第90話 香島宮潜入③
ギ、ギギ……。
嫌な軋み音が闇の向こうから響く。
倒したばかりの無貌から、もう一体がゆっくりと歩み出る。
白装束をまとったような不気味な姿の仮面無貌。
カクン。
一歩遅れて関節が追いつくような、異様な動き。
さっきの無貌より動きは遅い。
なのに、近づいてくるだけで空気が重い。
絶対、こっちの方が強い。
というか、この無貌……。
「教室に出たのと同じタイプ、か」
藤原君が呟いた直後――。
ふわっと浮き上がるような感覚が一瞬走る。
「えっ?! これ結界?!」
「っ! やられた」
藤原君が舌打ちして顔をしかめる。
「大伴君、鳥居まで走って状況確認頼む。恐らく閉じ込められた」
「分かった」
「俺と名竹さんはこの距離維持したまま、左の森に入る」
「確認したら合流する」
夕夜は鳥居に向かい、駆け出した。
「名竹さん行くよ」
「は、はい」
私たちも森の闇へと駆け込む。
ちらっと無貌を見る。
壊れたロボットのように動きながら、狙いは私に向けられているのが分かった。
「確かあいつ、実体あるのに大伴君の貫通は決定打にならなかったな」
茂みの中にしゃがみ、藤原君が分析を始める。
「夕夜の魚が刺したところ、なんかが出て固まってたよね」
「あれは凝固作用、か」
藤原君の視線が無貌のいる方に向けられる。
「で、あの妙な動きは……」
「関節まで硬いとか?」
「全身を硬化させてる。動きが遅いのもそのせい、か」
藤原君は石を一つ拾ってそれを眺めた。
「鷹野の攻撃で粉砕してた」
「燃えて灰みたいになってたよね」
「爆跳……?」
「なにそれ」
「単に衝撃に弱いだけか?」
「ちょっと藤原君?!」
「試してみるか」
「ねぇ、藤原君!」
腕を掴むと、藤原君がやっと私を見る。
「なに名竹さん」
いたの、とでも言うような視線。
「え、今、会話してたよね?!」
「……怖いこと言うなよ」
「え、私のアドバイスは?!」
「……マジなに言ってんの」
はっ?!
今までの独り言?!
「ちょっと黙っててくれる?」
「最初から聞いてないくせに!」
「名竹さんはここにいて」
「ほら無視する!」
藤原君は石を持ったまま、歩き出し無貌に近づいた。
無駄に良い投球フォームで、無貌に石を投げつける。
高く乾いた音を響かせ、石は勢いよく弾き返された。
「やっぱこれくらいじゃ無理か」
藤原君は辺りを見回す。
「衝撃の入れ方か」
一本の木に近づくと、太い枝に足をかける。
藤原君が体重をかけると、ミシッと音を立てて枝が折れた。
葉をむしると、感覚を確かめるようにそれを数回素振りする。
まさか……。
適当な石を足元に集めた藤原君は、一つを手に取ると木の枝を無貌に向ける。
次の瞬間、軽くトスした石を木の枝で思い切り打ち抜いた。
「重っ」
藤原君の打った石は無貌をかすめる。
それを確認した藤原君は足元の石を拾い、もう一度石をトスして枝を振り抜く。
ミシッと枝が軋む。
ゴキンッ――。
打ち出した石は、今度は無貌の腕にヒットした。
僅かに欠け、琥珀色の欠片が地面に落ちる。
「鈍いな」
欠けた部分から染み出した琥珀色の液体が、傷口を覆っていく。
液体はたちまち固まり、傷はもう塞がれていた。
「破壊はできる。問題は凝固での修復」
藤原君は折れた木の枝を投げ捨て、背を向ける。
それに合わせて無貌が藤原君の方を向いた。
「はっ?」
ガチャッと関節が噛み合う音が響く。
次の瞬間、無貌の腕が藤原君へと伸びる。
藤原君が身を沈め、すんでのところでそれを避ける。
けれど無貌は避けた藤原君を追わず、残りの腕を一斉に私へと伸ばす。
まずい――!
