめて弾き飛ばす。
「月華――」
胸の前で手を合わせ、指を組む。
「綻毘っ!」
桜色の光が風のように巻き起こり、無貌を取り囲む。
無貌の塊が震えだし、少しずつ剥がれるように花びらとなって舞っていく。
――が、次の瞬間。
花びらを掻き消し、無貌がふっと霧散した。
ばしゅんっと空気が抜けるような音。
「え?」
「は?」
「消えた――?」
無貌がいた場所には、波紋だけが広がっていた。
桜色の光が、水面に溶けるように消えていった。