構える暇もなく、息を呑む。
目を閉じた瞬間。
後ろから肩を掴まれ、引き倒される。
さっきまでいた場所を、無貌の腕が薙いだ。
とすんっと背中に衝撃と、覆い被さる夕夜の匂い。
「ナイス大伴君」
夕夜の肩越しに覗き込んだ藤原君と目が合う。
藤原君は無貌を見据え、小さく呟く。
「あいつ……」
夕夜が身体を起こし、そのまま私の手を引く。
「あ、ありがと」
「気をつけて」
「移動しよう」
小走りでさらに奥へと進んでいく。
「で、どうだった?」
「ここから出れない。あと力も制限されたまま」
「今、どこまでできる?」
「出せてカジキ。大型と、あと幾許群は無理」
「なるほど」
森はいつのまにか竹林へと変わった。
無貌は耳障りな軋み音を響かせながら、なおもついてくる。
大きな岩があり、ひとまずそこに身を潜めた。
「さて、何で戦おうか」
藤原君が竹林を見回す。
夕夜が無貌に注意を払いながら、藤原君に訊ねる。
「何が必要?」
「幾許群」
沈黙が走る。
だから使えないって言ってるのに。
「詰んでるじゃん」
「宿必要なかったかもな」
再び沈黙が走る。
……帰りたい。
そのとき、背後からパキッと乾いた音が聞こえた。
私たちは咄嗟に振り向く。
「えっ」
――音羽さん。
夕夜と藤原君の空気が張り詰める。
藤原君が最初に口を開く。
「あんた結界入れるの?」
「……私だけ」
音羽さんの視線が本殿の方に向けられる。
「あの人たちはまだ知らない」
「……あんたらが呼んだんじゃないの、あれ」
「違う」
「じゃあ、どっかにやってくんない?」
「無理」
音羽さんが竹林の奥を指さす。
「この先の御澄見池。領域内だけど五家の加護がある」
「は?」
「……これ以上は、無理」
少しだけ苦しそうに目を伏せながら、背中を向ける。
「あ、ありがとう!」
音羽さんは足を止めて、少しだけ振り向いた。
「お姉ちゃんの、味方になってあげてくれる?」
「うん、もちろんだよ!」
「名竹さん……」
藤原君が呆れた視線を向ける。
音羽さんは何も言わず、竹林の奥へと去っていった。
音羽さんを見送って、私たちも教えられた池へと移動する。
「あんた、榊天音が敵だったらどうするの?」
「天音さんは違うよ」
「……」
「?」
「歩行会の……」
藤原君が言い淀む。
「?」
「……何かあったときは切り替えろよ」
少し考えてから、私は頷く。
「信じるよ、天音さんも藤原君も」
「……なにそれ」
藤原君は力なく首を振った。
私たちのやりとりを、夕夜は黙って見ていた。
竹林を抜けると、澄んだ大池が姿を現した。
月明かりを映した水面は、緑を帯びた水色に静かに輝いている。
夜なのに、不思議と池の周囲だけ空気が澄んで感じた。
「綺麗……」
戦いを忘れて思わず、見惚れてしまう。
「大伴君どう?」
「うん、いけそうな気はする」
「それは良かった」
まるで他人事のように藤原君が小さく笑う。
「さて、二人に相談がある」
「えっ? 藤原君が?」
「あの無貌、中見たくない?」
「はっ?」
「あいつフェイントなんて使った。俺を狙うなんて、今までの無貌と明らかに違う」
藤原君が口元を緩ませる。
「うまく行けば飼い主が分かるかも」
「なに、するの?」
「あいつに “空蝉未” を使いたい」
神秘的な水光が、その笑みを妖しく照らした。




